日暮しトンボは日々MUSOUする

何も無き時代の豊かな遺産



ここ数年、テレビなどで古い街並みや商店街などが、話題のスポットとして
紹介され、連日押し寄せる観光客で賑わっている。 
昭和の懐古的遺産が経済の活性化に繋がるというのは良いことだと思う。
しかし当時のものがそのまま保存されている(あるいは残っている)ものなら
まだいいが、テーマパーク形式に、わざわざ新しく古いものを模して
再現する(作る)というのは如何なものか。
そこはただ環境の一部を切り取ってビジュアル的に伝えるだけの構成であり、
知識としては極めて貧弱なものだ。 
当然のことだが、そこには自然の厳しさや不便さはない。むしろ知る必要はないのだ。

昔はそこで暮らすだけで自然環境は厳しく、自分の親も周囲の大人さえも
何もかもが厳しかった。
今みたいにアスファルトではなく、バスが通るたびに砂ぼこりが巻き起こる道路。
むせ返るような夏の木々の青臭さ。 幼稚園に30分かけて一人で歩いて通い、
夜になると暗闇が襲いかかって来た。
想像力を育む素材がその時代にはたくさんあった。
誰もが貧困で当り前だった時代には、頑張って努力して働いて、
少しでも楽になろうという目標が目の前にあった。

今は、当時の私たちが欲しくてたまらなかったものが最初からそろっている。
空想の産物でしか無かった物が目の前にゴロゴロ存在するのだ。
私たちから見れば羨ましい限りの満たされた生活の中で、今の子供たちは
何を希望するのだろうか。
得体の知れない不安に怯え、満たされない毎日を過ごす彼らは、永遠に物足りなさを
引きずりながら狭いケージで生涯を閉じる恐怖を抱え込んでいるようにも思える。
私たちが育った時代は、ある程度文化が整った現在よりか遥かに生活レベルは低かったけど、
今にして思えば それがヒト同士が生きていく上で必要な教訓を
たくさん叩き込まれたような気がする。
そのせいかは知らないが、田舎の風景が好きなのである。
ただの懐古主義ではない何かが、ヒトではなく「生き物」として魅了するのだ。



    







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