熊野道祖神社(福岡市南区)を掲載しました。
熊野道祖神社(くまのどうそじんじゃ)
【鎮座地】〒815-0032 福岡市南区塩原4丁目11-1 旧筑前国 那珂郡
【御祭神】伊邪那岐命 久那斗神 八衢比古神 八衢比賣神
【例祭】 4月14日 春季大祭 7月4日 夏季大祭 10月1日 秋季大祭
【旧社格等】無格社
【御由緒】
熊野道祖神社略記
御祭神 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
久那斗神 (くなどのかみ)
八衢比古神(やちまたひこのかみ)
八衢比売神(やちまたひめのかみ)
由緒
熊野神社は古より塩原の射場「塩原中央部」に伊邪那岐命を祭祀せられ、道祖神社は塩原イトリサヤ「塩原四丁目芸工大前」に久那斗神、八衢比古神、八衢比売神を奉斎しておりましたが、昭和十二年両者が合祀せられ現在の熊野道祖神社となったのであります。
文献では「古事記」上巻伊邪那岐命が黄泉国より帰られる段に「亦塞其黄泉坂之石者號道反大神、亦謂塞其黄泉大神」(そのよみどのさがにさやりまししいしはちがえしのおおかみ、またのなをさやりますよみどのおおかみ)とあるのが最初で即「道反大神(ちがへしのおおかみ)、またの名塞坐黄戸大神(さやりますよみどのおおかみ)」とも呼ばれ、巨石を以て象徴し衢路(みち)に坐して悪霊を防ぐ神でありまた一方古典に見ゆる岐神(ふなどのかみ)(久那斗神、船戸神)とも申し上げます。何れも王朝の昔より悪疫を塞ります神並に旅行の幸福を守護し給ふ神とも信仰せられ、総括的にはサイノ神と申し奉ったものであります。
道祖神社の神域は、昼尚暗き樹木に覆われ周囲は水田地帯でありましたが、昭和二年四月七日福岡県立筑紫中学校が道祖神社の境内を含む塩原に開校せられ、同校建設の際、社地の樹木を漫りに伐り忽ち病等其他不慮の災害に罹った者が多く、斯る御神威に鑑み強いて移轉せしむる事は神罰の恐れ尠からずとして遂に此儘据置かれる事になったのであります。
この霊験あらたかなる神明照覧加護の下、交通安全、商売繁昌、学業成就、夫婦和合、旅行安全、開運、厄除、各種祈願成就の為県内はもとより、遠隔地から多くの参拝者が訪れて居ります。明治以前から塞神又は道祖権現或は葛権現と稱して崇敬され、今日に及んで居りますが其名も著き神秘なる一例を挙げると、明治二十一年の大暴風の際、倒れたる神木が一夜の間に自ら起き直り今尚森々として繁茂し榎の大木が自然の造形其のままに四季折々の変化を遂げ、参拝者の心を慰め鬱蒼たりし千古の森も依然として尊厳を保持せられて居るのであります。
先の、福岡市計画事業塩原地区区画整理事業の実施に伴い、新大橋駅前一号線「新大橋駅より北方三〇〇米先の下辻堂井尻線に交叉する」幅員二十二米道路が境内地中央部を縦断することとなった為、神殿を新築移転、諸設備の改装の止むなきに至った次第であります。昭和五十三年境内地模様替報告祭を奉仕して、諸工事に順次着工、その間御神霊御加護のもとに関係者各位のご協力に依りまして、昭和五十七年十一月八日本殿遷座祭、同年十一月二十日本殿遷座奉祝祭の重儀を滞りなく斎行致し、昭和五十九年三月を以ちまして境内整備事業の一切を完了致した次第でございます。
境内末社
福徳稲荷大神
金伯五金大神
伊豆能売大神
のどの大神
(神社パンフレット「熊野道祖神社略記」より抜粋)
福岡市南区塩原にあります。西鉄大牟田線「大橋駅」から東北に300m、東側に九州大学大橋キャンパス(旧九州芸術工科大学)が隣接しています。
拝殿
鳥居をくぐってすぐに左に拝殿です。
社殿全景現社殿は福岡市計画事業の実施に伴い、昭和57年新築移転されました。
本殿
熊野神社(伊邪那岐命)と道祖神社(久那斗神・八衢比古神・八衢比売神)両社を昭和12年合祀し、現社号となりました。
境内東側の入口入り組んだ枝振りの大きな木の前に社号碑、道祖神社へ通じています。
道祖神社全景
道路を挟んで東側にあります。建屋の中に道祖神社、のどの神、金伯五金大神等の小祠が所狭しとあります。
道祖神社(御祭神:久那斗神 八衢比古神 八衢比賣神)本殿の石祠です。
境内社のどの神、金伯五金大神の祠です。
境内社御祭神宇賀魂命の福徳稲荷です。
熊野道祖神社(くまのどうそじんじゃ)
