死刑を執行をする人の約半数は、死刑制度反対だという。もともとは賛成だったのだ
ろう。しかし、現実に人を殺す現場に立ち会って、深い罪悪感にとらわれる人が多い
ようだ。死刑場は、監獄内にあり、刑の執行は刑務官が行う。
刑務官の仕事は、囚人の矯正だ。矯正というのは、教育的な仕事だ。
「お前はどうせ死ぬ」と、死刑囚を突き放す者は、一人もいないという。上告すれば
よいとか、再審請求の仕方を教えたりして、希望を持たせてしまうということだった。
接した囚人の99%は、無事刑期を終え出所する。残り1%は、確定死刑囚として、
現在105名いるそうだが、監獄で処刑を待つ。その1%の人達が出所する99%の
人と、どこがどう違うのか区別がつかないとのことだった。
死刑制度賛成派の人でも、監獄内に処刑場を置くのには反対だとする論文を書いて
いる人がいるらしい。10年、20年と接触し、刑務官と囚人の間に、支援者と被支
援者のような人間関係が出来てしまうのだ。いくら刑の執行と言ったって、心の傷を
負わずに職務を行い得ないのだろうということは、容易に想像がつく。
処刑される前、暴れる人もいるが、神仏そのもののようになって、死を受け入れる人
もいないわけではない。死刑制度があるから、そのような”人間的成長”があるとい
う議論も一理あるが、処刑される数秒前まで刑務官と談笑する人や、刑を執行する
際、刑務官が唄を歌い囚人を勇気付けている(?)場面などを録音で聞きながら、合法
的な殺人の実態につき考えさせられた。
ろう。しかし、現実に人を殺す現場に立ち会って、深い罪悪感にとらわれる人が多い
ようだ。死刑場は、監獄内にあり、刑の執行は刑務官が行う。
刑務官の仕事は、囚人の矯正だ。矯正というのは、教育的な仕事だ。
「お前はどうせ死ぬ」と、死刑囚を突き放す者は、一人もいないという。上告すれば
よいとか、再審請求の仕方を教えたりして、希望を持たせてしまうということだった。
接した囚人の99%は、無事刑期を終え出所する。残り1%は、確定死刑囚として、
現在105名いるそうだが、監獄で処刑を待つ。その1%の人達が出所する99%の
人と、どこがどう違うのか区別がつかないとのことだった。
死刑制度賛成派の人でも、監獄内に処刑場を置くのには反対だとする論文を書いて
いる人がいるらしい。10年、20年と接触し、刑務官と囚人の間に、支援者と被支
援者のような人間関係が出来てしまうのだ。いくら刑の執行と言ったって、心の傷を
負わずに職務を行い得ないのだろうということは、容易に想像がつく。
処刑される前、暴れる人もいるが、神仏そのもののようになって、死を受け入れる人
もいないわけではない。死刑制度があるから、そのような”人間的成長”があるとい
う議論も一理あるが、処刑される数秒前まで刑務官と談笑する人や、刑を執行する
際、刑務官が唄を歌い囚人を勇気付けている(?)場面などを録音で聞きながら、合法
的な殺人の実態につき考えさせられた。
秋葉事件はその場で終わって欲しかったw
償いより親族の気持ちを優先して欲しいですw
彼の関しては、償いを問題にしたくないほど、憤りを感じます。
死刑は殺人ではないの?
合法的な殺人・・だって殺人にはかわりない。
その法律は人間が作った物。
人間が作る物に絶対はあり得ない。
なんだか古臭い魔女狩りと同じ気がしてならない。
(死刑判決って、ほら、こんなに簡単!)
という手本を、裁判所が見せていると受け取れなくもないです。
僕が紹介したラジオ番組でも、死刑存続の可否についてインタビューをしておりましたが、解答はすべて、「死刑判決? 僕は、私は、平気で下せます」一色でした。
死刑判決廃止を口にしようものなら袋叩きに遭いそうな気配さえします。それこそ魔女狩りです。そんな中にあって、帯ちゃんは、勇気ある発言をされていると思います。
さて、死刑は殺人ではないの?
ということですが、立派な殺人行為と答えるしかないです。ただ、許されているという意味で、合法的ということでしょう。
ただ、只今、許されているから、未来永劫許され続けられるかどうかは別問題ですね。
では、今後はどうなるのか。今の僕にはどちらとも言い切れないです。逃げてるようですが、ご勘弁を。
怖ろしい!・・・
それこそ、恐ろしくて悲しい!
これが、人間の考えることなのか?
人間・・人間って何者なのでしょう?
私は人間が恐ろしい!!
私は大自然そのものになりたい!!
3日まえにラジオ番組のことを知り、昨日、見たわけですが、新聞での情報と違うことがありました。
新聞では、確定死刑囚の数が104名だったのに対し、同番組時には105名と報道してました。1名増えているのですよ。
その1名のことがとても気になりました。
しかし、これが戦争の報道となると、問題にならない人数差です。
今、僕達は、平和の中に生きています。しかし、恒久平和も守る努力をしないと、絵に描いた餅になってしまいます。
戦争などに突入しないためには何をしたらいいのか・・・
まずは、知ることだと思います。
死刑判決に抵抗なさそうな発言をしていた人たちを信じることではないでしょうか。
裁判所の中に素人が入り込むことはいいことだと思います。裁判員制度が始まるという契機があればこそ、ラジオにしろ生々しい死刑囚の声を聞けました。
どんなに残酷でも事実は知った方がいい。そう思いませんか。ただ、そのことで苦しまないでください。ブログ記事を書いたものとして辛いです。
聖書に「人間の心は深い井戸のようだ。底は見えないけれど、きれいな水をくみ出せる」というのがあります。
信じてみてもいいのじゃないですかね、人間の心! 時間はかかるかもしれませんが、互いが互いを支える世の中って、作れる気がします。
そのために要求される絶対的な条件が民主主義、つまり、多数決と思います。
最近も「死刑囚」という本を読んだのですが、その中に、犯行当時未成年で、22歳で死刑執行された青年のケースがありました。
若さゆえ、未熟で、罪の重さにも気づかぬまま、死刑が執行されてしまう。
この死刑に何の意味があるのだろうか…。
第3者は、何とでも言えます。
被害者遺族の中には、犯人が反省してようがしてまいが、とにかく死をもって償え、と思う人もいるでしょう。
本当に難しい問題ですね。
たとえ国家権力が許そうと、人の命を奪うのですものね。難しくないはずがないですね。
光市の母子殺害事件で、極刑を望むといっていた遺族の夫が「皆さんには、3人の命のことを考えてもらいたい」と言っていましたね。決して2人の命とは言ってない。あの言葉に、死刑制度の持つ宿命的な限界と言っていいのでしょうか、遺族のなんとも言えないやるせなさを感じます。