
デイヴィッドが「肉体として自他をみていること自体がすでにピープル プリージングです」
と言っていたのを聞いた時、すごい根本のところのそれがすでにピープル プリージングなのかぁ。。
と数ヶ月前は驚いたのだけど、今では、それは当然のことだなと感じている。
究極的には自我に同調することそのものがすべて、ピープル プリージングなんだと思うし
自我に流される、自我に力を与える、自我に同調する。というのを言い方を変えると「ピープル プリージング」となるのだろうと思う。
だから、ポジティブだろうがネガティブだろうが、自他をスピリット、キリストとして見る決断が起きていなければピープル プリージングなんだろうな。それは惨めな決断なんだな。
そう感じる。
そして私たちには、はっきりと決断し直す機会がいつも与えられている。
宇宙を映し出す以前の【心のレベル】に戻って決断することができる。
でも、そのためにはそれなりの浄化が必要なのだなと今までの経験から教えられている。
「決断の力に戻るのを阻んでいたバリアを取り除く」って、こういうことだったのか。。と、なんだかすごく落ち着いている。