goo blog サービス終了のお知らせ 

草の名

私が栽培している薬草や、道端の草でセルフメディケーションにも使える類の植物を紹介してゆきます。

ティーツリー、ドクウツギの引っ越し

2017年06月11日 | 薬草・雑草

 今年もティーツリーが見事に咲きました。ドクウツギも、独特の赤い実を撓わにつけました。ところが、病院の都合で、薬草園を移動しなくてはならなくなり、大丈夫かと不安ながら、移動させました。梅雨とはいえ雨が降らないので、ちゃんと根付くかどうか心配でなりません。移動させるのは、これらばかりではありません。植栽の大方は移さなくてはならないのですが、大株になっているシロガネヨシ(パンパスグラス)は、私の手には負えないので、置き去りです。

  植物のことを考えれば移植するには時期が悪いのですが、12日から工事が始まるのではやむを得ません。今までの園の場所は、新しく道路が出来る計画なので、現在の道路を隔てた向かい側に移動しなくてはならなくなりました。                                                                                    そのうえ、面積は今までの半分ほどしかなさそうですし、その場所は草が伸び放題。先ずチガヤやハマスゲなどの草を取り除いて、整地してからでなくては移植できません。 

 移転が決まっても、私一人でどうやって移そうかと思案しているところへ、有り難いことに、ボランティアで手伝って下さる方が、三名申し出て下さいました。           お三方共に、土に馴染まれているので即戦力になり、頼もしい限りです。おかげさまでティーツリー、ドクウツギを移せたというわけです。

皆々様に感謝、感謝です。


フランスギクとマーガレット

2017年05月27日 | 薬草・雑草

  「あら、私の好きなマーガレットだわ。」と二人連れが話しているのが聞こえました。

多くの方がマーガレットと思い込まれているのは、正しくは“フランスギク”なのです。                                  庭や花壇で植栽されていて、マーガレットと思われているようです。

フランスギクとマーガレットを見分けるには、葉の形をみると違いが分かります。

如何ですか。こうして並べてみれば、違いがお分かりになることでしょう。フランスギクの葉はヘラ状で切れ込みに間違えるほどの鋸葉です。                                マーガレットの葉は羽状に深く切れ込んで、小葉も裂けています。

 フランスギクは、花は5cmほどの大きい花。花弁は白色で、中心の筒状花の部分が盛りあがっているのが特徴です。

 フランスギクの原産地はヨーロッパです。江戸時代末期には、鑑賞用として渡来したといわれています。元は寒冷地の植物なので、耐寒性はあり、春にはロゼットの状態ですが、初夏になると茎を伸ばして、5cmほどの大きくて白い花を次々咲かせます。現在では庭や花壇で栽培されていたものが逸出し、まるで在来種の野の花のように、空き地や道端でも生えています。

 マーガレットの原産地は、アフリカ大陸の北西沿岸に近い大西洋上にある、7つの島からなるスペイン領の群島のカナリア諸島です。日本には明治時代の末に渡来し、鑑賞用として栽培されている常緑の多年草です。耐寒性はないのですが、上手く年数を経て生長すると木質化します。その性質から、和名ではモクシュンギク(木春菊)と云います。品種改良されて多くの品種があります。花色も豊富で、白、ピンク、赤、八重咲き、周辺の花びらはそのままで、筒状花が大きくなって花びらにみえる丁子咲きなどがあります。繁殖は挿し芽でします。

 生まれも育ちも異なるのに、フランスギクは、どうしてマーガレットと間違えられるのでしょうか。フランスギクは、フランス語ではMargueritaeと呼ばれるところから、日本でもマーガレットとよばれたと時期もあったそうですから、その名残なのかもしれません。

 フランスギクは、種子と根で繁殖し、今では山岳地にも入って問題になっているようですから、オオハンゴンソウのように“駆除すべき特定外来種"になる日が来るかもしれません。

 


当世の“かてもの”-ノゲシ

2017年04月14日 | 薬草・雑草

 「かてもの」って何のこと? 初めて聞く言葉だわと云う声が聞こえそうです。

「かてもの」とは、漢字では「糅」と書きます。Wikipediaでは【主食である穀物とともに炊き合わせを行う食物。転じて、飢饉などで食糧不足に陥った際に主食を節約するための代用食となる食物(救荒食物)のこと】とあります。 

故ケネディー大統領が“尊敬する日本の政治家”として挙げられたのが旧米沢藩第9代藩主 上杉鷹山(うえすぎ ようざん)ですが、鷹山の名前を知らない人でも、鷹山の詠んだ『為せば成る為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり』この歌はご存じでしょう。 

