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続 時の往復 neo

過去⇔現在⇔未来

ポリモーグよ君の出番だ

2015-07-12 22:03:00 | 音楽

っちゅう事で。
8月1日~9月13日まで
横浜赤レンガ倉庫1号館にて開催される、
70's バイブレーションYOKOHAMAで、
YMO楽器展ブースが開設決定。
これに伴い芋屋ことワタクシの所有する
ポリモーグが展示される予定でいます。
んまぁあんまし決定的な事宣言してしまうと、
あとあといちゃもんもやってくるので、
あくまで予定として、開催するまでは
予定としてお知らせさせて頂きます。



そんなこんなで、
久々に積んであるャ潟a[グを引き出して、





フタも開けてみる。





昔の楽器ってメンテナンスするのが
前提みたいなものがあって、
ポリモーグは特に開閉が楽チン。





予想していたよりも内部は綺麗で、
埃等もほとんど無し。



電源は入るが音が出ず。
そういった状態がよくあり、
その場合のメンテナンスを聞いていたので、
いつものようにやっていくかと、
電源を入れたあと暖まってから、
なんて考えながら眺めていたら、
電源スイッチ付近からスパーク!
そして数秒後うっすら煙が立ち上がり、
これ以上いじっていたら発火→爆破。
なんてそう考えそれ以来の開閉。

今回じっくりと見て観察してみると、
回路自体の焼き付きや、
コンデンサの液漏れや、ソケットの断線等、
それらの箇所が見つからず、
唯一確認できたのがヒューズとび。
1Aと3Aがあり、1Aのみが破損。



リアパネルを見て気付いたのが、
スイッチ入れの際に、60Hz / 50Hz の
切り替えスイッチを一緒に変えていた可能性。
それにより60Hz 設定での電源ON。
当時不完全な状態の回路で、
ほとんど試作品のようなもんで販売して
しまっていた楽器なだけに、
60Hz / 50Hz の間違えだけでも
故障に繋がる事もありうるわけで。


外観を濡れ布巾で拭けば、
今でもよみがえる昔の輝き?かな。





けれどもやはりヴィンテージキーボードでは
ありがちな鍵盤のばらつきは、
最近目立ち始めて来てはいるものの ・・・







して、以前このブログで書いた、
楽器フェアの記事を読んで下さった、
YMO楽器展実行委員の方からの連絡があり、
次回のYMO楽器展での展示に事が運んでいる
わけでして、本日その方がポリモーグを
預かりに来て下さり、色々と様々なお話を
することが出来、どうしても聞きたかった
楽器フェアでの東風の演奏での、
メロディーラインの事が聞けて、
非常に自分としては謎が解けてかなりすっきり
してしまいました。つべにアップされている
音源を聴いて再確認するに当たり、
ポリモーグのような音色で、
フィルターはペダルかなとか、アドリブ部分の
ストリングスのインアウトとか、
確かにポリモーグっぽいけど
ちょっとクリアーすぎる音が引っかかっていて、
イントロ部分と最後の部分で聴き取れる
確かなポリモーグサウンドがあり、
ヘッドホンでそれらを聴くと、微妙にパンの
位置が違うようで、やっぱりパソコンかなと
思っていて、そのご本人に聞いて分かった事が、
やはりDTM。そもそもあの場所での音出しは
予定内ではあるが、演奏に関しては全くの
その場の成り行きだったらしく、
奏者はモニタースピーカーの音もろくに聞けない
状態での演奏で、どう音が鳴っていたかも
確認できない演奏だったとの事。
なるほどなるほどと ・・・

とにかく今回のこのご縁で、
自分のポリモーグが、当時教授が使っていた
物だとほぼ断定出来る事が判明し、
いい事ずくめな素敵な出会いと関わり。

いい事ずくめがもう一つ。
実行委員の方のお住まいが小田原と言う事もあり、
お土産を頂きました。
鈴廣のかまぼこ。





こんないでたち久しぶりに見た!
スゲー





来週まで日持ちするけど、
こういった食品はすぐ食べた方が美味いし、
早速夕食にご堪能しました。



わさびを乗っけて醤油につけて、
あぁ久々の食事らしい食事。
普段エサみたいなのしか食べて無いしね。
一個ずつ袋に入った焼きぼこは
日持ちしそうなので、半分は未開封の板わさと
来週頂きたいと思います。
あぁ~美味かった。 nose9


