のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

良妻賢母の語源 は、賢妻良母なんだって ~ ただ、女性でなくとも、誰が今の日本で賢くあり得るだろう

2016年04月29日 06時14分23秒 | 家庭の話
情報源は、

宋 文洲@sohbunshuさんのブログです。

同氏の

「読者広場」に

次のように解説されてありました。

――中国では奥さんとは夫、子供、そして家族や親戚との関係を上手く処理し、孟母三遷が示すように教育にも深い理解があり、旦那の良き理解者でありながら耳に痛いアドバイスも上手くできる人のことです。このような役割は企業の副社長や専務と同じであり、自分の価値観をしっかり持ちながらも矛盾やトラブルを解決する賢い人でなればとても勤まりません。

妻の役割は夫に対するものであるのに対して母の役割は子供に対するものです。子供にとっての理想的な母親像は優しさと愛情を示し、困った子供がいつでも安心して戻れる「基地」になることです。これが良母の意味するところです。一人二役ですが、順番が違います。賢妻になれてこそ良母になれるのです。――

☆ 記事URL:http://www.soubunshu.com/article/437260883.html

「賢妻になれてこそ良母になれるのです」

という結びの言葉に

ハッとするものがありました。

「良」

ということ、

今の日本、あまりに粗末に扱いすぎですね。

でも、

それには理由があって、

最初から

「賢」を含めて考えていない点が

味噌ですね。

ところで、

さきほどブラウジングしていて、

天木直人氏の

「『検証なき国はすたれる』と書いた日経新聞『風見鶏』に思う」

というブログ記事、

読みました。

冒頭にフセイン氏のこんな写真が

掲載されてあり、

軽いショックを受けました。



自分が

同じこのロープで

吊るされるところを想像してみればいいです。

果たして、

この人を殺すことは正解だったのか

加害国に

属する人間として考える義務があると思います。

―― 今年の6月に、英国政府が2009年に設置した独立調査委員会が8年越しの検証結果を発表する。
 尋問に応じたのはブレア首相(当時)をはじめ当時の要人や軍幹部百数十人にのぼる。

イラク戦争を始めた米国は、すでに約600ページの報告書を10年ほど前に出している。

 イラク戦争に参加しなかったオランダさえも、戦争を支持したことが正しかったかどうか、約500ページの検証結果を発表している。
 ところが日本は民主党政権の指示を受けた外務省が、民主党政権が終わる直前の2012年12月に、わずか4ページの検証要旨を公表しただけだ。――

☆ 記事URL:http://xn--gmq27weklgmp.com/2016/04/25/post-4404/

この差は、

どこから来るんでしょう。

ふっとこの問題と、

冒頭に記した「良妻賢母」のお話が結びつきました。

日本では、

国民を指し示す単語として

「良民」

というのがあるでしょ?

この「良」の字も「賢」を含んでないんでしょう。

お上にすべて任せておけばいい

という価値観の下で、

検証は、

賢(さか)しらな行為なんですな。

だから誰も考えないと…

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2 コメント

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宋 文洲は勘違い (いやさか)
2016-05-13 02:00:57
まったく逆です。「賢妻良母」の語彙は概念もなお1905年前後に始めて登場した近代的産物です。1900年を前後して中国に始めて登場した際の「賢妻良母」。国家存亡の危機に直面させられていた近代東アジア国家では、中国のみならず、日本及び韓国においても、「賢妻良母」が富国強兵に寄与できる理想の女性像として求められ始めた。新しい女性像としての「賢妻良母」は、伝統的女性像と区別される必要があった故に、先進外国の女性像を原型としなければならなかった。つまり、韓国や中国が日本女性像をモデルとして「賢妻良母」像を創造しました。そして日本は更に欧米の先進国からその原型を求めていたのです。日本「賢妻良母」像の創始者とされる中村正直と、中国の地で「賢妻良母」教育を実際試みた服部宇之吉がいて、のちに中国に「賢妻良母」像が登場するのです。
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他人の非をつくマナーは、どうしましたか (忠太)
2016-05-13 10:14:36
URLが書いてあればこそ、論争になります。書いてなければ、落書きです。また、典拠も挙げられておらず、中村正直なる人が創始者と言われても、経緯がよく分かりません。お説では、「欧米の先進国からその原型を求めていた」とあります。ならば、どうして、日本でその原型が崩れたのでしょう?天賦人権説と同じで、日本の伝統に合わなかったからでしょうか。

この記事の要点は、「良」は、「賢」を内に含んでいた、ないしは、前提にした概念であることの驚きであって、元祖争いでないこと、ご了解ください。
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