テレビの水戸黄門でお馴染みの水戸偕楽園、梅まつりに行ってきました。
偕楽園は、金沢の兼六園、岡山の後楽園と並ぶ「日本三公園」のひとつで、
天保13年(1842年)に水戸藩第9代藩主徳川斉昭によって造園されました。
約13haの偕楽園園内には100品種3000本もの梅が植えられており、
「早咲き」「中咲き」「遅咲き」と長期間にわたり観梅を楽しむ事が出来ます。
今年も140回を数える「水戸梅まつり」(2/20日~3/31日迄)に全国から大勢の観光客が訪れています。
また、梅まつり期間中の日曜日は観梅デーとして、梅香の下で野点茶会や水戸の梅大使
水戸黄門一行との写真撮影サービス、琴の野外演奏会などが行われます。
JR偕楽園駅(梅まつり期間中のみ開設)に一番近い偕楽園入り口、東門より入ります。
“東門”は、偕楽園造園時には存在せず、昭和37年に建造された門で、屋根のない造りです。
また、入り口あたりは、沢山のお土産やさんが有り、大変な賑わいでした。
東門を入り、100品種3000本の観梅を楽しみます。
何度かこの偕楽園には足を運びました、今回は、園内沢山の門や碑が有りますので、
“好文亭”と“門”を主に写真を撮ってきましたので、紹介、投稿します。
まず、“御成門”(おなりもん)
偕楽園北側に位置する屋根のない簡素な門。
造園当時には設置されておらず、明治23年、昭憲皇太后行啓時造られた。
御成門を入ると眼前に梅林が広がります。(見事な梅林です)
“好文亭表門”は偕楽園北側に位置し、本来の偕楽園の正面入り口です。
表門と孟宗竹の間にあるこけら葺きの風雅な門、“一の木戸”
この孟宗竹林は、偕楽園開園1年後の天保14年(1843年)に京都嵯峨、八幡の竹を
土のついたまま運び植え現在に至っています。
“好文亭中門”は、杉木立と好文亭の間にある茅葺屋根の門です。
“門前芝”、陰陽のほぼ境に位置する簡素な門、この門をくぐり左側が好文亭
好文亭の中、“露地門”現在は、開放されていない門であるが、昔は、この露地門をくぐり
待合に
“待合” 茶室 何陋庵(かろうあん)の露地の西側にあり、茶室に招かれた客が席の準備が出来るまで控え待つ場所。
間口9尺(2.7m)、奥行き6尺(1.8m)、屋根はチガヤ葺き、三方は壁、内側に腰掛がある。
“南崖の洞窟”、江戸時代に水戸藩が「神崎岩」を笠原水道の岩桶などに使うために
採掘した跡と言われています。
また、水戸城まで通じた「抜け道」との説もありますが、確認されておりません、
謎の洞窟です。
ちょっと画像が多くなりましたが、時間の空いた時クリックしてみてください。