のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

Jane Does John さん / 「『国家』に道理はあるか」

2018年08月26日 17時30分55秒 | 天皇制と戦争
破レ傘/肉球新党諏訪支部@yaburegasa_suwaさんが

――枝野幸男の3時間演説にも匹敵する、いまの日本政府・日本の与党の問題を示した名文と思う。〔16:51 - 2018年8月26日〕――

という

Jane Does John (Eternal working class)@JaneDoesJohn1さんへの

ほれ込みツイートをされている。

核心は、

(22)の松井計@matsuikeiさんのツイートかな。

興味を持たれたら

ツイート全部を読まれたらいいと思う。


(1)安倍信者の望みは「安倍が権力を握り続けること」である。彼らは安倍がどんな罪を犯していようと擁護する。どんな無茶な論理を使っても正当化しようとする。なぜか。「国家主義の権化」が自分の価値観を正当化してくれるからだが、その他にも大きく二つの理由が挙げられる。

(2) 1.野党への絶対的不信感… 安倍信者の野党憎悪はもはや逆信仰とさえ言える。「野党は政府にけちをつけるしか能がない」。確かに、野党も品を守り、もっと賢い攻めを見せるべきだとの意見に異論はない。だがそもそも「けちをつける」のが野党の大事な仕事であり、権力のチェックこそ民主主義の基本。

(3)どこが与党であろうと、野党は大切。それが民主主義の常識だ。支持しすぎたことが自民党をここまで堕落させたことからも、強権力が必ず悪政に走るのは時代を超えて真理だと分かる。
健全で強い野党を育てるしかないのだ。我々一般市民の手で。

(4)2.どうしても憲法を変えたい… 一定数がこのために安倍を支持し続ける。これほど「憲法を変える」妄執に取り憑かれた政治家はいなかったからだ。安倍の人格はどうでもよく権力を握っていて欲しいだけ。実に卑怯な本音だ。その間どんな悪政が繰り広げられようと構わない。まさに共犯者である。

(5)安倍が絶対的に駄目な理由がある。
日本会議の中心人物であること。日本会議は日本国憲法を憎み、国民主権・基本的人権・平和主義を全て覆すことを目指している組織だ。国民はこうした反国民団体が権力を握っていることを自覚しなくてはならないが、大半は知らない。知っていても実感を持てない。

(6)国民の国家主義に対するアレルギーのなさには慄然とする。歴史を知らないのか? 国家主義は個人を抑圧し国家への奉仕を強いる。軍国主義に直結し国民に血を流すことを要求する。日本会議所属議員を支持するのは自分を奴隷にしてくれと言うようなものだ。なんと愚かなのか。また無為に死にたいのか?

(7) 国家主義は人道に反している。「国のために」という原則が全てを歪める。必ず不正義につながる。国民ではなく国家の方を向いている権力は悪。これは論理的事実だ。
だが困ったことに、日本人の多くには隷属願望がある。根の深い病だ。自ら考え主張するよりは、黙って従った方が楽。そういう、(続)

(8)人として自立していない者が多い。独裁者には恰好の餌食だ。
むろん、程度の低い人間は喜んで国家主義に捕まる。不寛容で無慈悲。敵愾心に満ち、仲間と見なした者以外は排除する。まさに人間としてのレベルの低さを物語る特徴だ。

(9)ネトウヨやヘイトまみれの外道たちにとって、安倍は憎しみの念、差別意識を正当化し、権威付けしてくれる有り難い存在。まさに太陽であり、偉大な教祖なのだ。
信者は教祖と同じように平気で嘘をつき、身内はひいきし敵は弾圧する。人間性そのものが腐っているので必ず悪事をなす。それが自明の理だ。

(10)安保法制。武器輸出三原則の撤廃。平和憲法改悪の野望。大量の武器購入。基地問題を巡っての沖縄弾圧。
安倍政権は血と硝煙と、罪の臭いがする。目が曇っていなければ誰でもその本性を感知する。武器は武器を呼び、いずれ必ず我々の血が流れる。

(11)それ以前に、火急の問題として「嘘と不正が常態化している政権」が致命的だ。森友問題一つとっても、官僚が官邸を恐れ正しい仕事ができなくなった証左。恐怖政治が官僚の倫理を破壊したのだ。

(12)正しい人は「道理」を尊ぶ。何が真理で、何が正義かを常に考え、見定めて行動する。だが極右の行動原理には「国家」があるのみだ。最も拙劣な宗教のようなもの。民主主義を軽んじ、国民を軽んじるからこそ不祥事を起こす。
「国家主義こそが国を滅ぼす」。積み重なる不正の山がそれを証明している

(13)やはり「国家主義に侵されていないこと」が人間の要件なのだ。
ところが、実態は深刻。国会に極右が多すぎる。愚劣に偏向した人間ばかりが権力を目指す、という病んだ仕組みを根本から変えねばならない。日本会議系団体に属さない、まともな議員の数を増やさないことには第二第三の安倍がすぐ現れる。