 小林さんご馳走様でした。





  2014YMO楽器展Live ~♪






3年待ったぜ!楽器フェア

2014-11-24 22:48:00 | 音楽
前回の横浜開催からの3年が経ち、
東京会場へ移りリニューアルだそうで、
自分も今まで様々な展示会には足を
運んで参りましたが、
とは言ってもほとんどがコンパニオンさん
目当てすが、それはさておき。
集客数と会場の雰囲気からしても
大成功の展示会だったのではないでしょうか。
どこも人が沢山でそれぞれの楽器に
それぞれの人々。余す所無く熱気と
活気に満ち溢れていた事は、
けして誇張した言い方ではなく実感しました。
主催者の努力と頑張りが感じます。
ほんとに何故って、
考えてもいなかった楽器フェアでの
YMO楽器展。YMOの楽器と言えば
もう説明も要りませんがシンセサイザー。
誕生から現在までにこれほどまで
進化発展をし続けている楽器もないでしょう。
人間の生活にエレクトロニクスとテクノロジーが
浸透し始めた頃に誕生したのがYMO。
さかのぼる事1978年の事。
そんな翌年1979年。LA グリークシアターで
行われたライブでの機材をほぼ完全復活。
そんなマニアックな企画。ワタクシは
嬉しいですが、それ目当てのお客って
いったいどれくらいなんだろうかと。
来る人は来るけどと少し不安も感じつつ、
実際に行って見た所凄い集客。



たぶん企画者サイドも予想以上の集客だったと
思われます。
おおよその集客を予想できていれば、
もう少し違うエリアでの展示コーナーを
設けたはず。もちろん自分も他の人達も
予想以上の反響に驚いていたでしょうが。



一日に何度かのトークイベントと、
ステージツアーといった企画で、
数回に分けて展示品により近づき、
説明などがあったりと、内容も
納得の充実振り。

まぁ楽器フェアなわけですから、
会場をくまなく目を通しましたが、
今回ここではYMO楽器展にかんして
タペストってみましょうかね。
でもYOSHIKIのピアノだけでも。






展示コーナー壇上中央に鎮座するのは、
通称タンスことモーグⅢC。

     






このモーグモジュラー。国内では主にこのⅢCと、
冨田勲さんの所有するⅢPが有名ですが、
Cとはキャビネットの頭文字の意味で、
Pはメ[タブルの頭文字をあらわします。
以外と知られていないので一応説明。
中身は同じであとはオプションで増設可能。
ちなみにざっと見て冨田さんと松武さんの
違いは、冨田さんのオシレーターは、
初期型の901で松武さんは改良型の921。
901は安定はかなり悪いそうですが、
ピッチが暴れ回るけどかなりぶっとい
音が出るみたいです。




してⅢCを自動演奏していたMC≠Wも2台。






矢野顕子さんエリアのリビジョン2のプロ5と、
WT≠P0Aのこの風景。






教授エリアはャ潟a[グとその上には
オデッセイのリビジョン2&3に、
ボコーダーと、当時はあまり使わなかったプロ5。
ラックエフェクター類も当時の現物も交えて完全再現。






でもって自分としてはヨダレ物だったのが、
ャ潟a[グの専用ペダルであるャ潟yダル。



ャ潟a[グの玉じたいも少ない中、
完動するペダルは奇跡もんです。




ユキヒロエリアも、
今回の為に製造したスティック袋も含め完全再現。
徹底してますね。







もちろんDS≠Sにかんしては、
この時代はまだモノトーンのパネル。







ャ堰[ドの横には人民帽が。






細野さんエリアのオデッセイの横には
スティングレイがあり、ストラップは
ドラムスティック袋と同じく、
今回の為に完全復刻したそうです。
やるねぇ ~

     






