九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

本サイト(九州神社紀行)更新

2023-06-01 17:04:49 | 神社参拝ー中国

 6/01、本サイト(九州神社紀行)を更新しました。

神武東征の日向の船出から、大和の橿原の宮での即位まで順路を追って、ゆかりの神社を順次掲載します。
参考:神武東征伝説マップ(2,006年8月 学習研究社 古事記の本 132頁)  
 

 表紙の神社を神武東征の途次、筑紫の遠賀川河口の岡水門(北九州)で一年滞在された岡田宮とされている、神武天皇社から多家神社に変更しました。

多家神社は、岡田宮を後にされた神武一行が瀬戸内海を東に進み、古事記には阿岐国(安芸国)広島県の多祁理宮に七年滞在とあります。また『日本書紀(七二〇年完成)』には埃宮に坐すとあります。この多祁理宮あるいは埃宮という神武天皇の皇居が後に当社となりました。。

 多家神社(たけじんじゃ)
<通称>埃宮(えのみや)
【鎮座地】〒735-0005 広島県安芸郡府中町宮の町3丁目1-13 旧安芸国 安芸郡
【御祭神】神武天皇 (配祀)神功皇后 大己貴命
【例祭】4月第1日曜日 例祭 10月第3土曜日 例祭 10月第3日曜日 例祭
【旧社格等】式内社 安藝國安藝郡 多家神社 名神大
      安藝國総社 安藝國三の宮
      旧県社 
【御由緒】
 多家神社(たけじんじゃ)広島県安芸郡府中町
旧県社。神武天皇を祀っている。神武天皇東征のとき、阿岐国埃宮(えのみや)を行宮として駐留された。 その宮跡に建てられたのが当社である。
従って、埃宮とも呼ばれる。貞観 元年(八五九)に従四位下の神階を授かり、『延喜式』では名神大社となっている。 安芸国 の式内社は少なく他に速谷神社と厳島神社が載せられているだけである。しかし、中世に入ると当社の記録が現われず、その所在がわからなくなった。そこで、境内に 「たけい社」のある松崎神社と国府の総社がともに多家神社と称した。だが、結論はでず、明治六年(一八七三)に両社を合祀して現在地に多家神社を祀った。社殿は、旧広島藩主の邸内社稲荷社を移築して当てた。 大正四年(一九一五)に火災が起り本殿や拝殿は焼失したので新しい現社殿が再建された。 また、多家はオホイヘ・オホノミ・タガな どのよみ方も可能である。近くには、神武天皇の遺跡と伝えられる誰曽迺森もある。
(桑原)
    ((1997年 東京堂出版 神社辞典 212頁)

神武天皇東征御留蹕霊地」の碑明治43年4月の建立です。 
 

  

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