奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

私の○○なんてない、誤作動を終わらせるだけ

2015年11月24日 14時35分35秒 | ACIM奇跡のコースという生き方
ここ数か月

私の中で、恐れが溢れてあふれて止まらない状態になったとしても、

喜びが溢れてあふれて止まらない状態になったとしても、

理不尽なことがあったとしても、いつも通り、ただ赦すだけでOKで

私自身、困らなくなってきているのはなんでだろう?と 考えてみました。


それは「私がいない」ということを受け入れているからなんだな。

と、わかってきました。


個としての私のみならず、幻想を作り出している意識としての私(決断の主体・分裂した心)、宇宙全体

もろとも、存在していないんです。


これを体験的・確信的に理解し始めたのは2014年の夏ごろでした。

その頃は衝撃的でしたが

今では、極々当たり前になってきています。


この夢の中で、キャラクターとしての体験はあるかのように感じていますが、

それ全体が存在していないということに同意しているというか、

認めることを受け入れているというか、そうでしかない。

ということに、降参しています。


無の幻想が、無の幻想の中で、狂気の決断を下しているのを撤回し、正気の決断を下していって

最終的には、完全なる幸せの中に消滅してゆくので

決断している者さえ、最初から存在していません。(夜眠っている時の夢の中と同じです)


存在していないことをわかっていながら、私はいないんだと認識しながら

幻想の中の誤作動をただただ終了させるだけで

その、誤作動が終わってゆく過程で現れては消えてゆくあらゆる感情も

「私のものではないんだ。」ということ。



神のものしか実在していないのですから。



「この恐れは私のものです。確かに私はその恐れを感じています。」

「この喜びは私のものです。確かに私はその喜びを感じています。」

ということ自体、ものすごく傲慢だったんだな。という感覚なんです。


「この喜びを、どんな形にしよう!」

と、この夢の中、どんな行動をしても良いのですが、God isを学び実践が進んでいったらならば

より、現実(真理)をわきまえてゆくのでしょうね。


「この喜びを、どんな形にしよう!」というよりも

「ああ、神さまありがとうございます。すべてはあなたからの恵み、あなたが私の源です。」

という心の姿勢に、だんだんとなってゆくはずです。

そうやって、こうべを垂れてゆくので、幻想の自分は消えるだけで

実在している真の自己以外は、無かった元々の状態だけになってゆく。


そういうことなんだな。と、感じています。


とにもかくにも、徹底的な学びと実践ありきですね。








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