用事があって、暮れに故郷に行って来ました。私の故郷は瀬戸内の尾道です。古くから北前船の寄港地であったり、荘園のお米を送る港でもあり、栄えていました。往事の商人の繁栄ぶりを示すように、街中には海の安全を祈願するため豪商が寄進して作られたお寺が、次の写真右手手前側の市街地に、25ものお寺がひしめいているのです。
上の写真は、街の東側にある浄土寺からとったものです。浄土寺は、西暦645年の大化の改新より30年も前に建立された名刹です。
次のは、対岸、向島(むかい島)から見た尾道の一部ですが、上の写真よりは、お寺の甍が分かり易いかと思います。
中央に見える山には千光寺があり、これまた古く808年の開基です。古すぎて年代の実感が伴わないのですが、斯様に古くから瀬戸内の要所として繁栄していたのです。
此所で故郷自慢をしようとは思っていないのですが、チョット自慢してるみたいですね (-_-;)
本題はここからです。 旅の目的の一つには、義姉に逢うことでした。義姉は車椅子ながら、尾道で独居しています。歩行器が無くては自力では歩行出来ません。歩行器に寄りコップを持って動いている義姉の様子を見た私は、“倒しても零れないコップ" が有れば便利だろうと、探しに街へ出たときのことでした。
街はすっかり様変わりしていて、記憶を頼りに、近くの薬局を暫く探しましたが、其処は閉店。さてさてどうしようかとと思案していると、子供の頃“祖母のお使いで行った薬局"を思い出しました。

そのお店は薬師堂という通りにあります。(1615年、元和の頃はその辺りは海だったそうで、海岸近くにあったお寺「成福寺」のご本尊が薬師如来だったので、お寺の辺り一帯を薬師堂と呼ぶようになったとか)
外観は記憶の中のとおりでした。店内は近代化され、嘗ての店内は、畳敷きだったと記憶していましたが、畳み敷き部分は無くなり、ショーケースが今風に並べてありました。
祖母のお使いでは、“頭痛膏"を買いによく来たことを話すと、お店の来歴をいろいろ話してくださいました。(お若い方は頭痛膏なんてご存じないでしょうね。)
その薬局は 『野田・天満屋薬局』 といい、創業は、天正元年、(西暦では1573年)だそうです。
当時使っていたであろう薬研や薬箪笥も残っています。


店内には、明治の初め頃の店舗の様子(版画)があり、見とれてしまいました。
世の中には奇特な方もいらっしゃいます。「時代劇年表」という重宝な年表を作成されていて、私は大助かりしています。TVでお馴染みの鬼平さんの時代と照合してみると、年代が少しずれているので、上の様子とは多少の違いは有るでしょうが、大凡はこのような造りになっていたことと思われます。店内に入らなくても店先から直ぐに売買出来ていたようです。
TVドラマに登場する薬種屋と云えば、大抵は暖簾をくぐって入り、店内で売買していますが、「江戸時代の薬屋事情」に様子が描かれていますのでご覧下さい。其処にあるのは、江戸での様子だろうと思えてなりません。鬼平さんやお奉行様が活躍された江戸と、野田天満屋薬種調合所のあった安芸の国とでは様子は異なっていたのかもしれません。少なくとも西の安芸では、上の版画のような様式であったと、私は推察するのです。
時代劇制作には、時代考証はしっかりされているのでしょうが、画面でよく見るのは江戸式?ばかりです。 「天満屋薬種」のようなスタイルは西国式なのかしら?
お店の歴史をお聞きすると、もっと驚きました。何と慶応3年、長州軍が倒幕のため、尾道に上陸した折りには、火薬・薬品・衛生材料などを供与したそうです。また幕末には、西郷隆盛が、それらの買い付けに訪れたと記録が残っているそうです。運搬を考えれば、水路を利用していたのでしょう。
子供の頃から知っていた「天満屋薬局」さんがこんな由緒ある老舗だったとは、驚きでした。故郷といえど、知らないことが如何に多いかも改めて認識しました。1573年創業の「野田・天満屋薬種」の繁栄時期と、鬼平さん、大岡様、遠山の金さんの活躍された年代とは多少のずれはあったとしても、店の様子はこの版画に近い状態だったろうと思えてなりません。
こんな事を考えていると、体中の血肉が踊るような感覚を覚えるのは、“池波正太郎ワールド"・“宮部みゆきワールド" にどっぷりな私だからなのかしら・・・・・、