気が大きくて気が弱いデザイナーの会社設立日記

大学在学中ですが、京都で「建築&ウェブ」のデザイン会社を友人4人で設立しました。

8時に出社してみました。

2006-10-23 18:36:22 | なぜ会社を設立したか
今日は心機一転、8時に出社してみました(^^)

朝って人多いっすな~。

いちばんびっくりしたのは、
小学生の集団登校とか、
高校生の多量の信号待ちとか。

ひさびさに見た、あんな、よーけ。
通勤時がちょうどその時間にぶちあたったんでしょうけど。

子供のときって、否応なく朝早かったんだな~。と
改めて発見。

しかし、1年以上かけて行ってきた、ohen朝型改造計画も
なんとか社会人が板についてきたのか、
実を結んで参りました。

大学のときとか朝早いだけで、極端に気持ち悪かったし…、
ぜったい自分の体質って早起きには向かないんやわ、
って思ってたんやけど。
ちゃんとリズムを作る努力をすれば、できるようになってくる
もんだなって。まぁまだ未完成なのですが。

そして8時に出社したのに、ブログに書き込んでたら、
本末転倒ですな(笑)

京都という地方都市

2006-06-23 00:58:03 | なぜ会社を設立したか
「どの場所で働く」ということに関していろんな選択肢があったと思うのですが、自分は生まれ育った地である「京都」で会社を設立しちゃいました。だからたぶんこれからずっと京都で働くのと思います。

「東京で仕事をする」っていう選択肢もありました。チャンスも動くお金も大きいし、仕事の対象となる相手も多いから、有利に働くことが多いですよね。自分もその選択肢を取れた。でも、京都という場所で動くことにした。

京都を選んだ理由は、生まれた町、好きな町、という以外に、きっと強い物があるとは感じています。でも言葉にはまだできないです。

「東京一極集中」の世の中だからこそ、「地方都市で仕事をする意味」はしっかり持っていたほうがいいと思うのですね。だからそれを今後、ちゃんと口に出せるように考えていきたいなと思います。

手始めに京都の人口から調べてみました。全国15政令指定都市+東京特別区で16中「7位」の140万人。意外と上位かも?
ちなみに1位東京は839万人、2位横浜は350万人。

あと、昼間人口が重要で、2000年のデータですが、東京は1100万人、京都は150万人。約7倍の差ですね。しかし京都は他県からの流入者が少ないなぁ(笑)そら排他的と言われるわ。
今日のところは、てなところで。

<出典>
政令指定都市人口 http://glin.jp/cpf/seirei.html
昼間人口・夜間人口 http://glin.jp/arc/arc.cgi?N=30
表は、出典を元に独自に作成

会社設立1年半(まであと3日)

2006-06-01 01:36:41 | なぜ会社を設立したか
6月4日で会社設立から1年半です!なぜ「3日前?」っていうと、ちょうどその日に書けるかどうか自信がなかったので。なぜ「1年半?」っていうのは、1年のときは振り返る予定がまったくないほどバタバタだったのです(T.T)

この1年半、まさに「紆余曲折」「波瀾万丈」。でも、ほんと何も分からないながらも手探りで進んでいたら、最近だいぶ仕事っぷりがまともになってきたような気がします、と多少、自画自賛(*_*)自分だけでなく、周りのパートナーを見ていてもですが。われわれもようやく、仕事を遂げていくことが、身に付いてきたのかも知れません。

こうなってこられたのには、大きな理由があります。今、うちの会社には、共同主宰の4名のパートナーの他に、常勤のスタッフさんが2名居てくれています。また頻繁に顔を出してくれるバイトさんもいます。これが本当に大きなことです。一人増えるたびに、ヒシヒシとその人の力を実感するのです。人間ひとりができることっていうのは、すごく大きなコトなんだな、と。スタッフの時間を借りることで、作ることができるわれわれの時間。この余裕のおかげで、心や体に余裕ができて良い仕事ができたり、スケジュールを守って仕事をできるようになってきたのだと思います。(もちろんまだまだヒヨッコだし、全然、完璧ではありませんが…。)

社会人を始めてから学んだことは本当に多いです。(まだ院を修了してねーだろ、というツッコミはナシ(..;))

とにかく「1にスケジュール」「2に予算」。普通に働いている皆さんにとっては、とっても当たり前のことですよね。けど、われわれは最初はこの重要性がどのくらいかさえわかってなかった…。「どれくらい現実のものとして捉え、どのくらい正確にこれらの予測を立てるか」が、社会人への第一歩なんだな、と感じています。というか「それが仕事」くらい重要なことなんですよね。