食の飽食の時代に生きている私達には想像もつかないような飢饉のあった米沢藩では、山の自然の恵み・山菜を摂る食の文化が受け継がれています。嘗ては,知識の無いままに野草を食して中毒で亡くなった人が多かったことから、食べられる植物の普及書として140数種の救荒植物を載せた書が『かてもの』でした。そしてこの本を編集したのが鷹山やその側近達だったのです。 

後年、北海道開拓の屯田兵の中の旧米沢藩出身の兵士が、この『かてもの』を愛読しており、その知識で飢えを凌いだと記録されているそうです。

近年相次ぐ現今の災害では、充分ではないにしろ食糧支援を受けられますが、食べられる植物の知識を身につけておき、自助努力することも大事なことではないでしょうか

口にすることが出来る植物には、どんなものがあるのか・・・その一覧が以下のサイトに載っていますのでご紹介しておきます。一度目にされることを。そして野山に出て実物を知ろうとしておくことをお勧めします。

かてもの=救荒食品                                                                                                                                                                      形大学大学院理工学研究科 応用生命システム工学分野 木ノ内研究室のサイトです。 

余談が長くなりました。ここからが,本題です。 

先月頃から野や道端にはノゲシが盛んに育っています今までは雑草の一括りで片付けていたのです。ところが過日、東邦大学の薬用植物園の元上司からハルノノゲシのお浸しを食べさせて貰い、目から鱗!!でした。ノゲシ・カラスノエンドウ・アシタバ・オニノノゲシ等等・・・ 

微かに苦味はありますが、居合わせた数人は、「ほうれん草よりも美味しいくらい」の評でした。尾籠な話ですが、私にとって何よりだったのは、昨夏の入院のあと服薬し始めて以来、以前のようなお腹の調子ではなくなっていたのが、そのお浸しを食べた翌日には、ごく自然に元の調子になったことでした。コレは何よりの恩恵でした。 

以来朝の散歩では,ノゲシを鵜の目鷹の目で探しています。小さな黄色の花をつけているので、小さな眼を見開かずとも,苦労せず見つけることが出来ますからね。

ただし採るのは腋に伸びた若い葉茎です。小さい内は全草でもいいのですが、大きくなると主茎は茹でても筋っぽいので、私は脇から出た部分を採取しています。花やつぼみがついていても大丈夫食べることは出来るとも聞きますが、花穂は苦味があるのと食感がどうも・・・と思うので,私はもぎ取ります。

よく水洗いしてから、やや柔らかめに茹でれば出来上がりです。お浸しや炒めても蔬菜にひけはとりません。蔬菜(そさい)とは、本来は栽培作物を指し、野菜と同じ意味です。

 TVを見ていると“すっきり、どっさり、飲んだ翌日から痛み無くスムーズに・・・"等というコマーシャルの実に多いことか!!  ということは同じような悩みを持たれている方が,商業ペースになるほど多いのだろうと思えます。余りの種類の多さに、どれにしようかなと悩んでいた私でしたが、ノゲシの効果には感謝、感謝でした。

何よりは、コストパ !!!!!  

「かてもの」のなかには取り上げられていないのですが、私は当世の救荒植物には、ノゲシも加えたいと思うのです。

アキノノゲシも同じように用いることが出来ます。


ハカマ取り

2017年03月10日 | 薬草・雑草

 殿方の、着物のハカマを剥ぐという事ではありませんよ。

  朝の散歩で、団地内の一カ所だけにツクシが沢山生えているのに気付きました。。先週の暖かさで一斉に出たのでしょう。行きも帰りも見ていても,誰も見向きしません。、早速摘み取って夕食に。40本ばかりでは煮浸しには足らないので、天ぷらにして春を堪能しました。

次の日、庭仕事をしていて,シュンランの花が、今年は沢山ついていたので、コレも夕食に。

 

ツクシは洗ったら直ぐ調理できるのではなかったのです。

20数年前、初めてツクシの料理に挑んだとき,何も知らなかった私は、よく洗ってそのまま使ったことがありました。

 煮浸しのお味は、よかったのですが、口の中でがさがさしてとても食べられたものではありませんでした。、

友人に訊くと、「はかまを取らなくちゃとても食べられないわよ」と云われました。

その時初めて,“ツクシのハカマは取り除く"ことを知ったのです。ツクシのハカマは皆、知っていますよね。ツクシの茎に段々についている部分がハカマです。

作り方は、ハカマを取除いたツクシをよく水を切って、ごま油で炒めます。しんなりしてきたら、お好みの味付けをします。鍋には胞子の緑色の汁が残りますが、心配ご無用です。

同じようにシュンランにもハカマはあるのです。

茎についている薄い皮のような部分です。シュンランも、この部分を取り除かなくては、食べにくいのです。

よく洗って、水気を切ったら,梅酢に漬けます。私は翌日には焼魚の付け合わせに、ちょうど「はじかみ」のように使います。浅漬けですから、未だシャキッとした食感は、春ならではの楽しみです。

 

 