【鎮座地】〒815-0032 福岡市南区塩原4丁目11-1 旧筑前国 那珂郡
【御祭神】伊邪那岐命 久那斗神 八衢比古神 八衢比賣神
【例祭】 4月14日 春季大祭 7月4日 夏季大祭 10月1日 秋季大祭
【旧社格等】無格社
【御由緒】
熊野道祖神社略記
御祭神 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
久那斗神 (くなどのかみ)
八衢比古神(やちまたひこのかみ)
八衢比売神(やちまたひめのかみ)
由緒
熊野神社は古より塩原の射場「塩原中央部」に伊邪那岐命を祭祀せられ、道祖神社は塩原イトリサヤ「塩原四丁目芸工大前」に久那斗神、八衢比古神、八衢比売神を奉斎しておりましたが、昭和十二年両者が合祀せられ現在の熊野道祖神社となったのであります。
文献では「古事記」上巻伊邪那岐命が黄泉国より帰られる段に「亦塞其黄泉坂之石者號道反大神、亦謂塞其黄泉大神」(そのよみどのさがにさやりまししいしはちがえしのおおかみ、またのなをさやりますよみどのおおかみ)とあるのが最初で即「道反大神(ちがへしのおおかみ)、またの名塞坐黄戸大神(さやりますよみどのおおかみ)」とも呼ばれ、巨石を以て象徴し衢路(みち)に坐して悪霊を防ぐ神でありまた一方古典に見ゆる岐神(ふなどのかみ)(久那斗神、船戸神)とも申し上げます。何れも王朝の昔より悪疫を塞ります神並に旅行の幸福を守護し給ふ神とも信仰せられ、総括的にはサイノ神と申し奉ったものであります。
道祖神社の神域は、昼尚暗き樹木に覆われ周囲は水田地帯でありましたが、昭和二年四月七日福岡県立筑紫中学校が道祖神社の境内を含む塩原に開校せられ、同校建設の際、社地の樹木を漫りに伐り忽ち病等其他不慮の災害に罹った者が多く、斯る御神威に鑑み強いて移轉せしむる事は神罰の恐れ尠からずとして遂に此儘据置かれる事になったのであります。
この霊験あらたかなる神明照覧加護の下、交通安全、商売繁昌、学業成就、夫婦和合、旅行安全、開運、厄除、各種祈願成就の為県内はもとより、遠隔地から多くの参拝者が訪れて居ります。明治以前から塞神又は道祖権現或は葛権現と稱して崇敬され、今日に及んで居りますが其名も著き神秘なる一例を挙げると、明治二十一年の大暴風の際、倒れたる神木が一夜の間に自ら起き直り今尚森々として繁茂し榎の大木が自然の造形其のままに四季折々の変化を遂げ、参拝者の心を慰め鬱蒼たりし千古の森も依然として尊厳を保持せられて居るのであります。
先の、福岡市計画事業塩原地区区画整理事業の実施に伴い、新大橋駅前一号線「新大橋駅より北方三〇〇米先の下辻堂井尻線に交叉する」幅員二十二米道路が境内地中央部を縦断することとなった為、神殿を新築移転、諸設備の改装の止むなきに至った次第であります。昭和五十三年境内地模様替報告祭を奉仕して、諸工事に順次着工、その間御神霊御加護のもとに関係者各位のご協力に依りまして、昭和五十七年十一月八日本殿遷座祭、同年十一月二十日本殿遷座奉祝祭の重儀を滞りなく斎行致し、昭和五十九年三月を以ちまして境内整備事業の一切を完了致した次第でございます。
境内末社
福徳稲荷大神
金伯五金大神
伊豆能売大神
のどの大神
(神社パンフレット「熊野道祖神社略記」より抜粋)
福岡市南区塩原にあります。西鉄大牟田線「大橋駅」から東北に300m、東側に九州大学大橋キャンパス(旧九州芸術工科大学)が隣接しています。
拝殿
鳥居をくぐってすぐに左に拝殿です。
社殿全景現社殿は福岡市計画事業の実施に伴い、昭和57年新築移転されました。
本殿
熊野神社(伊邪那岐命)と道祖神社(久那斗神・八衢比古神・八衢比売神)両社を昭和12年合祀し、現社号となりました。
境内東側の入口入り組んだ枝振りの大きな木の前に社号碑、道祖神社へ通じています。
道祖神社全景
道路を挟んで東側にあります。建屋の中に道祖神社、のどの神、金伯五金大神等の小祠が所狭しとあります。
道祖神社(御祭神:久那斗神 八衢比古神 八衢比賣神)本殿の石祠です。
境内社のどの神、金伯五金大神の祠です。
境内社御祭神宇賀魂命の福徳稲荷です。
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