九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

熊野速玉大社(和歌山県和歌山市)

2023-08-18 12:41:19 | 神社参拝ー近畿

熊野速玉大社を掲載しました。

「式内社」熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)
<通称>熊野権現(くまのごんげん)

【鎮座地】 〒647-0081 和歌山県新宮市新宮1 旧紀伊国 牟婁郡
【電話】  0735-22-2533
【旧社格等】  官幣大社(現別表神社)
     式内社 紀伊國牟婁郡 熊野早玉神社 大
【御祭神】
 御祭神         本地仏
第一殿(結霊宮) 熊野結大神(伊弉冉尊) 千手観音
第二殿(速玉宮) 熊野速玉大神(伊弉諾尊)薬師如来

第三殿(証誠殿) 家津美御子命・国常立命 阿弥陀如来
第四殿(若 宮) 天照大神        十一面観音 
第五殿(神倉宮) 高倉下命
     以上 上三殿  
第六殿 (禅児宮) 天忍穂耳命      地蔵菩薩
第七殿(聖 宮) 瓊々杵尊命      龍樹菩薩
第八殿(児 宮) 彦火々出見命     如意輪観音
第九殿(子守宮) 鵜葺草葺不合命    聖観音
第十殿(一万宮) 国狭槌命       文殊菩薩
   (十万宮) 豊斟渟命       普賢菩薩
第十一殿(勧請宮)泥土煮命       釈迦如来
第十二殿(飛行宮)大戸之道命      不動明王
第十三殿(米持宮)面足命        多聞天
      以上 八社殿
奥御前三神殿 ・天之御中主神 ・高皇産靈神 ・神皇産靈神
   第二殿(速玉宮)と上三殿 の間奥  
新宮神社 新宮町内の末社(村社7社、無格社6社、大己貴命以下13柱)合祀。
熊野恵比須神社 蛭兒大神

 【御由緒)
熊野三山 熊野速玉大社の御由緒
 熊野速玉大社は、第十二代景行天皇五十八年(約二千年前)に、熊野三所権現降臨の元宮 「神倉山」から、現社地に新たに宮殿を造って遷宮したことから、旧宮の神倉神社に対して「新宮」と号したと言われています。祭神は、熊野速玉男命クマノハヤタマオノミコト(速霊宮)と熊野夫須美命クマノフスミノミコト(結霊宮)を中心に十二柱の神々を祀り、那智大社・本宮大社とともに、全国に祀る千社の熊野神社の総本宮として仰がれています。
 第四十六代孝謙天皇の御世、「日本第一大霊験所」の勅額を賜り、第五十九代宇多法王に始まる歴代上皇女院の御親拝は、四百年の間
実に百四十度におよび、これを世に「熊野御美幸」クマノゴコウといいます。
 過去世を救済し、現世の利益を授け、来世加護へと導く速玉大神の大神徳オオミノリは、「減罪と甦り」を説く熊野権現信仰として広く万民に 受け入れられ、日本全土に熊野神社が祀られるに至りました。 難行苦行の旅でありながらも蟻の熊野詣とうたわれるほど参詣が盛んとなり、 今なお日本第一大霊験所・全国熊野神社総本宮として崇敬を集めています。
 境内には、熊野権現の象徴たる樹齢約千年の「なぎの木」が 御神木としてそびえ、歴代の朝廷から賜った千二百点にもおよぶ国宝古神宝類は、我国の至宝として一部を熊野神宝館にて展示しています。

祭礼日 十月十五日、十六目 例大祭・神馬渡御式・御船祭 二月六日 神倉神社 御灯祭(和歌山県指定無形民族文化財) 
特別授与品 なぎ人形・なぎ守り・・・御神木なぎに由来する現世安徳・良縁結びのお守り
      熊野牛王法印 熊野権現の使いである烏で絵文字化化したお守り札。(戦国時代からこの烏文字になった。)武士や公家間契約書や遊女の起請文にも使われ、古典落語の「三枚起請」にも登場する。病気平癒・魔除け効しある有名な護符。
    (社頭由緒掲示板より)

