
自我はすごく悔しいと思うのだけども
自我にとっては残念なことに、連続的なミラクル以外、何も起こってはいない。
自我は分離(という夢)を長引かせるためにのみ
この世界や全てのストーリーを使う
でも、聖霊はその「夢」を、時間短縮のためにのみ
夢・世界・ストーリーの全てを使う
だから、自我の目論見は全部失敗に終わる。
「私」が自我の目論見に力を与えるのをやめた分に比例して
指数関数的に奇跡や癒しが急上昇し続ける。
それしか起きていかない。
ひとたび「私」が自我に力を与えるのをやめていくと
ますます奇跡の連続を「私」は眼にすることになる。
自我はいろいろと過去や未来についての言い張りを
永遠と思えるほど果てしなく訴え続けようとするけども
実は、ずーーーーっと奇跡の連続だったのだと
心はいずれ気付くだろう。
神の子に神の子である自覚を復活させるためにのみ
この世界の中で聖霊は自然な奇跡を見せ続けようとしている。
パラドックスなのだけども、その聖霊からの奇跡を受け取るためには
「私」は先に聖霊に「私」を与えることが必要だということ。
聖霊がそれを望んでいるからではなくて、それが真理の法だからなのだろう。
【 与えないままに受け取るって、どう考えても無理な話 】
圧倒的に与えて与えて与えきったとき、受け取ろうとする必要がないほどに
もう受け取ってしまっている。
受け取るためには何もする必要がない。
受け取ろうと「する・行為する」のではない。
ただただ、自分のすべてを神さまに与えきって、あげてしまうだけでよかったのだ。