(14)野党に期待できる理由がある。
日本会議に汚染されていないというだけで大きなプラスポイントだ。死すべき国家主義、軍国主義の幻影から完全に脱却した現代人であり、まっとうな人権意識を持ち合わせている。
先の選挙で野党は分裂したが、おかげで「反日本会議」とも言える党が誕生した。

(15)未来を担う党と期待したい。勿論しっかり監視していかねばならないが。
いまだ野党勢力が頼りないのは事実。だが「国民より国家が大事」と言って憚らない反国民党を支持することは、緩慢な自殺だ。少なくとも安倍政権には政権担当能力が「絶無」。自ら証明した。

(16)民主主義破壊内閣、倫理破壊内閣は一日も早く倒さねばならない。右も左もない。安倍政権は国民を裏切り続けてきた。その上、歪んだ思想で社会そのものも歪めてしまったのだから。
罪深い権力者は放逐しなくてはならない。荒廃したこの国のモラルを回復させなくてはならない。

(17)現実的には、直ちに政権交代という事態は考えづらい。だが自民党を「支持しすぎる」ことの弊害を我々は思い知った。
現政権を腐敗させた責任が自民支持者にはある。党に厳しく自浄を促し、安倍政権を徹底的に断罪し終わらせる義務がある。

(18)当然、安倍政権が行ってきた政策、通した法案、彼らが作ったルールは全て再検証しなくてはならない。民主主義を破壊しようとした輩の、負の遺産だからだ。

(19)腐敗と虚偽を暴く沢山の本がある。「安倍晋三は最悪」と警告を発し続けていた人は沢山いた。なのに多くの人は耳を傾けなかった。自分の信じたいことだけを信じた。あるいは目を逸らして考えないできた。消極的であっても安倍を支持してきた者達は、自分の目が節穴であったことを肝に銘じてほしい


(20)これからは心して真実を見定めてほしい。
国家は信仰の対象たりえない。人類史を俯瞰すれば、国家などあまりに儚い。一定の期間しか存在しない共同幻想だ。
国、とは抽象的なものに過ぎない。実際には、人々がいるだけだ。
日本人でも韓国人でも中国人でもアメリカ人でもない、ただ人類があるだけだ。

(21)大日本帝国軍部は、外国にとってはもちろん、日本国民にとっても加害者だった。
一貫して命を粗末にした。
いわば、人類の敵だった。
それに感情移入し美化するなど、極めつけの馬鹿にしかできない。
魂が腐っているのでしょう。


(22)さてここで、長く「固定されたツイート」に掲げていた文章に戻ろうと思う。

☆ 松井計@matsuikeiさんのツイート。

――「私は愛国者だから、日本が貶められるのは許せない。だから南京事件も慰安婦問題も否定する」という立場の人は、大日本帝国への愛国者だというほかないわね。その点はよーく分かった。でもさあ、お願いだから、脳内の架空の国ではなく、今、まさに現存している戦後日本に愛国心を発揮してくださいよ〔20:54 - 2017年12月20日 〕――

Jane Does John さんの連ツイは、以上だ。

参考までに

「国体」という共同幻想が何故に生じたか

の解説をほんの少ししておこう。

この神格化された国家概念は、実は、明治期の

為政者のオリジナルではない。

キリスト教思想の「三位一体説」の転用だった。

日本は、

戦国時代末期、

キリスト教の殉教に恐れ戦いた。

天なる神と共にいたいという農民たち、漁民たちの

武士を圧倒するような勇猛果敢ぶり、

その鮮烈な

弾圧の前に怯まない人間の威風堂々とした強さ、

精神の高揚に

内心、敵わないものを感じ、震えあがった。

そして彼らは、

入信する代わりに、領民に

あの忠節ぶりを植え付けられないものかと妬み、嫉み、挙句に

盗み取ろうとした。

鎖国時代を通してこの惨めな強盗たちは、

思案を巡らせていた。

その思いが

江戸末期、黒船来航と共に国家神道(和風キリスト教)の構想として

平田篤胤(ひらたあつたね)という国学者によって形を得た

(拙稿「「復古神道」とは何か。創始者・平田篤胤は、何を参考にしたか」参照)。

☆ 記事URL:https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/3f594df9f02f6e0f9c1eaaefa8b1b0fc

