九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

枚岡神社(大阪府東大阪市)

2023-12-02 11:39:44 | 神社参拝ー近畿

 おことわり:掲載の写真は、参拝当日(08/18/2008)のものです、現在と異なっている場合があります。

枚岡神社を掲載しました。

 「式内社」 枚岡神社(ひらおかじんじゃ)
<別称>平岡神社 元春日社
【鎮座地】 〒579-8033 大阪府東大阪市出雲井町7-16 旧河内国 茨田郡
【電話】  072-981-4177
【旧社格等】 官幣大社 (現別表神社)
      河内國一の宮
      式内社 河内國河内郡 枚岡神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗     
【御祭神】  天兒屋根大神 比賣大神 (配祀)齋主大神 武甕槌大神     
【例祭】 2月1日 例祭 毎月1日1・15日 月次祭
【御由緒】 
 枚岡神社 ひらおかじんじゃ
大阪府東大阪市出雲井町七一一六 
(別称〉平岡神社、元春日社
〈祭神〉 (第一殿) 天児屋根大神 あめのこやね 、
    (第二殿) 比売大神、
    (第三殿) 武甕槌大神、たけみかづち
    (第四殿) 斎主大神 いわいぬし
〈例祭日〉二月一日〈神事〉里祭、粥占神事、平国祭くにむけまつり
〈由緒〉 式内社。
 神武天皇の侍臣で 中臣氏の祖天種子命が、神武天皇の命で神津岳の頂きの平らな岡に祖神を祭ったのが起源という。河内に栄えた中臣氏支流平岡連の氏神であり、
白雉元年(六五〇) 平岡連らによって山頂から現在地に遷された。 奈良の春日大社の創祀にあたっては、この社から天児屋根命と比売神が勧請されており、そのため元春日とも称さた。
 『延喜式』では名神大社に列し、平安後期には河内国一宮となった。
 〈旧社格〉官幣大社(明治四年)
(弘文堂 縮刷版 神道辞典より)

【参拝月日】 08/18/2008

二の鳥居
大阪平野の東に位置する東大阪市にあります。奈良県境に近い生駒山の西麓、出雲井町に鎮座。近鉄奈良線枚岡駅を出て直ぐ、階段を上がり、注連縄をくぐると二の鳥居です。

社号標から二の鳥居
 右に「官幣大社 平岡神社」とある社号標があります。鳥居は、昭和54年(1979)建立の明神鳥居で、扁額は大正4年(1915)奉納されたものです。

鳥居から参道
 鳥居をくぐると、綺麗に整備された石畳の参道が続いています。両側に樹木が茂り、奉納の灯篭が並んでいます。

参道広場(蹴鞠場)
 参道の突き当り、左右の大きな灯篭に続いてあります。1月15日に蹴鞠が奉納されることから、蹴鞠場と呼ばれています。奥に逆鉾と注連柱が見えます。

手水所
 参道広場の右奥、拝殿への階段下にあります。神鹿の銅像がありますが、何故か檻の中に閉じ込められています。
 
注連柱から拝殿
 「あげまき結び」という特殊な結び方をした注連縄をくぐると、神橋から階段の上に拝殿です。

神鹿 
 拝殿への階段上り口左右に、弘化3年(1846)献納された、対の神鹿像(なで鹿)です。右が牡鹿、左は、子を慈しむ牝鹿です。御祭神の武甕槌命が白鹿にまたがって春日に旅立ったという故事にちなんで据えられたとのことです。

拝殿 
 46段の石段を上がると、拝殿です。
 正面に掲げられた神額は、三條實美公の揮毫です。三條實美(天保8年)1837年-(明治24年)1891年は、日本の公卿、政治家。明治維新後内閣総理大臣も務めました。拝殿
 
