外からの情報を理解する手段を絶たれたも同然。言葉と文字の存在すら解らないのだ。
肌の感覚でしか外からの入力が無いから、どのようなルールで行動してよいのかわからない。
あるいはルールというもの自体の“有る無し”もわからないのだ。
当然、“わからない”も解らない。
こうなってくると体の対話で関わりを伝えていくしかないのだ。
肌の感触が唯一の入力なら、生き物の本能を利用する。
叩けば痛い。 優しく撫でれば気持ちがいい。 要するに○か×で接触していく。
火を直接手でつかもうとすると火傷をする。 火傷の熱さと痛みを体で覚えてしまうので、火を見ただけで
その感覚がよみがえってしまうのだ。 そして二度と火に触れないように警戒する。
赤ん坊の脳の入力と同じである。
できるだけ正確に「あつい」「寒い」「痛い」「かゆい」等を伝えたいから
唇を巧みに動かし、やがて言葉を発するようになる。
そうなると赤ん坊は急速に成長し、言語を覚えるが、視覚 聴覚の無き者は平行線である。
永遠に言葉を覚えることは無い。
ただ、独自の行動パターンを創りあげ、気持ちの良い行動だけを取るようになる。
やさしく撫でてくれる人がいるから、もっと撫でてもらえるようにしよう
痛いのはイヤだからね・・・・・
私たちは ちゃんと意思を伝える手段を なに不自由なくもっている。
なのに それを伝えられないでいる。 なぜだろう。。。
都合の良いものしか目に映らず、見て見ぬふりをし、自分の足元すら見ない。
耳があっても聞こえないふり、 聞いているふり、 耳に入るは役に立たない雑音ばかり。
まともな情報が入らないから、 考える言語を忘れてしまっても無理は無い。
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