先ず土曜日に行き、
状況によっては最終日もと考えていたけれど、
土曜日お目当てのラストイベントでの
公表されていなかったスペシャルゲストが、
なんとも小室哲哉さんと浅倉大介さん。
予想はされていたが予想通り、
ステージ進行を終始勤められていた、
松武秀樹さんと氏家克典さんの
みなさん4名で、ビハインドザマスクを演奏。
なか日でこの内容なんだから、
最終日はどうなっちまうんだろうか。
そんな思いで迷わず最終日も会場へ。
イベント90分前から場所取り。
うまい事やれたようで最前列センターキープ。
センターキープの為の場所取りなんて、
コンパニオンさんのラインナップでは
慣れている行為だけでども、90分前からは
初めてだったけど、もうちょっと遅かったら、
場所取り出来なかったかも知れなかったので、
90分待つなんて苦じゃないかなとか思いながらも、
自宅を出る際に思いついたのが、
待ち時間の時に聴く為に持参した公的抑圧のテープ。



これは中学生時代にレコードからダビングしたやつ。
まさにこの時代の機材を前にこの時代に聞いていた
音源を聴くといった、自分だけの贅沢な時間へと変換。
当時は90分テープにアルバムを二枚入れたりして、
テープの数を増やさない為の工夫をしていた人も
多いはず。だからA面は公的抑圧でB面がテクノデリック。
背表紙は当時のもので、当時最先端だったワープロで作成。





トークショーが始まり進行役の松武さんと氏家さんが登場し、
いきなり松武さん何故かユキヒロエリアに行き、
シンドラを叩き始め、その後に人民帽をかぶったりと
なんだかサービス満点。







その後は氏家さんと各エリアを回り機材説明へと。







矢野さんブースで8ボイズをいじくり。

     


8ボイズの鍵盤が完全におしゃかで、
今回の為にローランドの鍵盤を取り付けた話や、







細野さんエリアで、当時実際に使っていた
オデッセイで、今は松武さんが所有とか、






ユキヒロエリアでの説明で、当時実際に使っていた
曲順の紙も今回コピーしてここに貼り付けたとか。

     




教授アリアでは実際にガムテープ止めしていたのも
ねじれも含め再現したそうで、けれども
ャ潟a[グの縦貼りの木目シールは貼ったままでしたが。












機材説明も終わりいよいよスペシャルゲストの、
渡辺香津美さん登場。
当時の思い出話が始まりましたが、
どうしても聴きたかった前座アンコールの話が
出てこない。なんで出てこない。
やっぱりあの話って、海外で好評を得たYMOを
より誇張するための盛った話だったのかとか
考えてしまうけど、やっぱり伝説は伝説、
はっきりよりもあやふやなままのほうが
良い事もあるわけで、情報過多な今の世の中では
そういうあやふやさの話ってとても貴重だから、
それはそれでいいんですよ。うむっ。

周りのブースも最後なだけあって
どこも演奏を開始していて、
カンペでは演奏OKがなかなか出づ、
トークを伸ばしながらも演奏OKのカンペが。
その最中ずっと近くで聞こえていた妙な歌声の主が、
ローリー寺西氏だったと言う ・・・







22日の演奏は小室氏が教授エリアで、
朝倉氏がアッコさんエリア。
自分の立ち位置は最前列ではあったものの、
少々教授寄りだった為、左スピーカーの
音がメインだったので、ステレオ感は
感じなかったけど、目の前では
ビハインドザマスクを演奏する小室っちが。
ャ潟a[グではなくほぼオデッセイだったけど、
小室ワールド満載の演奏を、当時のセッティングの
オデッセイサウンドで演奏している姿に、
あの時代に小室氏がタイムスリップしたら
こんなか感じだろうなと思わせられ、
地味に淡々とバッキングを演奏する朝倉氏に、
松武さんはボコーダーを担当。
そして細野さんエリアで氏家氏の演奏する
シンベの太い事ったらもうね。
素晴らしい演奏だった。