すべてを自分たちだけでやっていたときは、このスケジュールや予算を立てた上で自分たちがすべてのデザインもしなければいけなかった。しかも社会人経験のないヒヨッコたちが…(←ていうかこれが問題なんですね、ベテランの人は1人でもやっておられるから。)結局、無理をしまくってて、休みもないし、徹夜も当たり前で、心も体も崩壊してました。いま、人が増えて、自分たちも少しずつ仕事に慣れ、少しはこなせるようになってきたのかなと。もっともっと予測の精度をあげ、デザインのクオリティを上げること。その努力で自分たちを高めていかないといけないのだな、と気持ちを新たにしたいと思っています。

この1年半の間に、ひよっこの我々に仕事を頼んでくれたこれまでのクライアントの皆様方が、われわれにこんなことを教えてくれました。仕事を頼んで頂いただけでなく、われわれを育ててくださってもいます。本当にありがたいな…と。また恩師であり顧問であるホイヘンス氏が、折に触れアドバイスを下さり見守って下さっています。他にもたくさんの方々からのアドバイス…。これらがなかったらもう倒れていたかも…。

一番大事なもの、それは「人」ですよね。人との繋がり、人の期待に応えること、人の信頼を裏切らないこと。何よりも大事なことです。その手段としての「スケジュール管理」「予算管理」、そして「成果物のクオリティ」なのかなと。難しいし…できてないことも多い。それが身に染みてきてつらくもなりますが、がんばります!

いいんかな~1年半の振り返りってこんな感じで(^_^; 青いことを書いている気がして気恥ずかしいですが、青いときに感じていることはそのときにいろいろ書き残しておきたいなと思いまして。半年後に自分がこの文章をどう思うか、楽しみです。
では、また半年後に。

自分の中の「悪魔」と戦う方法

2006-04-16 23:39:54 | なぜ会社を設立したか
とある宴会の中、企業の要職に就いておられる方とお話しをする機会があった。

「自分は、どんなにしんどいときも、どんなにつらいときも、そんなときだから、背筋を伸ばして歩くようにした。自分はそうやって前に進んできた。なぜなら、悪魔は弱いものにやってくるから。つらいからと言って、背筋を丸めて歩いていたら、そこに悪魔はやってくる。そして余計につらくなる。ぴしっと自分がしていたら、そんな悪魔はやってこないもんだ。」

この話を聞いたとき、その悪魔は「自分の中にある弱気や絶望感…悲観的に考えることだ」と私は思った。「ひょっとして悪魔は自分…?」そう相手に投げかけると、「そう、悪魔はほとんどの場合、自分の中にいる」と答えて下さった。

自分のことを考える。激務の毎日の中、休み暇がないときは、本当に身体が疲れる。それと同時に精神も疲れてくるのは実感している。身体が疲れているとき、目が死んでくるし、実際背筋も曲がっている。そのときの自分の中には、弱気や絶望感に満ち満ちている。そこで背筋をピンと伸ばすことができたら、「病は気から」というようなもので、悪魔(=悲観)を、追い出すきっかけになるのだろう。

しかしこれは簡単ではない。自分の中が悲観に満ち満ちているとき、そこでしゃきっとしようと背筋を伸ばすのは、並大抵のことではないのだ。そんな気持ちを持てないからこそ、悲観の渦に巻き込まれているのだから。

ただ今回の話しをきっかけに考えたのは、絶望の谷の中にはまりこんでしまったら、そこからはい出すことはとても難しい。自分が絶望の淵のギリギリのところにいるときに、踏ん張れるかどうかが大事なのではないかと思った。その踏ん張る具体的な方法の一つが、「自分の背筋を伸ばすこと」なのではないか、と。

自分が落ちそうになっていることを、少し離れたところから自分を眺めて「意識」すること。まず、これができれば、ひとまず落ちなくて済みそうだ。その淵で粘れるかどうかは、自分の力なのだと思った。そこで背筋を伸ばそうとできる精神力を自分は持っているのかどうか。

今まで「精神力でカバーする」と言って、戦ってきていた。しかしこれは漠然とした上に、めちゃくちゃ大きなもので、大変だった。でもそこで精神力…、とても具体的な「自分の中の悪魔との戦い方」を教えてもらったような気がする。

