生國魂神社(大阪市天王寺区)を掲載しました。
生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)
<通称>生玉神社(いくたまじんじゃ)
【鎮座地】〒543-0071 大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9 旧摂津国 東成郡
【御祭神】生嶋神 足嶋神 (配祀)大物主神
【例祭】 9月9日 例祭
【旧社格等】官幣大社(現別表神社)
式内社 攝津國東生郡 難波坐生國咲國魂神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗
【御由緒】
生國魂神社略誌
社伝によれば、第一代神武天皇が九州より難波津にお着きになった時、石山碕(現在の大阪城付近)に生島・足島神を祀られたのが当神社御鎮祭のはじまりであります。その後宮中にまつられ、歴代天皇ご即位の際に行われました八十島祭は、この両神をまつられたものです。平安時代の延長五年(九二七)に編纂されました『延喜式』という書物に、摂津国東生郡『難波坐生國咲國魂神社』二座とありますのが、すなわち当社のことであります。
(平成祭データ)
参道入口大阪ミナミ、天王寺区生玉町にあります。
地下鉄「鶴橋駅」と「難波駅」のほぼ中間「谷町九丁目駅」から南に100mほどが参道入口です。
樹木に覆われた参道を進むと一対の大きな灯篭(常夜灯)、右に「生國魂神社」とある社号標があります。道路から一段上に鳥居から境内です。
参道から拝殿
鳥居をくぐると、右に社務所、左は手水舎から参集殿、正面に社殿、拝殿左に授与所があります。
拝殿
明治45年の「南の大火」、昭和20年の戦災による焼失、同25年の「ジェーン台風」により倒壊し、現在の社殿は、昭和31年に建立された鉄筋コンクリート造のものです。
本殿
本殿は幣殿と一つの流造りで葺きおろし、その上に三つの破風を据えた他に類をみない「生國魂造」と呼ばれる建築様式で、現在まで継承されています。
神武天皇が九州より難波津に到着した時、摂津の国石山崎(現在の大阪城附近)に生島神、足島神を祀ったのが当社の創始と伝えられています。豊臣秀吉による大阪城築城に際し、現在地へ遷座されました。
主祭神二神は宮中でも生島巫(いくしまのみかんなぎ)によって祀られ、歴代の天皇即位の際には国家の祭祀として二神を祀る「八十島祭」が行われています。
境内社・住吉神社社殿右、天満宮左に並んであります。
【祭神】底筒之男命 中筒之男命 上筒之男、航路安全・航海安全の神であり、和歌文学の神として崇敬されています。
境内社・皇大神宮社殿右にあります。
【祭神】天照皇大御神、伊勢神宮(内宮)の御分霊をお祀りしています。
境内社・精鎮社皇大神宮前の参拝順路の案内に従い、境内右(北側)一段下に下りてすぐ左にあります。【祭神】事代主神 比神、表参道蓮池に祀られていた弁才天社で明治初年に精鎮社と改称されています。
通路を挟んで、右隣に佐賀の祐徳稲荷を勧請した稲荷神社があります。
境内社・鴫野神社稲荷神社の右、源九郎稲荷神社に続いてあります。
【祭神】市寸嶋比賣神 大宮賣神 淀姫神、淀君ゆかりの社です。その昔「鴫野の弁天さん」として大阪城東側、弁天島に祀られていました。
境内社・城方向八幡宮境内左奥、北門入って左にあります。
【祭神】神武天皇 應神天皇 比大神 神功皇后、大阪城鬼門の守護神として鎮祭されたことから城方向(北向=きたむき)と称しています。
境内社城方向八幡宮の右に3社並んであります。
写真左から、鞴神社・家造祖神社・浄瑠璃神社です。
◎鞴(ふいご)神社
【祭神】天目一箇神 石凝杼賣神 香具土神、「鞴」とは火起こしの道具で、製鉄・製鋼・鍛治の守護神としてまた火の用心のカマド神として崇敬されています。
◎家造祖神社
【祭神】彦狹知神 手置帆負神 、「やづくりおみや」と読みます、家造りの祖神を土木建築の守護神としてお祀りしています。
◎浄瑠璃神社
◆御祭神
近松門左衛門を始めとした文楽の先賢を祀る
◆例祭日
春分・秋分の日
◆御由緒
御鎮座の年は不詳であるが、竹本春太夫・鳴沢清七等と共に、三業(太夫・三味線・人形)の先師三十八柱の御霊を生國魂神社の境内に社殿を整え合祀したのが始まりである。 l
爾来、この浄瑠璃神社で毎年春秋の二季に例祭を齋行し、物故された方々を合祀する。
文楽の道の御祖神として文楽関l係者はもとより、広く日本舞踊や琴など諸芸上達の守護神として篤い信仰がある。 因みに「曾根崎心中-生玉社の段-」は、生國魂神社境内が舞台である。
井原西鶴像境内右、生玉の杜・散策の道の一角にあります。
「好色一代男」などで知られる井原西鶴は、俳人としても有名で延宝8年(1680)この場所で一昼夜四千句の俳句を詠んだと伝えられています。
境内鳥居から拝殿までの境内はゆったりと広く綺麗に整備されています。
境内からの景観当社の周囲には数多くのお寺とラブホテルが点在しています。写真の右もラブホテルのようです。
