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ありし日の姿がもう一度甦る

2013-01-05 19:41:24 | ブログ

日本の鉄道の象徴的存在である赤レンガの駅舎 東京駅

東京駅丸の内駅舎は、大正3年(1914年)に首都の玄関として開業、

戦災で焼失した屋根と3階の外壁を創建当初の姿にと、2007年から保存・復原工事が行われ、平成24年(2012年)10月1日に復元開業したので早速、拝見、撮影に行ってきました。

テレビ等で東京駅ご存知と思いますが、復元開業に目を追われ以前からの東京駅を見落とされているのではと、2.3気がついたものを投稿してみましたので、時間に余裕を持って、東京駅に行かれ、チョット覗いてみては如何でしょうか

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中央口より地下に入ると銀の鈴があります。(出会いと旅立ちのランドマークです)

東京駅の待ち合わせと言えば此処、東京在住の人も、東京駅を初めて利用する人も、一番スムーズに分かりやすく出会える場所です。

東京駅の待ち合わせ、もう一箇所、丸の内地下北口にある、動輪の広場も親しまれています。東海道線を走っていた、C62-15型蒸気機関車のもので直径1m75cmもある大きな動輪が3つ並んでいます。

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銀の鈴             動輪広場

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また、大正10114日午後720分、内閣総理大臣、原敬は京都で開かれる政友会京都支部大会におもむくために向かっていたそのとき、一人の青年が飛び出してきて案内にあたっていた高橋善一駅長(初代)の肩をかすめ、いきなり刃渡り5寸の短刀で原首相の右胸部を刺した。原首相はその場に倒れ、駅長室で手当てを受けたが、すでに絶命していた。犯人は、原首相の率いる政友会内閣の強引な思索に不満を抱いて犯行におよんだと供述し、背後関係は不明であった。

【丸の内南口の改札口横にあるプレートによる】

昭和51114日、午前858分、内閣総理大臣浜口雄幸は岡山県下の陸軍特別大演習参観のため、午前9時発の特急「つばめ」号1等車に向かってプラットホームを歩いていた。このとき、一発の銃声がおこり浜口首相は腹部をおさえてうずくまった。かけつけた医師の手によって応急手当が加えられ、東京帝国大学医学部付属病院で手術を受け、一時は快方に向かったが昭和6826日死去した。犯人は立憲民政党の浜口内閣がロンドン条約批准問題などで軍部の圧力に抵抗したことに不満を抱き、凶行に及んだものといわれている

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