普段、立場や仕事の違いから話すきっかけがなくて話せなかった人と、突然こういう話しができる。そして大事なことに気づくことが出来る。だから食事やお酒の席は楽しい(^^)そして人の話には発見がいっぱい。

「落ちる前に、落ちそうなことに気づくこと」
「気分を切り替えるため、自分を客観的にみること」
「絶望の淵から、希望の方へ歩こうとする意志を持つこと」

春の人事異動

2006-04-01 23:31:05 | なぜ会社を設立したか
今日は4月1日。新しい年度がやってきました。そして昨日3月31日末を持って、新しい職場に行かれた方もいるだろうし、人事異動になられた方々も多いのではないかと思います。「春の人事異動」。といっても、極小企業の弊社にはもちろんありません(..;)異動どころか事務所1室だけの弊社には、移動すらありません(^_^;

それではなぜこの話題なのか。その大きな理由は、週に3日ほど出入りしている、とある企業でのことがあってです。実は私は、会社設立前の2004年の10月、業務委託スタッフとして、とある会社の一角にデスクを頂き、週に3日ほど出勤することになったのです。それは会社設立をした後も続き、現在に至っています。

極小企業を経営しながら、大企業の中で働く。本当に良い経験をさせて頂いていると思っています。その中で、今年特に意識し、感慨深い思いをし、感心もしたのが「人事異動」です。この春、本当に数多くの方々との別れ…、異動による送別会にたくさん出席させて頂きました。同じフロアに居て、一緒に仕事をしていた方が、違う部署に行かれること。自然としょっちゅう顔を合わせていた方と、もう何かの機会がないと会えなくなること。それは寂しさを感じます。

大企業には転勤や異動がある。親も自営業で、自分も会社を経営している身から思うと、慣れた仕事を離れ、上や人事の命令で勝手に異動されるなんて、なんて理不尽なことなんだろう、と、この企業で働くまでは思っていました。しかし今年の人事異動を経験して、違う見方ができるようになりました。

人事異動される方というのは、大きな企業においての「情報とノウハウと、そして気持ちの伝道師」なのだと思ったのです。

同じ会社といえども、部署が違えば、会ったことがない、顔も知らない、名前も知らない、そんなことは日常茶飯事のようです。しかし、他部署と連携して進めていくことで、はじめて効果のでるプロジェクトはたくさんあります。またそんな大げさなものではなくても、ちょっとした質問で、他部署の人と5分話しをすれば、明らかになるけど、聞かなきゃ全然わからない、そんなことも会社の中で仕事をしているとたくさんあるようです。そんなとき、自分が一緒に1年以上仕事をしたことのある仲間が相手方の部署いると、話しのし始めが、スムーズに進んでいるように思います。

また部署が違うと、いろいろと仕事の進め方の方針が違う部分があって、それは違う部署の人間からはわかりにくい。それが自分の部署に、相手方の部署の経験者がいることによって、相手の考えていること、考え方がわかる。そうなると一気にコミュニケーションは取りやすくなります。

この関係が、網の目のように繋がっていて、大きな組織が成り立っている。一本一本の線がネットのように繋がり面の広がりになっていく。経営陣が示す会社の大きな目標とやり方、そして現場で繋がるその線の両方が伴って、組織は円滑に動いていく。ひとつの「群(ぐん)」としての強さを築いていく。そういうものなのかなと感じています。

人事異動をされていく方々を見送る時、「自分たちの思いが、全社に染み渡っていくのだ」という気がします。一滴の水染み渡っていくように。

仕事。会社。自社内でも他社相手でも、すべては「人と人」。どんどん実感としてカラダに染みてきます。もっと会社のこと、社会人たることを経験していくと、全然違ったように感じるのかもしれません。でもこの自分の中では、この想いを残しておきたいと思いまして…まとまってないけど書きました。

実はこの会社とは、全然関係ないところでも、この春から社会人になったり、転勤になった友人たちもたくさんいます。新しい環境に行かれた方々のご活躍を心より期待しています。そしてこの春お別れしても、きっと縁の繋がるみなさんとまた一緒に何かができる。そう思って、そのときを楽しみにしています。

なぜ会社を設立したのか?[3]

2005-08-17 04:37:24 | なぜ会社を設立したか
正直、若者が建築の道(特にデザイン)で食っていくのは大変です。

非常に狭き門をくぐり抜ける「大手設計事務所・ゼネコン」へ進む道。
また、作家的建築家が代表を務める「アトリエ系事務所」で、
とても食えないような給料で「修行」をするか。
極端に言えばこの2択です。(極端すぎるか?)

