湯浅内大臣は思慮深げな顔をして言った。
『それでは、どう言うお言葉を用いれば良いか、貴方の考えを言って御覧なさい。』
『然らば、御免を被って申し上げます。・・・あのような場合は、
“こういう事件が起こったのは、皆、朕の不徳に因る処なり”
と仰せられるべきものと思われます。
・・・もし今度の勅語が、朕の憾みとする処というお言葉の代わりに、その様に仰せになられたらならばどうであるか?
皇道派も統制派も共に、そのお言葉の前に恐縮して、我々が至らぬ為に、陛下が不徳だと仰せられた。
それは相すまぬ事だと相互に深く反省し、どちらに理があるとしても、この上相克をやって、ご心配をお掛けしてはならぬと思って、相克が収まる方向に向かうでしょう・・。
今度の勅語はその逆であるから、これから一層軍部内の相克が酷くなるでしょう!』
この時、湯浅内大臣は小声で、
『陛下が遺憾に思われたと言う事がどうして悪いか・・・・・・・。』
と呟かれた。そこで私(橋本徹馬)は更に言った。
『国家に不祥事が起こった場合は、我が国柄の上から言えば、如何なる場合にも、“朕の不徳に因る”という勅語を奏請すべきです。
昔の聖天子は天変地異に対してさえ、朕の不徳に因ると仰せられて、御位を譲られた方も有る。
今度の勅語の為に、恐らく軍部の相克が益々盛んになって、国家が禍を被るでしょう!』
・・・・私と湯浅内大臣との勅語問答は以上の様なものであった。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
中略:
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
尚、右の如き勅語問答を、数日後に私から当時軍部の相克の渦中にあった
川島義之大将(事件当時の陸相)、真崎大将や林銑十郎大将等に話をし、
他日台湾から帰京せられた柳川将軍にもお話したが、真崎、柳川両将軍は、両目に涙を浮かべて何も言わなかった・・。
川島将軍は同じく涙ぐまれて、
『ああ、もしそういうお言葉であったらばなぁ・・・。』
と言われ、
林将軍(当時の前陸相)は、
『そういう勅語を賜ったのならば、これ程有り難い事は無かった・・・・。
そうすれば万事、うまく行ったのだが・・残念であった。』
と言われ、これも涙を抑えられた。
つづく。
『それでは、どう言うお言葉を用いれば良いか、貴方の考えを言って御覧なさい。』
『然らば、御免を被って申し上げます。・・・あのような場合は、
“こういう事件が起こったのは、皆、朕の不徳に因る処なり”
と仰せられるべきものと思われます。
・・・もし今度の勅語が、朕の憾みとする処というお言葉の代わりに、その様に仰せになられたらならばどうであるか?
皇道派も統制派も共に、そのお言葉の前に恐縮して、我々が至らぬ為に、陛下が不徳だと仰せられた。
それは相すまぬ事だと相互に深く反省し、どちらに理があるとしても、この上相克をやって、ご心配をお掛けしてはならぬと思って、相克が収まる方向に向かうでしょう・・。
今度の勅語はその逆であるから、これから一層軍部内の相克が酷くなるでしょう!』
この時、湯浅内大臣は小声で、
『陛下が遺憾に思われたと言う事がどうして悪いか・・・・・・・。』
と呟かれた。そこで私(橋本徹馬)は更に言った。
『国家に不祥事が起こった場合は、我が国柄の上から言えば、如何なる場合にも、“朕の不徳に因る”という勅語を奏請すべきです。
昔の聖天子は天変地異に対してさえ、朕の不徳に因ると仰せられて、御位を譲られた方も有る。
今度の勅語の為に、恐らく軍部の相克が益々盛んになって、国家が禍を被るでしょう!』
・・・・私と湯浅内大臣との勅語問答は以上の様なものであった。
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中略:
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尚、右の如き勅語問答を、数日後に私から当時軍部の相克の渦中にあった
川島義之大将(事件当時の陸相)、真崎大将や林銑十郎大将等に話をし、
他日台湾から帰京せられた柳川将軍にもお話したが、真崎、柳川両将軍は、両目に涙を浮かべて何も言わなかった・・。
川島将軍は同じく涙ぐまれて、
『ああ、もしそういうお言葉であったらばなぁ・・・。』
と言われ、
林将軍(当時の前陸相)は、
『そういう勅語を賜ったのならば、これ程有り難い事は無かった・・・・。
そうすれば万事、うまく行ったのだが・・残念であった。』
と言われ、これも涙を抑えられた。
つづく。
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