のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

「復古(国家)神道」とは何か。創始者・平田篤胤は、何を参考にしたか

2016年11月17日 13時04分42秒 | 日本文化論
高野敦志‏@lebleudeciel38 さんのツイート。

――江戸時代まで日本は仏教国で、皇室、貴族、武士、庶民もすべて仏教徒。皇室の菩提寺は泉涌寺。今の神社は平田篤胤の「復古神道」に基づいて再編された。平田篤胤は漢訳のキリスト教書を参考に、「復古神道」を作った。ネットで平田篤胤と「キリスト教」で検索すればいいです。〔12:36 - 2016年11月17日 〕—―

知らんかったな。

検索すると、

いくつかのサイトが説いていました。

(1)「ヤフー知恵袋」✳ URL:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10110021760


(2)「ぶっだがやの散歩道」✳ URL:http://higurasi101.hatenablog.com/entry/2014/08/21/193520


(3)「神道の話 補足【20120506】」✳ URL:http://www.mkmogura.com/blog/tag/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98


以下、私見です。

上の紹介したサイトに目を通して、

まず、

感じたのは、

平田篤胤という国学者の

キリスト教に対するコンプレックスです。

徳川家康は、

この宗教を内心、とても恐れたようです。

キリスト教には、

殉教があったでしょ。

どうもそれを警戒したということらしいです。

平田篤胤(あつたね)は、

逆にそれを取り入れ、

日本最強の宗教を作ろうとした

ということになるですかな。

皮肉には、

それは成功した。

特攻隊です。

日本は、

国家権力による

押しつけを通して殉教を

実現させたわけです。

ところで、

国家神道を作る際、

手本にした

イタリア人宣教師マテオ・リッチが書いた

中国語のカトリック教理書は、

モルモン教であったそうです。

この宗派、

キリスト教との関係では

異端だったようです。

すなわち、

キリスト教の三位一体説に言う三位、

すなわち、

父なる神、子なる神、聖霊なる神の三つは、

いずれも人間ではない。

この点、

モルモン教では、

父も子も聖霊も元人間なのに神になったと教えることと、

神道は符号します。

つまり、

天照も天皇も天皇霊も元人間ですから

モルモン教と

同一構造だということですね。

僕は、

ずっと「統一教会」を名乗る

キリスト教の一派が

なぜ、

神道の上部組織であるような

顔をするのか

理解できなかったです。

しかし、ようやく合点が行きました。

神道は、

宗教学的にはキリスト教の一派なのですね

((1)のサイトのitan_ga_itandaさんの解説「復古神道=神道風味モルモン教説」の項目参照。平易に説明してくれている。 文献学的には(2)のサイト記事「平田篤胤とキリスト教 」に詳しい)。

統一教会と

波長が合うはずです。

意外なところで謎が解けました。

日本会議で

以上述べた宗教勢力に

「生長の家」が合流します。

成長の家は、

「万教帰一」の旨にしているようですが、

こちらもベースがあります。

神道が

キリスト教を模倣したように、

「生長の家」は、

日蓮宗を模倣しているんです。

徳川家康の時代に

話を戻します。

家康が恐れたのは、

キリスト教以外、もう一つあります。

それが日蓮宗です。

こちらも殉教精神では

キリスト教に後れを取っていません。

詳しくは、

「不受不施運動」を

ご覧になればわかります。

要するに、

国内で最強だった

歴史があっただけに合流しえた

ということでしょうか。

しかし、

言わしてもらえば、

「殉教」で

喜ぶ組織の上層部の

人間なんて人間やないです。

そこに思いが至ると、

19世紀初頭に成立した

国家神道など

唾棄すべき宗教だと納得できます。

発想の原点が

とても卑しいです。

徳川家康が恐れ、禁教にした

禁断の宗教だから

そこから教義を盗み取ってやれ

という発想、

僕は、正直言って、敬意を表せません。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