まぁでもある程度事実(..;)
自分はそこで悩みました。

大手設計事務所では、安定した雇用が期待できますが、設計に携われる保証はなく、
また設計に参加したとしても大きなプロジェクトの一部分のみだったりします。

アトリエ系では、ひとつのプロジェクトを1から10まで自分の担当でやる機会も多く、
設計をするすべてのプロセスを経験することができます。
ただしよく言われる月給8万円という給料…。基本的にワンマンな代表建築家。
よほどその建築家のことを尊敬したり信頼したり、経験のためと割り切らないと
難しいですね…。

で、悩んだ結果、「どっちでも無理!」って思ったんですね。
そして、第三の選択肢が「起業」でした(笑)

先の投稿で書いたように、大学の恩師「ホイヘンス」がサポートをしてくれるという
という力強いサポートもありましたので。
ある意味、アトリエ系の建築家のサポートを受けながら、
自分たち社長が方針を立てて、好きな方向に走ることができる。
そういう環境を作ることができました。

もちろんマイナスの分も大きくて、たとえば強制的に所長や先輩から教わるということがないので、
すべて独学や手探りで学んでいかねばならないこと。
同じような理由で、4人の社長の経験値がほとんど同じなので、失敗しそうな状況を
見通すようなことがなかなかできないことです。
経験を得た結果うまく行くような仕事に関しては、基本的に最初は大変だということですね。

あと、お金の面ですけど、アトリエ系のことを書いたところで「めちゃやすい給料」のことにふれましたけど、
けっきょく、我が社の社長の月給も同じです。しかも設立以来まだ未払い(笑)
8ヶ月給料未払いは、さすがに人に言うと「引かれて」しまうことも多くなったので(..;)
そろそろ「初任給」を会社から出そうかと、社長たちと相談中です(^^)


※写真はまた本文とは関係ない「とっとりフラワーパーク」です。
私の好きな建築のひとつです。
起伏の激しい土地の中を、高さの変わらない円形のブリッジがかかっています。
時には10m上空を、時にはトンネルになるそのブリッジは、いろいろな視点を
訪れる人にもたらしてくれます。
「空からUFOが回転しながら降りてきて、地面に着陸した」
そういうイメージで設計されているとのウワサ。



なぜ会社を設立したのか?[2]

2005-08-16 02:06:32 | なぜ会社を設立したか
なぜ会社を設立したか。昨日書いたことは、
主にWEB側の起業した理由だったと思います。
うちの会社は主に「建築&WEB」。
自分が大学で専攻している「建築」の分野において、
なぜ起業しようとしたかを書いておかないといけないでしょう。

これはひとえに、大学の恩師である建築家との出会いがあってのものです。
この建築家はこれから頻繁に登場するでしょうから名前が必要ですね。
とある由来から「ホイヘンス」と呼ぶことにします。

「ホイヘンス」は、様々な質の良い作品を作っている建築家で、
1回生のときに配ってもらった事務所のパンフレットを見て、
「なんかわからんけど、すごい!」と思った記憶があります。センスがとても良いと感じました。
自分の感性に一致する部分がすごくありました。

ホイヘンスは実は建築の道では有名な建築家なのですが、とても気さくな性格の持ち主で
偉そうぶるということもなく、恩師と生徒という関係ではありましたが、
25歳の年の差はありますが、友人とも言えるような非常に親しい関係を築くことができました。

自分が大学院修士1回生のとき、就職をどうするか決断しなければいけないタイミングのとき、
「建築の仕事もWEBの仕事も続けていきたい。自分で起業をしてみようかと思うのですけど、
どう思われますか?」と相談してみました。

建築設計の仕事で特にデザインの分野では、大手の設計事務所に行くか、
アトリエ系事務所と言われる建築家と少数スタッフで構成される事務所に行くなりして、
5年から10年修行をしてから独立するのが一般的なのです。

ですので、私の進言は常識的に言えば無茶な話なんですね。

でも、そこでホイヘンスは、
「今は時代も昔と変わったし、仕事さえあれば、最初から独立してやっていくことも可能でしょう。
ウェブサイトとかで建築家としての情報発信もできるし、いいものをひとつひとつ作っていけば、
必ず仕事も依頼されるようになる。やってみたらいいんじゃないかな。」という言葉があったんですね。
また、「君がそういうことを始めるというなら、おもしろそうだし、僕はサポートするよ。」
という言葉もありました。

この言葉に、ドンと背中を押されたという思いでした。
「いっちょやってみようか!」そう決意しました。
2003年の冬のことだったかと思います。

なぜ会社を設立したのか?