参拝月日:04/03/2009


参道入り口
 和歌山県新宮市にあります。紀勢本線「新宮駅」の北西およそ1km、熊野川河口から3km、国道42号線沿いに鎮座。

参道入り口の大鳥居
 中央に朱塗りの下馬橋があり、右に昭和二十七年十月建立の「熊野速玉大社」の社号標。左には「熊野大権現」とある社号碑(昭和五十九年六月吉日)。

大鳥居から参道
 鳥居の扁額には、「熊野権現」とあります。鳥居をくぐると周囲を樹木に囲まれた参道が続きます。

八咫烏神社と、鑰宮 手力男神社 
 参道右手にあります。右に神武天皇の道案内をせられた八咫烏を祀る八咫烏神社。左は天の岩戸から天照大神を引き出した、手力男命を祀る手力男神社と並んであります。
 八咫烏神社(建角見命は、熊野神の使者とも言われ、末社として丹鶴山麓に奉祀されていた。鑰宮手力男神社(天手力男命)は、延喜式神名帳に紀伊國牟婁郡手力神社とある由緒の古い社です。

神鳥 「八咫烏」と「熊野牛王宝印」
 熊野大神のお使いである三本足の「八咫烏」は、神武天皇が熊野山中で道に迷われた時、大和の国に入る道先案内をつとめたといわれていま す。この「八咫烏」を絵文字化した神札 「熊野牛王符」は、千年礼・お からすさまとも称され、あらゆる災いを防ぎ、病いを平癒する護符と崇められるとともに、誓約書や起請文にも用いられ、熊野詣の人々はお詣りの際、必ずこのお礼を受けることを慣習としています。
 この熊野牛王符を題材にした古典落語 「三枚起請」では、遊女が牛王符の裏に書いた起請文を複数の旦那に渡し、それを知った旦那達とのや りとりが語られていて、千年の昔から伝わる熊野牛王宝印の霊験が人々 の間に広く浸透していた様子が窺われます。
  (神社パンフレットより抜粋)

参道
 石畳の参道が続きます、奥に神門が見えます。

熊野神宝館
 当社は、1200点に上る国宝や国指定文化財の古神宝類を収蔵し、その一端を当館で展示しています。入口に迫力ある弁慶像が立っています。
 
御神木なぎの老樹 
 推定樹齢千年、国指定天然記念物です。

 当社熊野権現の御神木で平重盛公御手植として知られ、幹廻り6m、高さ30m、の吾国最大のなぎの巨木とあります。
なぎは凪に通じ昔から家内安全 和楽の信仰があり、熊野詣のしるしになぎの小枝を手折った事は古書にも見えて居ります。
なぎの実で奉製した「なぎ人形」は、家内安全の御守りとして有名です。
 千早振る熊野の宮のなぎの葉を 変らぬ千代のためしにぞ折る 定家

参道から神門
 両側に大きな一対の狛犬が聳え、正面に神門、右に手水舎、左奥に大禮殿があります。

熊野稲荷神社
 神門の手前右、手水舎の奥にあります。

神門
 出雲大社を思わせる大きな注連縄が掛けられた朱塗りの荘厳な造りの神門です。

神門から境内
 扁額には「全国熊野神社 総本宮」とあります。正面に「上三殿」が見られます。

熊野御幸の碑
 「熊野御幸」といわれる宇多上皇(第59代天皇)延喜7年(西暦907年)から玄輝門院の嘉元元年(西暦1303年)まで396年間の皇室(上皇、女院、親王)の御参詣の記録です。

社殿全景 
 熊野速玉大社は、第十二代景行天皇五十八年(約二千年前)に、熊野三所権現降臨の元宮 「神倉山」から、現社地に新たに宮殿を造って遷宮したことから、旧宮の神倉神社に対して「新宮」と号したと言われています。祭神は、熊野速玉男命クマノハヤタマオノミコト(速霊宮)と熊野夫須美命クマノフスミノミコト(結霊宮)を中心に十二柱の神々を祀り、那智大社・本宮大社とともに、全国に祀る千社の熊野神社の総本宮として仰がれています。

社殿全景
拝殿から、五つの鈴門(各社殿の拝所)が並び、その奥に、左から第一殿 結宮、第二殿 速玉宮、奥御前三神殿、上三殿、八社殿と並んでいます。

拝殿 
 当社は、本宮の熊野本宮大社、那智の熊野那智大社とともに熊野三山のひとつとして全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮です。
熊野の本宮、新宮、那智の3つの聖地をまとめて熊野三山というほか、本宮の熊野本宮大社、新宮の熊野速玉大社、那智の熊野那智大社の3つの神社の総称としても熊野三山という。

