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続 時の往復 neo

過去⇔現在⇔未来

終戦から80年

2025-08-16 11:59:30 | 靖国神社

戦後80年を迎えた終戦の日、
靖国神社参拝。と行くはずが今年は断念。
だってこれだもん。

毎回10時頃に到着して神門くぐって並び始め、
30分もすれば参拝でき、遊就館で鉄砲蔵氏と落ち合い、
正午の黙祷まで談笑しながら時間をつぶし、
なんてのがいつもの流れだけどこれだもんね。
10分ほど並んだけどほとんど動かず、
これはマズイと思い離脱。
防空頭巾タイプの気化熱冷え冷え機能タオルと、
日傘で暑さ対策はしたものの、
灼熱の太陽は予想以上の暑さで危険を感じた。
なんつったって2011年に熱中症を3回経験。
この記憶が蘇り無理はいけないと思い参拝断念。
なんでも朝の開門と同時に行列が始まったようで、
ここまでの参拝者数も異例じゃないかね。
戦後80年という節目と共に、昨今の政治不信やら、
外国人問題での日本存続の危機感を感じたり等々、
日本人が各々に色々な考えで自国への思いを
気付き始めているとも思われるし、
愛国心からくる思いが先人方への感謝の気持ちに
繋がるのであろうとも考えられる。
これは強制でも押し付けでもない自然な感情だ。

結局鉄砲蔵氏も自分と同じく参拝は断念し、
涼しい休憩所で黙祷まで談笑。
話す事はいつものミリミリで、あれだけ好きだった
サバゲも氏は病気もあり最近めっきりだそうで、
怪我したとか体動かないなんて時は、
スナイパーに転ずるサバゲあるあるがあって、
「あのスナイパーよいよいだけどやばいらしいぞ」
なんて言われるスナイパーになってみるとか提案したけど、
何とも鈍い反応で、考えてみればお互いあと数年で還暦。
出会った頃が20代だもんで感覚は20代なわけ。
楽しかった時代の記憶って、いつまでも引きずるもんで。
戦後80年という節目に、自分達が参拝できなかった事は
悔やまれたが、参拝できないほど混雑して
参拝者が多かったと考えれば、決して悪くはない。だぶん・・・
なんてな話をしながら正午の黙祷に時間が近づいて来て、

正午の黙祷(←クリックで撮影したユーチューブへ)

運転手付き高級車で乗り付け待たずに参拝できる、
議員や上級国民の待遇にはあこがれますわ。

参政党議員88名が今回靖国神社を参拝したが、
この先参政党が与党になった場合、
いったい何人の議員が靖国神社を参拝するのか
とても気になる所。自民党と同じ事したら
支持者が減る事は確かな事。

それと毎回思うけど高齢者レーンを設け、
高齢者にはほとんど待たずにスムーズに参拝できる
環境を整備するべきではと思う。
あの暑さじゃ年寄りは無理だよ、死んじゃうよ。

そしていつもの場所には、オカリナ奏者の谷口さん。
会うたびにラジオに出たとか色んな新しい話があって、
今回は『 摩文仁 』 というドキュメンタリー映画に
出演されたそうだ。

 

基本ニュートラルな構成ではあるものの、
登場人物がほぼほぼリベラルらしく、そのなかでも
最後に登場するのが谷口さん。そこらへんで
バランスをとっているみたいで。
あまり表には出ない沖縄での話なんかも聞くことが出来、
やっぱり色んな人から話を聞くって大事だと思う。
しかしながら8月13日にNHKで放送された、
戦後80年終戦ドラマ、『 八月の声を運ぶ男 』では
遠まわしに捏造についての是非を問う内容だと
自分は感じたが、Xでの感想はほとんどが、
捏造についての意見無し。人々から聞いた話を、
さも自分が体験したかのようにつぎはぎして話を構築。
聞いたその話が本当かそうでないかの保証もなく、
実際に聞いた話を構築した本人でさえ捏造人生にもとらえられる。
朝日新聞の慰安婦報道問題を思い出させるドラマだった。

谷口さんと談笑中、毎年靖国神社に団体で参拝している
台湾民政府の方がいらして、急遽セッション。

 

親日思想はありがたいが、日本と台湾と統合したら、
台湾にいる中国人がなだれ込む事も考えられるから、
自分としては一概に大歓迎とはいかないかな。
お互い友好国としての立ち位置で協力していくのが望ましいと思える。
靖国神社を後にして、鉄砲蔵氏の体調の問題もあってここで散開。
自分は千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ向かう。

