九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

本サイト(九州神社紀行)更新

2023-07-01 15:13:57 | 神社参拝ー近畿

 7/01、本サイト(九州神社紀行)を更新しました。

神武東征の日向の船出から、大和の橿原の宮での即位まで順路を追って、ゆかりの神社を順次掲載します。

 表紙の神社を神武東征の途次、古事記に阿岐国(安芸国)広島県の多祁理宮に7年滞在、また日本書紀に埃宮に坐すとあり、この多祁理宮あるいは埃宮とされる多家神社から生國魂神社に変更しました。
 多家神社を出た一行は、途中、吉備国(岡山県)の高島宮に8年滞在とありますが、この高島神社は、日程の都合で残念ながら参拝できていません。

生國魂神社は、神武東征の途次、神武天皇が難波津に到着の砌、石山碕 (現在の大坂城附近)に生島神・足島神を祀ったのが当社の創始とされています。

 生國魂神社(いくくにたま)
<通称>生玉神社(いくたまじんじゃ)
【鎮座地】〒543-0071 大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9 旧摂津国 東成郡
【御祭神】 ・生嶋神・足嶋神 (配祀)・大物主神
【例祭】  9月9日 例祭
【旧社格等】官幣大社(現別表神社)
     式内社 攝津國東生郡 難波坐生國咲國魂神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗
【御由緒】
 生国魂神社(いくくにたまじんじゃ)
大阪市天王寺区生玉町。 生玉神社とも称する。旧官幣大社(現、別表神社)。
祭神は生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ )、相殿に大物主神を祀る。
 社伝によれば神武天皇が九州より難波津に到着の砌、石山碕 (現在の大坂城附近)に生島神・足島神を祀ったのが当社鎮祭の初めである。
その後、生島の御巫の祭る神として神祇官西院にも祀られ、歴代天皇即位の際に行われた八十島やそしま祭は、この両神を祀ったものである。 『新抄格勅符抄』に大同元年(806) 二戸の 神封をうけ、『三代実録』 に貞観元年(859) 従四位下の神階昇級と風雨祈願の記事がみえる。 『延喜式』に「難波坐生国咲国魂神社」「難波大社」とあるのは、当社のことで名神大社に列し、祈年・月次・相嘗・ 新嘗の案上官幣、祈雨奉幣に預かった。 元亀年間(1570ー73) 織田信長の石山攻めの際、隣接の本願寺とともに兵火に遭い災上したが直ちに再興され、天正11年(1583)、豊臣秀吉が大坂築城に当り現在地に奉遷された。同13年秀吉は三〇〇石を寄せ、 秀頼によって安堵され、慶長11年(1606) 片桐且元奉行として社殿が造営された。元和元年(1615) 大坂夏の陣の際に災上したが、徳川秀忠が復興し、同5年三〇〇石の朱印地を寄せた。社殿は生国魂造りと称する他に類例をみない建築様式で、現在の社殿は台風により倒壊したため、昭和31年鉄筋コンクリートで再建したものである。
境内社に大坂城守護のため特に北向に建て られた北向八幡宮、鍛冶の神として崇敬さ れている鞴(ふいご)神社、建築業の祖神の家造祖やつくりみおや神 社、浄瑠璃関係者を祀る浄瑠璃神社などが ある。例祭は9月9日で、その他1月7日 =若菜卯杖祭、1月13日=御弓神事、1月15日=左義長神事、5月5日=走馬神事、7月11、12日=夏祭、10月14 15日=秋祭、11月12日=鎮火祭など の祭典があり、8月11、12日夕刻の薪能は著名である。→国魂神社 (土肥)
  (1997年 東京堂出版 神社辞典 23頁)

 参道入り口 
参道から拝殿 

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