九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

普天間宮(沖縄県宜野湾市)

2013-07-27 16:17:15 | 神社参拝ー九州

 このところ、放置状態でしたが、久しぶりに本家「九州神社紀行」をつぎのとおり更新しました。

1.参拝記録(2013山口県九州沖縄)への追加
2.自己紹介(カメラ、レンズ)追加修正
3.普天間宮(沖縄県宜野湾市)の追加

 普天間宮(ふてんまぐう)
普天間権現(ふてんまごんげん)
【鎮座地】〒901-2202 沖縄県宜野湾市普天間1-27-10 旧琉球国 沖縄郡
【御祭神】伊弉冉尊 速玉男命 事解男命 天照大御神 家都御子神 日の神 竜宮神 普天間女神 琉球古神道神
【例祭】 9月15日 例大祭
【旧社格等】無格社 琉球八社
【御由緒】
 普天満宮    略記
鎮座地
 沖縄県宜野湾市普天間一丁目二七番一〇号
御祭神
 一、熊野権現
    伊井再尊 いざなみのみこと
    速玉男命 はやたまをのみこと
    事解男命 ことさかをのみこと     
    天照大御神 あまてらすおほみかみ
    家都御子神 けつみこのかみ

 二、琉球古神道神
   日の神
   竜宮神(ニライカナイ神)
   普天満女神 (グジー神)
   天神・地神・海神
御由緒
 当宮は別称普天満権現、琉球八社の一つである。
創建については往昔、普天満の洞窟に琉球古神道神を祀ったことに始まり、尚金福王から尚泰久王の頃(一四五〇~六〇年)熊野権現を合祀したと伝えられている。
現存する古い記録には「普天満権現」碑(一五九〇年)がある。琉球神道記(一六〇五年)琉球国由来記(一七一三年)琉球国旧記(一七三一年)にも当宮関係が記載されている。前記の琉球神道記には當國大社七處アリ六處ハ倭ノ熊野権現ナリ一處ハ八幡大菩薩也」叉「普天間権現の事」については「濫觴亦知ラス、熊野ノ飛瀧ト見ユ、東ニ當リテ瀑布アリ、其水霊也・・・・」と、祭神のことが記されている。
 尚、普天満宮は熊野那智(飛瀧)に末吉宮を熊野新宮に、識名宮を熊野本宮に見立てて信仰されていたようである。
 さらに、近世沖縄における熊野三山いわゆる権現信仰は琉球八社の内の七社はもとより、その分社、あるいはビジュル・観音・霊石信仰とも習合しながら県内広域に伝播し、拝所としても数多くある。
 当宮の縁起伝承には首里桃原に女神が出現され、後に普天満の洞窟に籠られた。さらにその後、洞窟より仙人が現れ「我は熊野権現なり」と御神威弥高に示された。叉、中城間切安谷屋村の百姓夫婦や美里間切東恩納村の「当ノ屋(屋号)」に黄金(神徳)を授け苦難をすくつたという伝承があり、「当ノ屋」 ではそのお礼参りが続いている。
 旧暦九月は普天満参詣と称され、かつては中山王はじめノロ、一般の人々が各地より参集し礼拝の誠を捧げた。
洞穴は、全長二八〇メートルあり、洞穴の形成規模等からして地域の地形地史を知るうえでも貴重なものである。洞穴及び東洞口付近は遺跡となっており沖縄貝塚時代前期後半以後(約三千年前)の遺物が多数発掘されている。叉、約二万年前の琉球鹿、琉球昔キョン、イノシシなどの化石も発見され「普天満宮洞穴」は平成三年八月一日付で、宜野湾市文化財「名勝」に指定される。
 (境内由緒掲示板より) 

 沖縄本島中南部、那覇市の北東約10kmに位置する宜野湾市にあります。宜野湾市役所から国道330号線を北に1kmほどの普天間米軍施設の一角に鎮座しています。

鳥居から拝殿 
 鳥居をくぐり10数段の階段を上ると、社殿のある境内です。参拝したのは6月24日、梅雨明けの夏空に社殿の赤い琉球瓦が映えていました。

鳥居の扁額「普天間宮」とあります。
 境内の由緒掲示板、当社のパンフレットには「普天満宮」とあり、こちらが正式の表記かと思われます。

参道から拝殿
 旧社殿は老朽化また白蟻の被害により改築され、現在の拝殿は本殿、儀式殿などとともに平成17年4月に竣工した新しいものです。

手水舎階段を上がると左にあります。
 社殿と同様、屋根は赤い琉球瓦です。

拝殿
 拝殿は一段高い位置にあり、左奥に授与所があります。ここでご朱印をいただきました。階段下、左右には昭和4年(1929)12月3日建立の狛犬があります。戦火を免れた貴重品と思われます。

拝殿 
 当社は別称普天満権現、明治以前琉球国府から特別の扱いを受けた八つの官社、琉球八社(波上宮・沖宮・識名宮・普天満宮・末吉宮・八幡宮・天久宮・金武宮)の一つです。
 創建については往昔、普天間の洞窟に琉球古神道神を祀ったことに始まり、尚金福王から尚泰久王の頃(1450~1460)熊野権現を合祀したと伝えられています。

拝殿の扁額こちらには「普天満宮」とあります。
旧社格は無格社となっていますが、昭和19年に県社昇格の予定になっていたが、戦時の混乱により立消えとなったとのことです。

本殿 
 御祭神は熊野権現(伊弉冉尊、速玉男命、事解男命、天照大御神、家都御子神)、琉球古神道神(日の神、竜宮神(ニライカナイ神)、普天間女神(グジー神) 天神・地神・海神)です。
 琉球神道記(1605)に「普天満権現の事」について「濫觴亦知ラス、熊野ノ飛瀧ト見ユ、東ニ當リテ瀑布アリ、其水霊也・・」と記されています。尚、普天満宮は熊野那智(飛瀧)に末吉宮を熊野新宮に、識名宮を熊野本宮に見立てて信仰されていたそうです。

洞窟の入口
洞窟へは授与所で住所、氏名を記入して申し込み、入口まで巫女さんに案内してもらいます。洞窟内は自由に参拝、見物ができます。拝観料などは無料です。

奥宮
洞窟には当社の起源とされる奥宮が鎮座されています。鍾乳石の随所に注連縄が施され、独特の雰囲気があります。

鍾乳石 
 洞窟は全長280mほどありますが、入口から数10mの間はライトアップされ、様々な石柱や石筍、過去の水流の傷跡を示す洞穴ノッチなどが見られます。
 洞窟内および東洞口付近は遺跡となっており、沖縄貝塚前期後半以後(約三千年前)の遺物が多数発掘されて、平成3年8月宜野湾市文化財「名勝」に指定されています。

洞窟奥から
 首里桃源に住んでいた美しい乙女が、後にこの洞窟に籠られ女神となられた普天満女神の伝承や、正直な百姓夫婦に黄金を授け苦難を救ったという普天満仙人の伝承などがあります。

奥宮から洞窟入口
 洞窟の入口から差し込む光が神秘的な雰囲気を出しています。南国特有の植物も多く見られます。

拝殿から鳥居
 国道330号線「普天間交差点」のすぐ北、道路に面して鳥居が建っています。

米軍機ヘリコプター
 参拝は10数分の短い時間でしたが、普天間基地にも近く、直ぐ上空を米軍のヘリコプター、航空機など米軍機が頻繁に飛び交っていました。

 全部をフォトチャンネルにしました。スライドショーでご覧ください。
普天間宮(沖縄県宜野湾市)

                       ここをクリックするとフルスクリーンの画像が見られます↑ 




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