私は梅酢を使いましたが、勿論白い梅酢でも,お好みの甘さの甘酢でもいいのです。                                                         花を愛でるだけではなく、食べれば口福です。

ツクシやシュンランが手に入れば是非お試しになれば・・・・

 

 

 

 


鬼平さんのころの薬種屋さん

2017年01月10日 | 薬草・雑草

 用事があって、暮れに故郷に行って来ました。私の故郷は瀬戸内の尾道です。古くから北前船の寄港地であったり、荘園のお米を送る港でもあり、栄えていました。往事の商人の繁栄ぶりを示すように、街中には海の安全を祈願するため豪商が寄進して作られたお寺が、次の写真右手手前側の市街地に、25ものお寺がひしめいているのです。

上の写真は、街の東側にある浄土寺からとったものです。浄土寺は、西暦645年の大化の改新より30年も前に建立された名刹です。

次のは、対岸、向島(むかい島)から見た尾道の一部ですが、上の写真よりは、お寺の甍が分かり易いかと思います。

中央に見える山には千光寺があり、これまた古く808年の開基です。古すぎて年代の実感が伴わないのですが、斯様に古くから瀬戸内の要所として繁栄していたのです。

此所で故郷自慢をしようとは思っていないのですが、チョット自慢してるみたいですね (-_-;)

本題はここからです。                                                                                                    旅の目的の一つには、義姉に逢うことでした。義姉は車椅子ながら、尾道で独居しています。歩行器が無くては自力では歩行出来ません。歩行器に寄りコップを持って動いている義姉の様子を見た私は、“倒しても零れないコップ" が有れば便利だろうと、探しに街へ出たときのことでした。

街はすっかり様変わりしていて、記憶を頼りに、近くの薬局を暫く探しましたが、其処は閉店。さてさてどうしようかとと思案していると、子供の頃“祖母のお使いで行った薬局"を思い出しました。

そのお店は薬師堂という通りにあります。(1615年、元和の頃はその辺りは海だったそうで、海岸近くにあったお寺「成福寺」のご本尊が薬師如来だったので、お寺の辺り一帯を薬師堂と呼ぶようになったとか) 

外観は記憶の中のとおりでした。店内は近代化され、嘗ての店内は、畳敷きだったと記憶していましたが、畳み敷き部分は無くなり、ショーケースが今風に並べてありました。

祖母のお使いでは、“頭痛膏"を買いによく来たことを話すと、お店の来歴をいろいろ話してくださいました。(お若い方は頭痛膏なんてご存じないでしょうね。)

その薬局は 『野田・天満屋薬局』 といい、創業は、天正元年、(西暦では1573年)だそうです。

当時使っていたであろう薬研や薬箪笥も残っています。

店内には、明治の初め頃の店舗の様子(版画)があり、見とれてしまいました。

世の中には奇特な方もいらっしゃいます。「時代劇年表」という重宝な年表を作成されていて、私は大助かりしています。TVでお馴染みの鬼平さんの時代と照合してみると、年代が少しずれているので、上の様子とは多少の違いは有るでしょうが、大凡はこのような造りになっていたことと思われます。店内に入らなくても店先から直ぐに売買出来ていたようです。 

TVドラマに登場する薬種屋と云えば、大抵は暖簾をくぐって入り、店内で売買していますが、「江戸時代の薬屋事情」に様子が描かれていますのでご覧下さい。其処にあるのは、江戸での様子だろうと思えてなりません。鬼平さんやお奉行様が活躍された江戸と、野田天満屋薬種調合所のあった安芸の国とでは様子は異なっていたのかもしれません。少なくとも西の安芸では、上の版画のような様式であったと、私は推察するのです。

時代劇制作には、時代考証はしっかりされているのでしょうが、画面でよく見るのは江戸式?ばかりです。 「天満屋薬種」のようなスタイルは西国式なのかしら?

お店の歴史をお聞きすると、もっと驚きました。何と慶応3年、長州軍が倒幕のため、尾道に上陸した折りには、火薬・薬品・衛生材料などを供与したそうです。また幕末には、西郷隆盛が、それらの買い付けに訪れたと記録が残っているそうです。運搬を考えれば、水路を利用していたのでしょう。

子供の頃から知っていた「天満屋薬局」さんがこんな由緒ある老舗だったとは、驚きでした。故郷といえど、知らないことが如何に多いかも改めて認識しました。1573年創業の「野田・天満屋薬種」の繁栄時期と、鬼平さん、大岡様、遠山の金さんの活躍された年代とは多少のずれはあったとしても、店の様子はこの版画に近い状態だったろうと思えてなりません。

こんな事を考えていると、体中の血肉が踊るような感覚を覚えるのは、“池波正太郎ワールド"・“宮部みゆきワールド" にどっぷりな私だからなのかしら・・・・・、