 現在の社殿は、昭和28年(1953年)に再建されています。左に第一殿(結宮)、中央に第二殿(速玉宮)の千木が見られます。

拝殿の勅額

 孝謙天皇(在位:749年〈天平勝宝元年〉~758年〈天平宝字2年〉より賜った、「日本第一大霊験所 根本熊野大権現」とあります。

熊野権現信仰(三山三世信仰)
 熊野権現信仰は奈良朝に起り、神仏習合の流布にともない、熊野速玉大神は薬師如来として、 熊野夫須美大神は千手観音に、家津美御子大神は阿弥陀如来というように、神々はそのままでは俗世に御姿を現わすことは出来ないので、仮に仏にお姿を変えて現れる(権現)と説かれま した。熊野三山は、衆生の苦しみや病いを癒し、過去世の業を救い現世安穏の御加護を垂れ、 来世(浄土)に導いて下さる御神仏のまします常世として位置づけられ、古来から「滅罪と人 生の甦り」を求めて多くの信仰者が訪れています。
 (神社パンフレットより抜粋)

拝殿

 平安時代に起こった本地垂迹説(日本の神々はさまざまな仏が形を変えて日本に現れたとする考え方)により、本宮大社は阿弥陀如来、速玉大社は薬師如来、那智大社は千手観音とされ、熊野三所権現とも呼ばれています。

本殿
 
 左から第一殿(結宮)、第二殿(速玉宮)、上三殿と並んでいます。

 御祭神は、主祭神の熊野速玉大神(伊弉諾尊いざなぎのみこと)・熊野夫須美大神(伊弉冊尊いざなみのみこと)の二柱はじめ十八柱の祭神が祀られています。

本殿(速玉宮)
 
 主祭神の熊野速玉大神(伊弉諾尊いざなぎのみこと) 本地仏は薬師如来。

 一般的に、千木は祭神が男神の社は外削ぎ(先端を地面に対して垂直に削る)、女神の時は内削ぎ(水平に削る)とされています。男神の熊野速玉大神を祀る速玉宮(千木は先端が「外削ぎ」になっています。

本殿(結宮)

 女神の熊野夫須美大神(伊弉冊尊)を祀る結宮は千木は先端が「内削ぎ」になっています。先端に見られるハート形の彫刻は猪目といわれる、強風を受け流す風穴です。

上三殿

 第三殿 証誠殿 家津美御子命・国常立命、第四殿 若宮 天照大神、第五殿 神倉宮 高倉下命が祀られています。

上三殿から八社殿

 手前の上三殿に続いて左にある細長い社です。八社殿には、第六殿 禅地宮 天忍穂耳命から第十三殿 米持宮 面足命の八社がまつられています。

 第六殿 禅地宮 天忍穂耳命、第七殿 聖宮 瓊々杵命、第八殿 児宮 彦火々出見命、第九殿 子守宮 鸕鷀草葺不合命、第十殿 一万宮十万宮 国狭槌命 豊斟渟命
第十一殿 勧請宮 泥土煮命、第十二殿 飛行宮 大斗之道命、第十三殿 米持宮 面足命

熊野恵比須神社

 境内右手にあります。御祭神は蛭兒大神 。左に新宮神社が並んであります。

新宮神社

 熊野恵比須神社の左に並んであります。

 新宮神社は、明治四十年に新宮町内の以下の末社を境内社金刀比羅神社(大物主神)に合祀したもの。
村社・太上宮(大己貴命)・谷ノ子神社(菊理媛命)・石神社(素盞鳴命)・今神倉神社(天村雲命)・渡御前社(神倭磐余彦命)・満山神社(八百万神)・高倉神社(熊野樟日神)、
無格社・火之神社(軻具土神)・猿田彦神社(猿田彦神)・鳥坂小守社(埴山姫命)・八幡宮(誉田別命)・小飛神社(稲倉魂命)・妙見社(少彦名命)。
 (現地案内板より)

境内から神門

 右手に授与所があります。

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