ヒストリーゾーンに入って一番最初に目に飛び込んでくるのは1号機関車、日本で最初に走った蒸気機関車です。(今回は写真を撮ってきませんでした)
そのまま進んでヒストリーゾーンの中央部、ターンテーブル上のC57135が室蘭本線で旅客列車を最後に牽引した蒸気機関車です。1975年12月14日のことでした。
そして10日後の1975年12月24日、夕張線の貨物列車を最後に牽引した蒸気機関車がD51241です。翌年の4月に追分機関区の火事で焼失してしまったのは大変残念でしたが、こうしてプレートだけでも鉄道博物館に保存された事は良かったと思います。
上の2枚のキューロクも追分機関区の所属でした。12月24日に本線上から蒸気機関車が無くなって暫くの間、追分機関区で入換え用として活躍していたとの事ですが、これらも焼失したそうです。
そう言えば79602は門デフでしたね。また、39679は正面が形式入りのナンバープレートで魅力的なカマでした。従って、ここに保存されているプレートはキャブかテンダーのものですね。
最後に走った蒸気機関車たちの数奇な運命を感じます。
そのまま進んでヒストリーゾーンの中央部、ターンテーブル上のC57135が室蘭本線で旅客列車を最後に牽引した蒸気機関車です。1975年12月14日のことでした。
そして10日後の1975年12月24日、夕張線の貨物列車を最後に牽引した蒸気機関車がD51241です。翌年の4月に追分機関区の火事で焼失してしまったのは大変残念でしたが、こうしてプレートだけでも鉄道博物館に保存された事は良かったと思います。
上の2枚のキューロクも追分機関区の所属でした。12月24日に本線上から蒸気機関車が無くなって暫くの間、追分機関区で入換え用として活躍していたとの事ですが、これらも焼失したそうです。
そう言えば79602は門デフでしたね。また、39679は正面が形式入りのナンバープレートで魅力的なカマでした。従って、ここに保存されているプレートはキャブかテンダーのものですね。
最後に走った蒸気機関車たちの数奇な運命を感じます。
積み上げてきた年輪の違いに脱帽です。
D51の怨念と揶揄された追分の機関区火災。
ギースルの241号は保存と聞いていたので思い入れの
あるカマが残ってよかったと子供心に感じていた矢先の
悪夢に絶句しました。こうして新しい博物館で名残を
感じられるだけでも感傷に浸れそうです。
D51241と79602は調べてみましたが、撮影していない様です。(機関車の番号が分からない釜もあるので、不確実ですが)
3輌とも写真が出てくれば凄かったのですが、1輌だけなので、大したことはありません。(笑)
こうして思いも掛けず、撮影したことがある釜のプレートに出逢って、感動でした。
JZX81様はD51241運転の最終日に立ち会われているのですよね。
あの火事がなければ、最後に走ったD51として、ここに本体があったかも知れない、あるいは今頃復活して北海道内を元気に走っていたかも知れない、と妄想は膨らんできます。(爆)