<**知見紀行**> HOME

気ままな散策に出かけた寺神社、風景、人、城跡、歴史建物、花などです。写真は他に転載禁止

本證寺

2005年07月15日 | 愛知県の城
愛知県安城市の本證寺 1563年三河一向一揆のとき家康と戦い取り壊されたが、20年後に再興された。(城郭伽藍) 本堂前の広さに、びっくり。  HOME戻る                          愛知県城へ戻る . . . 本文を読む

知多市岡田の町並み

2005年07月13日 | 風景と散策
愛知県知多市の岡田の蔵を見に行ってきた。 江戸、明治の時代から知多木綿の[岡田]。たくさんの蔵が建てられたと言われている。 現地町並み案内板 竹内康裕家の土蔵 明治に建てられた知多木綿のメーカーで生子壁の蔵は職人が日露戦争に従軍しても、なまこ壁の工事が行われてたと逸話が残る手間のかかった物と現地説明に記載あり。 現地説明板と蔵 岡田簡易郵便局、明治32年に開局され昭和4 . . . 本文を読む

沓掛城:

2005年07月13日 | 愛知県の城
愛知県豊明市の沓掛城 織田信長が桶狭間の戦いにて攻め落とした城でもある。 沓掛城本丸と説明 城碑と説明板 本丸北の空堀 本丸西の空堀 説明石碑 久しぶりに見ましたが以前とは違い空堀には花が植えてあり立ち入れない。 沓掛小学校生徒達につかまり、写真の要請ありネットにて送るよと約束し帰路。  HOME戻る                        . . . 本文を読む

金のシャチ舞う

2005年07月09日 | 名古屋市の城
名古屋城の金のシャチが戻ってきた。 三月三日に降ろし名古屋城博にて展示されていた。 本日、曇りながら大勢の見学者の見守るなかシャチが動いた。 左側がオス、右側がメスで、レディファーストから動き出す。 左側がメス、右側がオスです。目玉の違いがわかるかなー。 メスから天守閣屋根へ 続いてオスが天守閣屋根へ シャチが無事設置された。二の丸から。 今回の進行と説明の . . . 本文を読む

北国脇往還

2005年07月07日 | 街道と宿場
滋賀県の伊吹町(現在は米原市)北国脇往還を散策した。 関ヶ原から中山道と別れて、敦賀方面に行く街道。 今回は藤川宿と寺林宿へと向かった。 藤川宿の陣屋(林家) 藤川宿の蔵 藤川宿の藤原定家の屋敷跡と言われている。 この道を写真左へ行くと藤川城跡があると言われていたが、何もなかった。 寺林宿へ入った。街道の名前が北国海道となっていた。 寺林宿は小さな集落であり、光 . . . 本文を読む

関ヶ原決戦地

2005年07月07日 | 歴史関係(その他城跡)
岐阜県の関ヶ原へ久しぶりに出かけた。 徳川家康の陣地 松尾山、石田三成側から決戦地を見る。 石田三成の家臣 島右近の馬防柵再現。 決戦地。左上に石田三成側の松尾山が見える。 写真の旗印は左が石田三成の家紋、大一大万大吉(ダイイチダイマンダイキチ) 右は徳川家康のおなじみ三つ葉葵。 決戦の時の村人は伊吹の山から見ていたと言われている。今日は天気が良かった。  H . . . 本文を読む

政秀寺

2005年07月03日 | 神社と寺関係
名古屋市大須の万松寺から10分程北にある政秀寺(せいしゅうじ) 平出政秀(ひらてまさひで)の菩提寺。 織田信秀の死後、信長の行状が改まらず、平手政秀は領地の志賀村で諫死した。信長は政秀の忠烈を惜しみ寺を創建した。清須から1610年に名古屋の現在の場所に移したと言われている。 説明板は寺の中に立てられており、望遠カメラが必要。 近代的な建物になっている。  HOME戻る  . . . 本文を読む

小林城

2005年07月03日 | 名古屋市の城
名古屋市の大須にある万松寺から5分程に小林城跡がある。 西参道前にある説明。 現在の清浄寺、この奥に墓がある。 小林城主の墓、修復の痕が見られる。以前に来た時には感じなかった。   清浄寺東門  HOME戻る . . . 本文を読む

万松寺

2005年07月03日 | 神社と寺関係
名古屋市大須にある万松寺 織田信長の父、信秀公の廟所。享年42歳1552年3月3日病没。 現在は近代的な建物になっている。ここでの葬儀にて、信長が抹香を手ずかみにて位牌に投げつけた。事件が伝えられている。信長18歳の時。 万松寺説明板 万松寺内にある説明。 万松寺前から 不動明王、身代わり不動明王と言われている。1570年織田信長が越前の朝倉を攻撃した帰りに琵琶湖の . . . 本文を読む