 

 

 

墓苑で知り合いになった関係者の方々と挨拶を交わし参拝

この所何年かは正午の黙祷は靖国神社ではなく墓苑だったが、
今年は鉄砲蔵氏の体調もあり真夏での歩行困難、
そして戦後80年もあり黙祷は靖国で行った。
丁度セレモニーが行われていて、かなりの参拝者が訪れていた。
なかでもセレモニーには毎年供花とともに参加していた、
福島瑞穂議員はおられず、ラサール石井議員が参加していた。
まぁここだけの話実際ラサール石井見たの初めてだったけど、
けっこうイケオジっつうかかっこよく見えたのは事実なんよ。
支持はしないけどね。

 

 

セレモニーも終わりいつもの静かな墓苑に戻った。

 

 

 

今年も午後はいつもの反天連のデモがあり、
厳戒態勢に多額の税金が投入。
そして歩道ではいつもの愛国者、右翼団体、
ユーチューバーらが、それこそお祭り騒ぎで大集結。
何年か前から靖国神社周辺には、
右翼や政治結社の街宣車の立ち入りが制限され、
物々しい雰囲気はなくなったが、今度はそれに反する反日らの
やりたい放題が目に付く状態。
街宣右翼が警備(反日警護)している警察に対し、
この状況から拡声器で文句を言う気持ちはわかるが、
そのモチベーションとエネルギーを、
昨今の迷惑反日集団しばき隊にも向ければ、
当人たちが意図しないレッテルも少しは払拭できると思う。
大型車に巨大な拡声器は強力かつ強圧。
あの自分勝手な思想と本当の意味でのレイシストは、
珍走団(暴走族)と同じ日本の癌しかり。


初詣と思い出ぽろぽろ

2025-01-04 00:54:41 | 靖国神社

祝2025元旦。

 

 

 

今年も初詣は靖国神社へ。
神門到着10:45.
まださほど混雑はなし。

 

 

しかし元日は大気が澄んでいる為に、
熱く痛く感じるくらいの日差しが頭に感じながらも、
無事参拝。

 

 

毎年恒例、鉄砲蔵氏と遊就館で落ち合い、
茶寮結でしばし談笑。
この寒いのにソウトクリーム食っとるし。

 

 

氏はなんか最近手のリハビリもかねて、
プラモデルをやり始めたとかで売店でプラモ買ってたけど、
量販店行けば色々あって値段も安くポイントも付くが、
あえて靖国神社で買うって言う価値観には勝らないというか・・・

コレクションではなく色々な種類もやりたいとかで、
アキバの中古プラモ専門店にも行くか聞いたら知らないらしく、
レオナルドETとレオナルドLGを紹介すると、
ソウトクリームそっちのけで検索開始。

自分もガルパンブームの時の良く通った店。
作るより買うがペースを上回り一時積みプラ状態になったけど、
最終的には全部作った。80種くらいだったかな。
結局全て作り終えて置き場所に困るわけで、
作ってる時ってそんな事考えなくて、プラモあるある。
作るに徹するとの事でお得な袋キットを進めておいた。
(袋キットとは破損などで外装箱が売り物にならなく中身だけ
袋につめて販売している、組み上げる上で製品上問題ないもの)
そんなこんなで一路千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ。

 

昼近くなると参拝者も増えだした。

 

 

千鳥ヶ淵戦没者墓苑無事参拝。

 

なんかゴージャスな雰囲気で、
ここで知り合った毎度のボランティアの方に尋ねたら、
今年で墓苑が80周年だそうで、
靖国神社参拝だけ行いそれをネタにSNSに挙げてる国会議員。
何故こちらには参拝に来ないんだろうね。
知らないわけじゃないよな。

 

 

去年はオヤジ二人で寒い中運動散歩もかねてお台場行ったけど、
今年も自分の提案で山下公園にある氷川丸見学へ向った。

何故に氷川丸?去年初めてしょうけい館なるものを知り、
靖国神社から歩いて数十分の場所に移転し初めて知った場所。
展示内容は先の大戦において怪我をした人々を支えた医療器具や、
当時の傷痍軍人の暮らしなどか紹介されていて、
非常に濃く充実した内容で構成されていて、
そこで知ったのが氷川丸が戦前戦後多くの兵隊さんの出兵帰国に
携わった事を改めて多く知る事ができ、どうしても氷川丸に
行きたいと思っていたわけで。
一時期数年山下公園には釣りには出かけていたが、
遠目で見るだけだった氷川丸。なんか今愛おしくも感じる。

