福井県敦賀市の敦賀城跡へ
城は焼けて城跡のみであるがいろいろ探すと見つかります。
西小学校に説明の石碑がある。反射して撮影は困難。
1583年蜂屋頼隆が五万石の敦賀城主となり、城主病死後豊臣秀吉配下の大谷吉継と交代した。三層の天守城を整備した。城主は関ヶ原の戦い後西軍に参加し自刃した。そのご一国一城令が1615年に発令され城は焼かれたなど記載されている。
旧国鉄敦賀港駅舎に敦賀城の模型が展示されている。水路の右に城がある。さらに幻の城の天守閣の模型もあるので訪れたときは参考にしてほしい。先にこの場所で情報を得て探すと判りやすい。
真願寺の前に城跡碑と説明がある。
真願寺本堂前には敦賀城の礎石がある。
来迎寺には移築された敦賀城門があった。住職の話では瓦は最近の物であるとの事。
本堂も見ごたえがある建物です。
永賞寺には敦賀城主 大谷吉継の供養等があるが、今回は時間切れで帰ってきた。