本当に、本当に、悟りたい。
本当の目覚めについて、疑問がある。
と、感じている方に読んでいただければ。。
と思い、綴ります。
現状に満足なさっている方は、どうかスルーしてくださいね。
☆ ☆ ☆
残念なことに「分離の終わり」は、自己探究(目覚め・悟り)の最終地点ではありません。
分離の終わり自体が、
それ自体が、
実は分離のスタート地点に過ぎなかった。
ということを、意識のシステム内で隠し続けようとせず
分離の終わり、ゴールと思っていたそのものが、
あと一歩、「何かを覆っていること」に、気が付かなければなりません。
覆われているその何かが、真の自己です。
真の自己を覆っているものは、分離のスタートに過ぎないのだけれど
非二元、ノンデュアリティと言われる概念では、
覆っているもの、分離のゴール=分離のスタート(分離の原因)が、
真理(全体、神、大いなる○○、宇宙意識etc)だと思われている。
個・自我からの離脱は、単なる分離のはじまりを見つけたに過ぎないのだけれども
どうしても、それがゴールと思われてしまう。
意識のシステム内では、それが限界の概念なのだけれど。。。
実は、意識の外からは、宇宙の外からは、
喜んで、この世界ごと、宇宙ごと、幻想ごと、夢ごと
消えて溶け去ってゆくための、
夢見を終わらせるための
声がやってきている。
そこでは、すべてが見渡せる。
「何もかも、終わっている」ということ。
分離の終わりも、分離のスタートも、世界も、あらゆる夢も、思考も
既にすべてすべて、終わっている。ということを。
全部過去だということを。
ずっと変わらずにあったのは、God isという真理だけだった。
ということを。
「悟った。」と、思ったところが、
本当の目覚めの「スタート」なのですね。
本当のゴールにたどり着いたなら、、
それはそれは、すごいことになります。
それはそれはそれはそれは、すごいことです。
私も途上の者ですが、そこにたどり着くために、今、ここにいます。
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本当の目覚めについて、疑問がある。
と、感じている方に読んでいただければ。。
と思い、綴ります。
現状に満足なさっている方は、どうかスルーしてくださいね。
☆ ☆ ☆
残念なことに「分離の終わり」は、自己探究(目覚め・悟り)の最終地点ではありません。
分離の終わり自体が、
それ自体が、
実は分離のスタート地点に過ぎなかった。
ということを、意識のシステム内で隠し続けようとせず
分離の終わり、ゴールと思っていたそのものが、
あと一歩、「何かを覆っていること」に、気が付かなければなりません。
覆われているその何かが、真の自己です。
真の自己を覆っているものは、分離のスタートに過ぎないのだけれど
非二元、ノンデュアリティと言われる概念では、
覆っているもの、分離のゴール=分離のスタート(分離の原因)が、
真理(全体、神、大いなる○○、宇宙意識etc)だと思われている。
個・自我からの離脱は、単なる分離のはじまりを見つけたに過ぎないのだけれども
どうしても、それがゴールと思われてしまう。
意識のシステム内では、それが限界の概念なのだけれど。。。
実は、意識の外からは、宇宙の外からは、
喜んで、この世界ごと、宇宙ごと、幻想ごと、夢ごと
消えて溶け去ってゆくための、
夢見を終わらせるための
声がやってきている。
そこでは、すべてが見渡せる。
「何もかも、終わっている」ということ。
分離の終わりも、分離のスタートも、世界も、あらゆる夢も、思考も
既にすべてすべて、終わっている。ということを。
全部過去だということを。
ずっと変わらずにあったのは、God isという真理だけだった。
ということを。
「悟った。」と、思ったところが、
本当の目覚めの「スタート」なのですね。
本当のゴールにたどり着いたなら、、
それはそれは、すごいことになります。
それはそれはそれはそれは、すごいことです。
私も途上の者ですが、そこにたどり着くために、今、ここにいます。
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