拝殿
 明治12年(1879)造営で、平成の修造で檜皮葺きから、銅板葺きに葺き替えられています。正面に大きく向拝が突き出ているのが目立ちます。

中門拝殿の奥にあります。
 明治12年(1879)改築、明治38年(1879)現在地に移設。本殿のある境内への入り口のようですが、一般の参拝者は近づけません。

遙拝所
 本殿のある透塀に囲まれた境内の外、直ぐ右にあります。皇居の皇霊殿、伊勢神宮、橿原神宮のほか、神津嶽(かみつだけ)にある本宮の「遥拝所」です。

本殿 
 中門から透塀に囲まれた中、最上段にあります。現在の本殿は、文政9年(1826)に、氏子の奉納により造営されました。手前から第二殿、第一殿、第三殿、第四殿と並んでいます。本殿の下は幣殿です。
 第一殿には、天岩戸開きのとき、祝詞を詠んで天照大神を誘い出した神、天児屋根命、。第二殿には、天児屋根命の后神、比賣御神。第三殿には鹿島神宮祭神、武甕槌命。第四殿には、香取神宮祭神、齋主命(經津主命)。がそれぞれ祀られています。

本殿
 当社は、神武天皇即位の3年前、中臣氏の祖天種子命が、神武天皇の命で神津岳の頂きの平らな岡に祖神(天児屋根命・比売御神)を祀ったのが起源とされています。その後、孝徳天皇白雉元年(650)、平岡連らによって山頂から山麓の現在地に遷座されました。

本殿
 当社の社殿は、11世紀以来たびたび火難にあったが、慶長7年(1602)豊臣秀頼によって、造営されています。建築様式は一間社春日造(当社では枚岡造と呼ぶ)です。
千木と鰹木はそれぞれ2本、一番手前は、女神ですので、千木は内削ぎ(先端が水平)になっています。

巽(たつみ)参道
 本殿前斎庭と梅林を結ぶ参道です。

若宮社境内右奥、巽参道左にあります。
 天兒屋根命と 比売御神の御子神、天忍雲根命 を祀る摂社です。


楠正行公 縁の井戸平岡梅林の入り口にあります。
正平3年=承和4年(1348)南北朝の四条畷の戦いで北朝の足利尊氏軍に敗れた、南朝の楠正成の長男・正行の首級を洗ったと伝わる井戸です。

白水井(はくすいい)巽参道の若宮社を過ぎるとあります。
 若宮社の奥にある出雲井と同様に、背後の山からの湧き水が祀られています。
 
天神地祇社 
 境内右手奥、白水井を過ぎるとあります。天津神・国津神を祀る末社です。かつての境内末社19社と近隣の神社13社が合祀されています。

末社 天神地祇社に 「お祭りしている御祭神】
 [明治期に左記の神社 (現氏地内)の御祭神がお祭りされました」
(額田村)額田明神社、若宮八幡社、恵比須社、山神社、高城社、東山神社、(豊浦村)春日神社、(出雲井村)八坂神社、(五條村)八幡社、(客坊村)市杵島姫神社
(四條村)春日神社、(松原村)春日神社、八幡社
 [境内各所に鎮座していた左記の末社もお祭りしています」
椿本社、一言主社、青賢木社、坂本社、太刀辛雄社、素戔嗚命社、勝手社、八王子社、地主社、戶隠社、笠 社、大山彦宮
住吉社、門守社、飛来天神、角振社、岩本社、官社殿社、佐氣奈邊

本殿のある境内
 左から中門、幣殿、本殿と続いています。境内の地形を巧みに活かした配置で先人の知恵に感服します。 

拝殿から参道広場上から見るとかなりの広さです。
 年間を通して各種お祭りで賑わいます。特に10月14.15日に行われる、「秋郷祭」は氏子の秋祭りとして布団太鼓台約20台が勢ぞろいし、盛大な祭りのようです。

参道から二の鳥居
 境内は、神津嶽から参道を社殿のある境内へ、さらに街中の第一鳥居までの東西に細長い約1万8千坪(梅林を含む)あります。この広大な敷地を有効に活用した配置に感心しました。

参道から枚岡駅
参道終点、注連縄から、当社に一番近い近鉄奈良線枚岡駅です。ホームに近い、参道入り口左には、「當國一之宮 元春日平岡大社」とある大きな石碑が立っています。

 当日の参拝記録です。田舎者の大都会大阪の電車に乗るのも苦労したようです。

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