▼菅総理と安倍前総理との違いのひとつは、委員会への臨み方です。
その違いのなかには、委員会の到着時間の違いもあります。
安倍さんは総理時代、予算委員会などに、ぴたりと開始時刻に合わせて到着されました。
総理を退任されてからも、たとえば10月27日の護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) 創立1周年記念総会へ参加されるときもそうでした。
開会時刻が迫っても登場されないので、ぼくは隣の山田宏・護る会幹事長に「安倍総理は、総理在任中と同じく、時間ぴったりに来られるのかなぁ」と思わず、声をかけました。
山田幹事長は即、「そうでしょう」と仰いました。
その通りでした。
▼安倍さんだけではなく、総理、あるいは総理経験者は総じて、こうです。
ところが菅総理だけは、かなり早く来られます。
ぼくは予算委員会も他の委員会も、どんな会合でも基本、誰よりも早く着座します。
これは議員になった瞬間からぼくがおのれに命じて実行している大きな変化のひとつです。
それまでの長い日々、子ども時代から、全くそんなことはありませんでした。
合理的な時間にぴったり、間に合うように、来ていましたね。
しかし議員になったとき、「これからは不合理なこともあえて、やる。いつも雑巾がけをやる」と勝手に決心したのです。
もちろん、ぎりぎりまで他の委員会や公務が入っているときは別です。早めに来ることが物理的にできなくなります。本末顛倒はやりません。次の委員会に早く入るために、現在の公務がおろそかになってはいけません。
そのうえで、予算委員会ではふつうの場合、この4年4か月近い議員生活のすべてを通じて、おのれが着座してから、他の議員が来られるのを見て、閣僚が入られるのを見て、それから総理が入られるのを待ちました。
ところが11月5日木曜に始まった、菅総理にとって初めての参議院予算委員会では、総理が、ほとんどの閣僚よりも早く着座されました。
ぼくは総理の席に行くべきかどうか、迷いました。
菅総理は間違いなく、これからやらねばならない答弁に集中されています。特に、日本学術会議の件であることも、明らかでした。
しかし一方で、武漢熱をめぐって海外の同じ日本人、同胞、はらからも支援するという当たり前のことができていません、未だに。
▼まず安倍政権下で、自由民主党の外交部会がいったん、あっさりと外務省の「技術的に難しいです」という主張を受け容れてしまいました。
当時、外交部会の末席の副部会長だったぼくは、外交部会の正副部会長会議 ( つまり役員会 ) の場で「こんな理不尽にして不誠実なことを同胞に対し、平然とやることに強く抗議します。これが自由民主党のやることか。現状では副部会長を辞任します」と憤激して述べ、その後に長い紆余曲折があって、ようやくにして良心的な中山外交部会長 ( 当時 ) と誠実な岸田政調会長との連携のもと、外交部会案を正式に決めました。
そこに至るまで、二階幹事長をはじめとする党内での根回しはもちろん、政府側に対しても、安倍総理をはじめ、当時の菅官房長官や杉田官房副長官、あるいは官房副長官補、さらに秋葉外務事務次官らに根回しを続けました。
ところが決めた案を、党がなかなか政府に提出してくれません。
そこで再び水面下で動き続けて、やっと政府に正式に提出しました。
ところが政府から回答が出ません。
回答が出なくても、党は外交部会も政調もしんと沈黙したままです。
不肖ぼくは、それまでも前述のように安倍総理に、直に何度も交渉していましたが、ついに覚悟を決め直して、安倍総理にいわば最後通牒として「海外の同胞も同じ日本人、日本国民です。このまま放置なさるのなら、すべてを国民に明らかにして、政権のあり方を徹底的に問います」と申しあげました。
すると安倍総理から「菅さんに託するから、菅さんと交渉してほしい」と電話がありました。
菅さんと、一対一で、ある指定の場所でお会いすると、「党の案では不公平になる」と仰いましたから、ぼくは菅官房長官の眼を見て、とっさに方針を切り替え、新しい案を作ることを提案しました。
すると菅官房長官は、杉田官房副長官に「青山先生と相談して、新しい案を作るように」と明確に指示されました。
▼この官房長官指示の効果で、外務省は、良心派も動いて、新案を作りました。
ぼくは、ほんとうは不満が残る案ながら、とにかく1日も早く海外同胞への支援を実現するために、呑みました。
ところが内閣の交代という重大事にも翻弄されるまま、いったんは政府内で諒解もあったこの案がまたしても、否定的な動き、難癖をつける発言に水面下で晒されるようになりました。
そこでぼくは再び、意を決し、菅義偉・新総理とじかにお話をし、その結果、第三の案を作ることで合意しました。
外務省はこれを受けて、第三の案を作る作業をしています。
ところが何もかも遅い日本政府が、こうやって遅々として海外同胞への支援を実行しないまま、10兆円を積み上げているはずの予備費の使い道が、実質的にはほぼ決まってしまう情況となっています。
そこで第三次補正予算案に組み込むようにと、第三案の作成を何度も何度も無限のように外務省のお尻を叩いていますが、いまだ具体案が出てきません。
この第三案は、あくまでも菅総理との合意によって作成に着手しているものです。
そこで11月5日、予算委員会が始まる前の短い時間に、ぼくは菅総理に歩み寄り、頭を下げて「海外同胞の支援をあらためて、必ず、お願いします」と申しあげました。
菅総理は「はい」と、ぼくの眼を見てお答えになりました。
▼上述の記載は、実際にあったことの、大袈裟でなく百分の一程度です。
そもそも、党の案、新案、第三案、いずれも中身を明らかにしていません。
だから、一線を踏み外してはいません。
しかし同時に、この醜態は、安倍政権、菅政権を問わず、官僚の嫌がることはできないという日本のまつりごと、政の象徴です。
なにより、海外の同胞が実際に救われていません。
それは、消費増税に苦しむ人々が実際に救われていないのと、同じです。
だから、これからも、きょうも、消費減税への新たな試みを含めて水面下で挑み続けます。
そのために、このエントリーを未明に記しました。
消費減税についても先日、キーパーソンのひとりとお話をしました。その人物が「水面下の話なら応じる」と仰ったので、お名前を記せません。
安倍総理時代の水面下での合意が、まさかの政権交代によってふいになった以上、新しい試みがここでもどうしても必要です。