船の年表みたいなのがあったけど、
戦時中の事については殆ど明記されて無かったみたい。
あの時代の事は伏せておき、
華やかだった頃の船の活躍だけでもいいのかも知れないけど、
この船が多くの人を戦地から日本に兵隊さんを帰還させた記憶は、
アカシックレコードからは消える事は無いだろう。

 

氷川丸の後は中華街に行き豚まん。
釣りに来た時、全ての店を網羅したわけではないけど、
豚まんを何軒かはしごして、そこで出会った美味しい豚まんが、
揚州飯店の角煮まん。豚まんじゃないけど。
是非とも鉄砲蔵氏に食べてもらいたく店に向かったが休み。
他の店はどこも活気良く営業してるのに休み。
何で・・・と思いとにかく無難な江戸清の豚まんを食し、
揚州飯店の証拠写真を撮り忘れ、ささっと一人で再度店に向かうと、
閉まっていた店はとなりの食器屋だった。
何とも自分の早とちりでよく見ると蒸し器っが置いてあり、
かなり美人の店員さん(多分中国人)の方に、
角煮まんは売っているのか尋ねたら売り切れ。
どっちみち食べられなかったけど、
売り切れってやっぱりリピーターとか口コミで、
知る人ぞ知る美味いもんだったんだなと。
んでもって記憶の中にある建物の形が違い、
帰宅して調べ、以前撮影した写真は確かに記憶の建物で、
色々調べて写真にある店舗の隣が工事中で、
どうやら工事が終了した建物に新規移転したらしい。
食器屋は以前の店舗と思われる。
江戸清の豚まんも有名なだけに確かにおいしい、
しかし揚州飯店の角煮まんはもっと美味しいんだわ。

 

氷川丸は小学生の頃遠足で見学した記憶があるけど、
内容は全く覚えていない。自分の中での氷川丸と言えば、
YMOが散会する時に製作された映画プロパガンダのロケ地。
謎の女、安珠玲永さんがチャイナドレス着て・・・
丁度この日モデルさんらしき人達が通路で撮影していて、
なんか映画とダブって見てしまった。
とにかく安珠玲永さんには思春期だった自分は心奪われた。
ずっとずっと謎の女だった安珠玲永さんだったけど、
現在はフォトグラファーがメインでお名前も安珠さんとなり、
2018年に伊勢丹の浴衣イベントで目の前でお会いできて、
しかも少々会話も出来てお写真まで撮らせて頂け、
これにて謎の女から一転して現実の女になったけど。
映像の中で見たいいオンナ。
現実に見てもいいオンナだった・・・
初詣からの何てオチだこと。

 

 


新年災いからのの教訓

2024-01-04 12:20:37 | 靖国神社

祝 2024

元旦初詣は靖国神社へ。

 

 

 

9:30頃に到着し、
いつものように毎度の鉄砲蔵氏とは、
遊就館内に展示してある機関車前で合流し、
茶寮結でしばし状況報告。

終戦の日、8月15日は九段坂には沢山の保守系の人達がビラを配るが、
正月はそのような光景はなく宗教勧誘の人ばかり。
靖国神社参拝に来ている人で入信する人なんていないと思いたいが、
これがまた勧誘する女性が美人ぞろい!
前を通る時思いっきり睨んでも、優しい笑顔で返してくるからね。
ワタクシも一瞬、いゃっほんの一瞬ね一瞬、いいかも・・・(´д`*)
なんて思う時もある。がしかし、
おいっそこの汚れ無き男子!だまされんなよ。

鉄砲蔵氏がだいぶ体調が悪く、去年の終戦の日は来れなく、
今回も体調の様子次第なんて感じだったけども、
自分が提案していた運動リハビリも兼ねて弁当を買ってお台場へ、
ゆっくり行こう企画、途中で断念もありでいざお台場へ。
その前に千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ向かい、


道すがら正月の恒例になりつつある廃墟鑑賞もありの。

 

千鳥ヶ淵戦没者墓苑参拝。

 

  ~  ~  ~

 

お台場到着。向うは第3台場。

 

冬なだけに海水はクリアー

 


なんだけども潮のにおいってのが全くなし。何故だろう?
でも空気はいいし気持ちが良い。

 


かもめが寄ってきて。


弁当の入った袋をガサガサ動かしてみたら案の定沢山寄って来たが、
何もやらずに追っ払ってやったわ。

 

海苔作ってた。

 

イソメ類の穴か?

