小さい頃、おばあちゃんやお母さんたちが、「おりょぐ」と言っていたように聞こえていましたが、
本当は御霊供「おりょうぐ」と呼ぶのですね。
お盆になると、母方の家に母の兄弟やその家族が集まって賑やかに過ごしていました。
父型の祖父母は早くに亡くなっていたので、私にとっておじいちゃんおばあちゃんは、母方の2人でした。
当時の祖父母の家の台所は、板張りの間に土間があり、その土間が今でいうキッチンでした。
板の間は、料理の盛り付けをしたり、お餅を丸めたりする場所でした。
そしてお盆には、なぜかみんなが「おりょぐ」「おりょぐ」と騒ぎ、お膳の向きはあーだこーだと
言っていた事を思い出します。
そして御霊供といえば、高野豆腐。
小さい頃の私は「おいしいもの」とも思わなかったのですが、母や叔母や伯母たちはよく
「かあさんは、高野豆腐を上手にたいていた」と、祖母がなくなってからは口を合わせたように言っていました。
私は、まだ一度も高野豆腐を炊いたことがないので、出来上がったものをスーパーで買ってきて盛り付けます。汗
でも、今年はチャレンジしてみようかなぁ。。。高野豆腐。。。
本当は御霊供「おりょうぐ」と呼ぶのですね。
お盆になると、母方の家に母の兄弟やその家族が集まって賑やかに過ごしていました。
父型の祖父母は早くに亡くなっていたので、私にとっておじいちゃんおばあちゃんは、母方の2人でした。
当時の祖父母の家の台所は、板張りの間に土間があり、その土間が今でいうキッチンでした。
板の間は、料理の盛り付けをしたり、お餅を丸めたりする場所でした。
そしてお盆には、なぜかみんなが「おりょぐ」「おりょぐ」と騒ぎ、お膳の向きはあーだこーだと
言っていた事を思い出します。
そして御霊供といえば、高野豆腐。
小さい頃の私は「おいしいもの」とも思わなかったのですが、母や叔母や伯母たちはよく
「かあさんは、高野豆腐を上手にたいていた」と、祖母がなくなってからは口を合わせたように言っていました。
私は、まだ一度も高野豆腐を炊いたことがないので、出来上がったものをスーパーで買ってきて盛り付けます。汗
でも、今年はチャレンジしてみようかなぁ。。。高野豆腐。。。