それは、

天皇を子なる神、すなわち、キリストと考える

宗教の樹立だった。

YAHOOに

「「天皇」とは何者か?」という

問いに対して

「「大嘗祭」において皇太子は母神「天照大神」と同衾します。同衾により「天皇霊」が皇太子に宿り、初めて「天皇」になる。」

という説明がある

(YAHOOの知恵袋「平田篤胤の復古神道はキリスト教のパクリだと…」の項の解説)。

☆ 記事URL:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10110021760

天なる神は、天照大神とされた。

「大嘗祭(だいじょうさい、または、おおにえのまつり)」において

皇太子は、

天照大御神と同衾、すなわち、セックスをすることを通して、

人間でありながら、

天皇霊(キリスト教でいう聖霊)を孕み、

皇太子が

天皇という現人神になるとする。

建前としては、

大嘗祭は、

「新しい天皇が即位した後、一番最初に行う『収穫祭』」である

(サイト「コトバンク」(日本大百科全書(ニッポニカ)参照)。

☆ 記事」URL:https://kotobank.jp/word/大嘗祭%28だいじょうさい%29-1560627

しかし、大嘗祭を行う意味は、民俗学者・折口信夫によると、

「天皇の肉体は霊魂の容れ物にすぎず、

大嘗祭は霊魂が新天皇の肉体を借りて復活する、神性の継承儀式」だとされる

(サイト「Rpt」Rpt記事「天皇が行う「大嘗祭」はまさに悪魔崇拝そのものです」参照)。

☆ 記事URL:http://rapt-neo.com/?p=25690

この儀式の新たな意味づけによって、

従来の神道と区別されて

国家神道は、

一神教になった。

この「一神教」という理解は、

天なる神(天照大神)と聖霊(天皇霊)、子なる神(天皇、または、皇太子)という

三者は、

キリスト教における

「父・子・聖霊の三つの位格が、独立性を持ちながらも一つである」という教説

(三位一体説)の取り込み(パクリ)の結果、成立した。

すなわち、平田篤胤は、

イタリア人宣教師マテオ・リッチが書いた

中国語のカトリック教理書を剽窃して教義にしたというわけだ。

思うに、日本は、

多神教だったはずだ。

然るに、明治期、この剽窃によって成り立った

新興宗教・国家神道のために

多神教という江戸時代まで営々と続いていた多元的な文化的基礎が破壊されてしまった。

その神道教義の、書き換えは、

キリスト教の影響という理解が日本史の常識として

もっと教えておくべきではなかったと思う。

現にもし、昭和初頭、

そこが隠されず、

ありのままに国民に情報としてしっかり開示されておれば、

中国への侵略行為が

エスカレートしなかったんではないか

と思う

(たとえば、天皇霊は、天皇霊と呼べばいいのに、

「勘ぐれ」とばかりに

国民には見えないようにした。

それがため、かえって問題を複雑にしたのではあるまいか)。

「万世一系」の国体概念の本体は、

聖霊と仰ぐ天皇の祖先を指す。

然るに、

大嘗祭という儀式から疎外される庶民の立場では、

中国人も日本人も

それをもってアイデンティティの縁(よすが)にはできないことは、

自明の理だったからだ。

きちんと情報を開示されていれば、

征服してやろうと

考える前に仲間意識を持てたのではないか――。

キリスト教神学の借用という

歴史的真実が闇に隠されていたままだったので、

太平洋戦争中、

“大和魂”が盛んに強調された。

しかし、その実態は何かと言えば、天皇霊を信奉する信者意識だった。

為政者たちは、

遠い昔、踏み絵を踏ませ、敢然として死んでいった

キリシタンを

思い起こしながら、我が同胞に猿真似をさせていた。

しかし、肝心な信仰意識が欠如しているために、

何発もビンタをして

殉死の思いを強要しようとしていた。

それがどれだけ愚劣なことか。

その知識があれば、

片山さつきがここは日本だから天賦人権説は、

日本伝統に合わないなどの言い草は笑止千万なのが分かる。

日本人は、

猿真似国民と言われるけれど、

大和魂は、

まさに模倣の副産物に過ぎなかった。

重ねて言うが、

それを秘して国民に教えなかったのは、

とても罪なことだった。

僕は、

別に模倣でいいと思うのだ。

しかし、隠すことで

言葉通りに

惨めな国民に堕したのではないか。

キリスト教に模して

天皇を神としてでっちあげたのは、

かように

「臣民」に

為政者の支配を受容させ、

死を賭してまで自分たちに忠誠を誓い、服するようさせるためだった。

そのことを

我々は、

何度も思い起こすべきだ。

そうでないと、

また、国家神道の悪用が始まると思う。

我々には、

宗教としては仏教がある。

また、国家神道とは区別される、普通の神道がある。

それで十分じゃないか。

十分にこのことを理解しないと、

国家神道はまた、

悪しき洗脳の装置に転落するよ。

日本には、

切腹文化がある。

このために殉教による死を

昔からある日本の伝統文化と錯覚する向きがあると思う。

しかし、切腹は、

「謝罪」のためにするのであって、

死んだからと言って

英霊になるわけでない。

なぜ、英霊にならないかといえば、

天皇の「福音」を受けていないからだ。

つまり、神の言葉を知らず、天国の門は開きようがないわけだ。

ここまで説明したら、

特攻隊というのは、

キリスト教における救世軍みたいなものか

と納得されるだろう。

ただ、まったく無意味な進撃だった。

「お前たち、死んで来い」という玉砕命令は、

そんな大本営という

司祭たちの戦略的に誤った判断を糊塗する意味しか有しなかったことが

理解できるだろう。

同じ過ちは、

繰り返してはいけないのだ。

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