2005-08-15 04:29:57 | なぜ会社を設立したか
「なんで会社を設立したの?」
まわりの友人や先輩や後輩からよく聞かれることです。

ビルゲイツや孫さんやホリエモンがいかに取りざたされ
若手が起業するベンチャー企業という話題がいろいろマスコミをにぎわしていても、
25歳で起業するやつって、やっぱりある程度、珍しいわけなんですよね。

といっても、起業してからは、同い年くらいの起業した人たちに出会うことは
よくあって、しかも僕らよりももっと早く始めてたりとか、
同い年ですでに大きな規模で仕事してたりとか。
すごい人はいるところにはやっぱりいます。

で、本題ですけど、なぜ会社を設立したか。
いっぱいあって、どれが一番かはわからないんですが…。

ひとつは、学部の時代からバイトでやっていた仕事が好きだったので、
どこかの企業に就職することでやめたくなかった、ということです。

大学3回生のとき、とある縁から、あるアパレルメーカーのオンラインショップで
画像作成のバイトを始めることになりました。
このオンラインショップ、今ではけっこうな規模になっていますが、
当時は開店直後でまだ小規模でした。

バイトと言っても、シーズン毎にオープンの日があるので、
かなり厳密な納期があって、ほとんど請負業のような、そういう仕事でした。
商品の撮影から色補正から画像の加工まで、
そのオンラインショップで扱う数百にも及ぶ画像をすべて自分で担当しました。
ひとりでは手が回らなくなり、徐々に回りの友人の助けも得て、
その後、2年間ほど自分たちだけで、このサイトの商品画像の作成をしていました。

始めた当時、ある程度ウェブサイトを作ったりしてはいましたが、
プロというにはほど遠い自分、経験の浅かった自分を登用してもらって、
いろいろな経験を積ませてもらったこの会社・このサイトには本当に感謝しています。
そして、この仕事を通じて出会ったみなさまとは、僕としては本当に「仲間」と言えるような
関係を築くことができたと思っています。

ひとつのオンラインショップが、本当に一から作られていき、
どんどん拡大していくところを間近でみることができて、
またその一部を自分が担えたのは、すごいいい経験でしたし、今でも大きな喜びです。



と、過去形のように書いていますが、最初に言ったとおり、この仕事をやめたくなかったんですね。
自分の「仕事の上での原点」と言っていいこの仕事を大事にしたかった。仕事も仲間も。

ということで、会社を設立した今、このサイトの仕事は
今でも僕らの業務の大きな部分を占めています(^^)

今ではサイトの規模が大きくなり、自分たちだけですべての画像を作成するというようなことは
なくなりましたが、それでも当初よりははるかに多い量の画像を作成しています。

小さなところからはじまったこのオンラインショップは、日々拡大を目指して突き進んでいます。
このサイトの発展とともに、僕らの会社も発展していきたい。
また今まで以上に、もっと能力を高めて、このサイトの発展に貢献したいし、
また自分たちも一緒に成長していきたい。

そう思っています。


会社の設立

2005-08-14 20:29:28 | なぜ会社を設立したか
大学の友人たちと今年の1月にデザイン会社を立ち上げました。
いわゆる1円資本金企業(確認有限会社)というものです。

自分は大学と大学院で建築を専攻していまして、
今も実は在学中…休学の身ですが。

4人のパートナーとは、みんな同じ大学の同じ学年で、研究室も同じ。
いわば、6年間、同じ道を歩んできた仲間たちです。

会社の主な業務は、建築デザイン、ウェブデザイン、印刷デザインの3本柱です。
デザインする分野は多岐に渡っていますが、
どれも建築で身につけた基礎が生かせる分野だと考えています。

貧乏暇無しとは申しますが、会社を設立してからの8ヶ月、
毎日本当に忙しい日々を送っています。
1日1日が駆け抜けて行って、
冬からはじめて…今が夏であることが本当に信じられないくらいです。
でも生まれたての会社が忙しいこと、これは本当にありがたいことです。

設立した今年、全速力で駆け抜ける「1年」と思っています。
2006年1月で1周年ですが、そこをどう迎えるか。
そこで第1年目を振り返ったとき、自分たちがどういう風に思うか。
おそらく一瞬、立ち止まって考える時なのかなと思っています。

今はひたすら走る。そんな感じでしょうかね。