 

 

 

 

 

ゆっくり歩き目的地のお台場第3台場到着。
結構歩いた感あり。目の前は第6台場。

ここのは何度かサイクリングで仲間とやってきた場所。
眺めが良くてベンチも沢山あり、
人も少なく歩くのが好きな人には結構穴場かも。

乾杯&頂きます。

 


風が強かったので風が無い方向に移動。
目の前は第2台場。

鉄砲蔵氏の右半身がどうにも調子が悪く、
無意識に震えていて、意識をすれば止められるようで、
ずっと気になっていた事があって、
無意識な動きなだけにその手でサヲを握れば、
他人がやってくれている感覚が味わえるのか聞いてみたら、
【それはない!】と笑いながら言っていた。
まぁ大変な調子でもいい部分もあるかと疑問に思ったけど、
そう都合良く行くもんではないもんで。
いやでもあれだな、自分が話した事で思いつき、
もしかしたら意識して無意識になる訓練をし、
他人による行為を味わえるよう練習をしているかもしれない。
今度会った時に聞いてみよう。

 

戦史跡も沢山あってその一部の砲台後ね。

 


弁当食べながら色んな話をして時間も経ち、改めて周りを見渡し、
江戸時代の人はお台場から見た今のこの風景を想像もしてなかっただろうとなと。

 

 


寒くなる前に家路へ。
東京の雑踏からわずかな時間で、
少し歩くけど静かで落ち着ける場所。
鉄砲蔵氏も、こんなに自分が歩けるとは思えなかったと言い、
別れ際に又誘ってくださいと言ってくれた。
体調の事もあるし、なかなか一人では行くにも
色々考えてしまうから、気兼ねのない遊び友達って
何歳になっても必要だわな。

 

~サヨナラお台場~

 

 

江戸時代の人が今のこの風景この時代を想像出来た人はいただろうか?
仮に今から百年後の世界を自分達が想像しても、
きっと全く別の世界になっていると思う。
せめて争いが無く人類が繁栄し健やかな世界であってほしい。
先の大戦で争いの中、先人方はそう思い生きていた。
君が代の歌詞の意味にあるようにそう願っていた。
初めて書くと思うけど、自分は靖国神社で一度もお願いをした事は無い。
手を合わせ無心になりただ先人方へ感謝の気持ちを伝えるだけ。
先祖の墓参りをするように、
我々日本人に大事な事は先人方を忘れない事。
それだけなんだけど。


Lay Down Your Guns ~♪

 

 

 

 

 

 

 

 


終戦から78年

2023-08-19 01:24:18 | 靖国神社

終戦の日。今年も靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑を参拝。
正月と終戦の日に毎回合流していた友人の鉄砲蔵氏は、
この所の体調不良が続き今回は参拝断念。
まぁ健康第一。命削ってまで参拝する事ぁない(←大げさ)
そんな事もあり約束も無いとなると気が緩むのか、
少々寝坊してしまい、中門鳥居手前到着10:55。

 

何時もだとこの時間は神門をくぐれないくらいの行列だけど、
台風の影響もあってか参拝者は明らかに少ない。
そういえば駐車場に地方から来る観光バスが
例年より少なかったような気が。
無事参拝11:10。

 

無事参拝後いったん遊就館に行き体を冷やし、
千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ。

 

途中オカリナ奏者であり、靖國青空友の会の谷口さんと
久々にお会いできた。

最近は様々な方々の賛同者が増え、
オカリナと共に賑やかに軍歌を唱歌されていた。

 

11:30 戦没者墓苑到着。

まずは参拝を済ませ、
知り合いになった毎度の関係者の方と挨拶を交わし、
正午の黙祷を待つ。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 正午の黙祷

無事正午の黙祷を終え帰宅。

 

 

 


お盆のこの時期のもう一つの出来事。
日本航空123便墜落事故から38年。
8月12日18時56分ごろの羽田空港第三ターミナル。

38年前の旧ターミナル時代は現在の
第三ターミナルの位置にあり、当時を回想するには
この位置が望ましい。
向かいは第一ターミナル。

 

 

