50年前の8月4日は日豊本線の宮崎~青井岳の間を行ったり来たりしてC57三昧...
先ずは田野の大カーブで上り列車です。
撮影当時、国道269号線の工事が始まっていたと思いますが、切り通しの脇の斜面を登るとこんな俯瞰が出来ました。
田野を発車した列車は井倉川の鉄橋(画面右端)を渡り、大きく左へカーブして眼下へやって来ます。上り勾配ですが、やはり夏場は煙が出ませんね。
1526レ、C579
この大カーブを下で撮ると...
画面中央の鉄橋が、上の写真で列車が渡っている鉄橋です。
550レ、C57112
C579は宮崎へ行って、581レを牽いて再び下って来ました。
清武~日向沓掛間、青井岳前後で3回撮影出来ました。車だと効率が良いですね。
写真は青井岳を発車する581レ、この後直ぐにトンネルに突入です。
夕方は宮崎へ戻り、大淀川橋梁を渡る列車を何本か撮影していました。
その中から、4次型192号機(お召し予備機でした)の551レを掲載。
1973年8月4日撮影
ここの大カーブは雄大な眺めでゆとりがあれば撮りたかった場所でした。
C57192、お召し予備機だっただけに磨かれた痕跡が残っていますね。
このカーブは田野から歩くと大分ありましたね。この時は車でしたが、その後徒歩鉄で行った時はタクシーを使ったような記憶が...
192号機は何度か撮れましたが、117号機の走行を撮れなかったのが残念でした。
1回目は、井倉川のサイドにべったり、2回目は2枚目の写真辺りで撮ってます。車が使えると効率いいですね。
駅から、器材担いで、井倉川の撮影ポイント行くのも、夏場だと辛かったですね。
井倉川の鉄橋サイドアングル、現在工場(倉庫?)が建っている辺りで撮ったことがありました。
田野から2枚目の辺りまで1Kmちょっとですね。歩いて20分くらいでしょうか...
でも、夏場で荷物持っていると帰り道がきつそうですね。
いいですねぇ。あたりの景色も今ではずい分変わったのではないでしょうか。
私は、門石(信)寄りの築堤、鉄橋でしか撮っていません。
無謀にも青井岳から田野に徒歩で向かおうとして大して歩かないうちに暑さでダウン。
幸運にも通りかかった軽トラに田野の街中まで乗せていただきました。
宮崎で初めて4次型のC57を見ました。
田野の大カーブ、はまゆう貯金の看板の辺りは住宅地になっているようですね。
門石寄りは清武川の鉄橋とその前後の築堤ですね。夕方の下り列車が良い光線でした。
青井岳から田野だと10Km以上ですね。自分も一の橋から上興部まで11Km以上を夏場に踏破しましたが、流石に疲れました。田舎の人は親切ですね。
実は広田さんや植松さん、南さんらの写真を子供のころからよく見ていて、田野付近や青井岳周辺の風景(もちろん無煙化後のものも)には憧れのような気持ちを持っていました。そして5年程前の冬に田野大カーブに行ってみました。草木が生い茂って視界がきかないばかりか、家や電線で似たようなアングルを撮ろうにも難しいと断念した思い出があります。その際には門石(信)方の清武川の築堤と切り通しにかかる陸橋からのカットを撮り、それだけでも追体験ができたと嬉しく感じたものでした。
それにしても50年前とはいえ、当時の日本の野や山がいかに美しいか。どれだけ人の手が入って整備されていたのかがよくわかります。いまや清武川の築堤も草ぼうぼうですし、往時の青井岳のスポットなど自然に還ってしまった場所も数多いですからね。※もちろん撮影者がいないからということではありません
実体験で美しい風景に出会えたというのは羨ましい限りです。
電化後に一度だけ田野付近を訪問したことがあります。1978年末でしたが、ポールが建った以外は変わらぬ風景でした。5年と45年の差は大きいですね。
昔は何処へ行っても築堤は綺麗でした。今のように草ボウボウ、灌木だらけの所は記憶に無いです。当時はそれが普通で、美しさを認識出来ていなかったです。良く有る、失って気が付いたことの一つですね。