生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)
<通称>生玉神社(いくたまじんじゃ)
【鎮座地】〒543-0071 大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9 旧摂津国 東成郡
【御祭神】生嶋神 足嶋神 (配祀)大物主神
【例祭】 9月9日 例祭
【旧社格等】官幣大社(現別表神社)
式内社 攝津國東生郡 難波坐生國咲國魂神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗
【御由緒】
生國魂神社略誌
社伝によれば、第一代神武天皇が九州より難波津にお着きになった時、石山碕(現在の大阪城付近)に生島・足島神を祀られたのが当神社御鎮祭のはじまりであります。その後宮中にまつられ、歴代天皇ご即位の際に行われました八十島祭は、この両神をまつられたものです。平安時代の延長五年(九二七)に編纂されました『延喜式』という書物に、摂津国東生郡『難波坐生國咲國魂神社』二座とありますのが、すなわち当社のことであります。
(平成祭データ)
参道入口大阪ミナミ、天王寺区生玉町にあります。
地下鉄「鶴橋駅」と「難波駅」のほぼ中間「谷町九丁目駅」から南に100mほどが参道入口です。
樹木に覆われた参道を進むと一対の大きな灯篭(常夜灯)、右に「生國魂神社」とある社号標があります。道路から一段上に鳥居から境内です。
参道から拝殿
鳥居をくぐると、右に社務所、左は手水舎から参集殿、正面に社殿、拝殿左に授与所があります。
拝殿
明治45年の「南の大火」、昭和20年の戦災による焼失、同25年の「ジェーン台風」により倒壊し、現在の社殿は、昭和31年に建立された鉄筋コンクリート造のものです。
本殿
本殿は幣殿と一つの流造りで葺きおろし、その上に三つの破風を据えた他に類をみない「生國魂造」と呼ばれる建築様式で、現在まで継承されています。
神武天皇が九州より難波津に到着した時、摂津の国石山崎(現在の大阪城附近)に生島神、足島神を祀ったのが当社の創始と伝えられています。豊臣秀吉による大阪城築城に際し、現在地へ遷座されました。
主祭神二神は宮中でも生島巫(いくしまのみかんなぎ)によって祀られ、歴代の天皇即位の際には国家の祭祀として二神を祀る「八十島祭」が行われています。
境内社・住吉神社社殿右、天満宮左に並んであります。
【祭神】底筒之男命 中筒之男命 上筒之男、航路安全・航海安全の神であり、和歌文学の神として崇敬されています。
境内社・皇大神宮社殿右にあります。
【祭神】天照皇大御神、伊勢神宮(内宮)の御分霊をお祀りしています。
境内社・精鎮社皇大神宮前の参拝順路の案内に従い、境内右(北側)一段下に下りてすぐ左にあります。【祭神】事代主神 比神、表参道蓮池に祀られていた弁才天社で明治初年に精鎮社と改称されています。
通路を挟んで、右隣に佐賀の祐徳稲荷を勧請した稲荷神社があります。
境内社・鴫野神社稲荷神社の右、源九郎稲荷神社に続いてあります。
【祭神】市寸嶋比賣神 大宮賣神 淀姫神、淀君ゆかりの社です。その昔「鴫野の弁天さん」として大阪城東側、弁天島に祀られていました。
境内社・城方向八幡宮境内左奥、北門入って左にあります。
【祭神】神武天皇 應神天皇 比大神 神功皇后、大阪城鬼門の守護神として鎮祭されたことから城方向(北向=きたむき)と称しています。
境内社城方向八幡宮の右に3社並んであります。
写真左から、鞴神社・家造祖神社・浄瑠璃神社です。
◎鞴(ふいご)神社
【祭神】天目一箇神 石凝杼賣神 香具土神、「鞴」とは火起こしの道具で、製鉄・製鋼・鍛治の守護神としてまた火の用心のカマド神として崇敬されています。
◎家造祖神社
【祭神】彦狹知神 手置帆負神 、「やづくりおみや」と読みます、家造りの祖神を土木建築の守護神としてお祀りしています。
◎浄瑠璃神社
◆御祭神
近松門左衛門を始めとした文楽の先賢を祀る
◆例祭日
春分・秋分の日
◆御由緒
御鎮座の年は不詳であるが、竹本春太夫・鳴沢清七等と共に、三業(太夫・三味線・人形)の先師三十八柱の御霊を生國魂神社の境内に社殿を整え合祀したのが始まりである。 l
爾来、この浄瑠璃神社で毎年春秋の二季に例祭を齋行し、物故された方々を合祀する。
文楽の道の御祖神として文楽関l係者はもとより、広く日本舞踊や琴など諸芸上達の守護神として篤い信仰がある。 因みに「曾根崎心中-生玉社の段-」は、生國魂神社境内が舞台である。
井原西鶴像境内右、生玉の杜・散策の道の一角にあります。
「好色一代男」などで知られる井原西鶴は、俳人としても有名で延宝8年(1680)この場所で一昼夜四千句の俳句を詠んだと伝えられています。
境内鳥居から拝殿までの境内はゆったりと広く綺麗に整備されています。
境内からの景観当社の周囲には数多くのお寺とラブホテルが点在しています。写真の右もラブホテルのようです。
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