当時高校生だった自分の不思議な行動。
朝から縁側に座布団枕を置き、空を見上げるような姿勢で、
何故かその日は顔を日焼けしていた。
その後羽田空港に努めるめぐり合わせもあり、
日航機事故はどうしても忘れられなく、
いまだに完全に解明されていないとする点や、
航空機密情報が含まれているとはいえ、
リマスタリングされたかのようなボイスレコーダーの
開示部分と完全開示をしない不可解とされる部分等。
以前にも紹介したワタナベケンタロウ氏のユーチューブも、
昨今は公開頻度も少なくいなってはいるが、
少しずつ確信に近づいているようにも感じる。
自分が出来る事はとにかく風化されないように
微力ではあるけど、行動でこの日を伝える事。
毎年行けるわけではないが、タイミングが合い、
行ける時は行くようにしている。
そして今年。
毎回そうだが、手を合わす人の姿はない。
自分もその場で手を合わす事はしないが、
心の中で被害者の方々の冥福を祈り、
心の中で手を合わせた。

 

 

 

 


悲しみからの新たな躍進

2023-01-02 12:02:41 | 靖国神社

祝 2023
今年も初詣は靖国神社へ。

9:50に到着し、
今年は参拝者が少々少なく感じた。

 


参拝後はいつもの恒例鉄砲蔵氏とは遊就館で合流し、
茶寮結でしばし談笑。

この寒いのに鉄砲蔵氏はアイスコーヒー(まじかよ)
自分は毎回海軍珈琲ブラックだったけど、
今年は砂糖とミルクを入れた。
海軍珈琲はかなり深煎りだから、
ブラックより甘くしたほうがいいみたい。

 

鉄砲蔵氏が持参したカメラは、
ロシア製のCMEHA(ロシア読み)
SMENE(英語読み)でスメナ 8M。

 

位置的にはトイカメラだけど、
写りは普通に奇麗に撮れるらしい。
筐体はプラスチックだけど、
90年代辺りの国産カメラの
プラスチックは劣化が激しく加水分解で、
ベタ付きや割れが見受けられるけど、
スメナが製造されていた時代辺りの
プラスチックはわりとそれらが無く、
落下さえしなければ末永く使えるはず。

 

 

 

 

遊就館での物販品。
巡洋艦ではなく巡羊羹。

 

 

どこぞの国の連中が見たら発狂もんの数々。

ぬかりないな。
ここは日本!言語道断口出し無用。

 

 

 

靖国神社を後にして向かうは千鳥ヶ淵戦没者墓苑。

 

 

 

 

 

戦没者墓苑の手水鉢にある花は、
頂いた供花を廃棄前に再利用しているそうで。

この後は鉄砲蔵氏とアキバまで向かい現地解散。

 


その後今年の初食がデイリーヤマザキの塩バターパン。

粗塩がガリガリして美味いね。

 

デイリーヤマザキで塩パン買って、
昭和通りの下を流れる神田川を眺めながら食べてたら、
写真中央部に2mくらいの白っぽい物体が
薄っすら水面に見えてきて30秒くらいしたら
徐々に沈んで見えなくなって、不思議に思い
しばらく眺めていたが姿は見せず。
あれはいったい何だったのだろうか?

例えば巨大魚だとしたら、魚は背の部分が濃色で、
腹部分が明色だから魚とも考えにくいし、
漂流物だとしても、移動する事なく
ほぼ同じ位置でだったし凄く謎、
こういう思いした人が未確認生物とかに興味を持って
のめり込んでいくのだろうと思ったけど、
自然の謎って凄くロマンがあるな。
前からいつかここでルアーか電気ウキで
釣りしたいけど情報が無いから、
毎回来るたびにしばらく眺めてるけど
いままでの発見は春先に壁面をついばむ稚魚。
秋口になると大きなボラの群れ。
しかしながらなぶらを見た事は無し。
場所的にも汽水域だし、シーバスや黒鯛とかの
フィッシュイーターがいてもおかしくないけど、
いまだ発見無し、中目黒の目黒川辺りには
シーバスいたけど、あすこは浅いから
発見できたかもしれないが、
アキバでフィッシングいつかは実行!

 

今年の初夢はなんだか自走しているんだか、
乗り物に乗っているのか思い出せないけど、
とにかく道を気分爽快で猛スピードで
滑走している夢だった。
夢占いだといい内容らしいが、
考えてみれば大晦日にMXテレビで放送していた
トラック野郎二本立てを見ていて、
その残像が頭の中に残っていたからかもしれない
あの映画みて仲間との繋がりやフォロワーと言う事が、
当時と今現在との大きな違いを思い知らされた。
あの時代を経て今に繋がっているから、
今をどうこう言うのも変だけど、
この先の未来、バーチャルリアリティーなんて
言葉もあって、本当の本物ってどうなるのかね。