「建武中興十五社」は、皇室が北朝から南朝に変わった証拠。

2010-03-07 | 皇室問題
建武中興十五社

↑:ここの説明は正しくない。
朝廷が武家から政治の実権を取り戻したんじゃない。
南朝末裔(大室)が、北朝(孝明)から皇統を奪い返したのだ。

明治維新=南朝革命だ!


西郷(菊池)南洲(号)の南は、南朝の南。江藤 新平の「号」は南白で、これも同じく南朝の南。
彼らは南朝革命で長州藩と同盟を結んだが、岩倉・伊藤と意見が合わず下野し、
最後は命を奪われた。


江戸時代までの日本人は「後醍醐天皇」や「建武の中興」なんて言葉を知らない。
歴史から消されていたのだ。

南朝人は十五社を作り、
後世の日本人に「皇統は南朝に移った」事を知らせたかったのだろう・・。







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1 コメント

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おや政おわり、新生・・・。 ()
2010-03-08 04:18:54
(北)負け/ 勝ち「南」
消された者と残った者
キタ天皇ーー「維新メンバー」
失った物と得た物
価値・・神社・仏閣・墓地 (外人墓地)
緑地に建てた「菩提樹」 御殿・・・・(邸宅)

南の為に命を賭した???「明かし」
(皇居前の楠像)
楠木でなく、「明治天皇」にすれば。
天皇の銅像。(陵墓・・・寅像)無いか。
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