震災後の鹽竈神社の5月初旬の様子をお伝えしております。
今回は境内にある豪華な燈籠のお話です。
ひときわ大きく豪華な飾りの燈籠でつい写真を撮りたくなってしまうのです。
文化燈籠・・・銅鐵合成燈籠です。
立派な龍が施されています。 すごい迫力を感じます。
上には鳳凰が・・・お見事です。
こちらも龍です。本当によく出来ていますね。
神獣も多く飾られています。
これは象さんですよね。
昇り龍です。
建て看板がありました。
ここでもう少しこの燈籠について詳しく説明します。
幕府より蝦夷地警備を命じられた伊達家九代藩主、伊達周宗は、とても壮絶な任務を無事遂行できたことに深く感謝し、
文化6年(1819年)にこの銅鐵合成燈籠を鹽竈神社に寄進しました。
文化年間だったので文化燈籠と呼ばれています。
蝦夷地警備にはロシアの脅威が迫っていたという背景がありました。
文化元年(1807年)ロシアのレザノフが石巻から出航し漂流した善六らを連れて
日本との通商を開こうと長崎にきたが、幕府はこれを断った。
するとその報復として利尻島の幕府の船に火を放ち、択捉島では焼き討ちを掛けて来るという強攻に及んできた。
こうした事態を重く受け止めた幕府が奥羽四藩に蝦夷地警備を命じたのである。
仙台藩は2000名ほどの大人数で北海道にわたり、箱館(函館)、択捉、国後の警備に当たったが、
慣れない環境と厳しい自然と過酷な任務のせいもあり、26人の死者を出したといわれている。
この燈籠にはこのような歴史的背景があったのです。
でも石巻出身の善六さんてすごい経験をした人なのですね。びっくりです。
狐のようにも見えますが「神獣」のようです。
何だろう・・・
いろいろな神獣が描かれています。
象さんのような違うような・・・
お狐様でしょうか・・・ちがうかなぁ・・・角あるみたいだから山羊かなぁ・・・やはり神獣・・・?
とても精巧なつくりの飾り物がされていました。
あの文化の時代に実際いくらくらいかけて作ったのでしょうか?
今作ったらどれだけかかるのだろう???
職人さんの技ってやはりすごいなぁと感心させられました。
寄進するときは藩主はもちろん伊達家のそうそうたる方々が集まり執り行われたのでしょう・・・
タイムマシンがあるなら見てみたいなぁ・・・なんて思いながらシャッターを切っておりました。
なんども行っている鹽竈神社ですが、本当に毎回違う姿を見せてくださり
新しい発見を教えてくださいます。
今度はどの季節に行ってみようかな・・・
鹽竈神社にはいろいろな種類の桜が咲いています。
どれもこれも本当に綺麗ですね。
今年の染井吉野は皆白やグレーに見えてしまうと
被災した方々が口にしておりますが・・・
紅色の入った桜はやはり綺麗なものです。
特に神社で見る桜は何故か心が安らかになります。
何故なのでしょうね・・・
怒っているのか・・大きな鳩が胸を膨らませて小さい鳩を追いかけていました・・・
NowFieldy
Canon EOS 20D & SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO
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