そんな最高の余韻に浸りながらも迎えた最終日。
前日はDTMがバッキングでMC≠Wは走らなかったけど、
今回待ち時間でMC≠Wのインターフェイスに
ジャックがささっているのを確認、
もしかしたらモーグをMC≠Wで走らせるのかと
期待したが、チューニングの時にちゅうちょなく
ジャックを引き抜いた松武さん。
あぁやっぱりパソコンか。と期待もむなしく。
しかし前日の演奏でいじらなかったタンスをいじり
ノイズやフィルターを調整。
教授エリアにはステージツアーで案内役だった
小林 淳一さん。
その方がスタンバイ。氏家さんは前日と同じく
細野さんエリア。そして渡辺さんは当時の
ブギーのアンプの前でスタンバイし、
全員のチューニングが終わり、
あの名曲 『 東風 』 が演奏開始。
アルバム公的抑圧では、レコード会社の契約の関係で
渡辺さんのキターチャンネルが全てカットされていたけど、
こうして目の前で、生でフェイク無しの当時の楽器で、
演奏が聴けるなんてもう夢の時間。
当時の渡辺さんの演奏はそこまで詰め込みますかの
早弾きのオンパレードだったけど、
若いは早いじゃ無いけど、今回は年を重ねた
熟年ならではの早弾きな印象。
演奏を聞いている間、初めてYMOと
出会ってから今までの人生を、
どこと無く走馬灯のように思い出しながら、
音楽の素晴らしさを感じつつ、
今回のこのYMO楽器展を企画
運営された方々。それと楽器フェアの
運営に携わった人々全員に感謝です。

松武さんが最後にこのYMO楽器展は、
今後も続けて行きますと発表。
皆さんもご協力お願いしますとも言っていた。
って事はワタクシのャ潟a[グ。
教授が当時使っていた現物だけども、
いつでもお貸し致しますよ。
これが自分が出来るささやかな協力。
次回のYMO楽器展も非常に楽しみです。
今回より更にパワーアップするのでしょう。

青春時代のあの頃がよみがえった2日間。

 あぁ青春

 今おっさん ・・・



 YMO 79年 LA グルークシアター ~♪
















ワタクシの感性いかがなものか

2012-09-07 00:14:00 | 音楽
いえね、
生活費の足しにするってわけではなくて、
世に送り出す手段その1ってわけでして、
自分にとっては聖地である中野。
そこで小さく出店しておりマッす。
中野ブロードウェイ2階にある、
レンタルショーケース、

 コレクターズマート・トレカコム



レンタルしたケース内で、
自分の売りたい物を売れる小さなお店。
そう言ったシステムの場所でして、
9月1日より出店しておりまして、
1日からはオリジナルCD-Rだけでしたが、
6日からは自分の十八番である、
アングラ写真の解体建物写真も出店しました。
場所はレジ斜め前の一番端の一番下の6Eです。


CD-Rの内容は、2004年に初回プレスし、
2005年3月21日の、
東京マニアックスinコミケットスペシャル4にて
販売した物を、今回40枚増盤しご用意いたしました。
内容は、アナログシンセサイザーをメインで使用した、
かなりマニアック?と言って逃げているかもしれませんが、
そんな内容です。そもそも自分はYMOやクラフトワーク、
それと冨田勲さんと言った方々からのリスペクトから
触発されて、中学生の頃から音楽を趣味で作り始めたので、
きっと先の方々の音楽が好きな方にとっては、
多少は受け入れられる音楽かもしれない、
と言った内容ですかね。たぶん ・・・
CD-Rの容量たっぷり25曲収録してあります。



表はこんな感じで、





裏も作ってます。





写真の方は、いまだにアンダーグラウンドの世界で、
解体建物をメインで発表している人がいない事もあり、
とりあえず解体建物メインで、PCのモニターでは無く、
現物の写真を手にとってもらって見て頂きたい。
と言う心情で行動してみました。
実際の解体建物を見た後で、サービスサイズでのプリントを
見ると、肉眼で見た迫力とはかなりかけ離れたものなので、
少しでも迫力を感じて頂きたく、A4サイズでご用意しました。




① : 撮影地 / 羽田東急ホテル





② : 撮影地 / 多摩区山頂





③ : 撮影地 / 鶴見





     ④ : 撮影地 / 横浜みなとみらい

     



     ⑤ : 撮影地 / 猫がいた日本工学院

     


それぞれ6枚ずつストックしてありまして、
現物のサンプルもファイルに入れて置いてあります。

値段は、CD-Rと写真、それぞれ一点につき、
税込み500円の、ワンコインとさせて頂いております。
よろしくお願い致します。

ちなみに写真を補充した6日の時点で、
まだCD-Rは一枚も売れていませんでした ・・・ yellow7

あなたの知らない世界。
500円で買ってみませんか?
フフッ ・・・ nose9



ここで1つワタクシ、
井上可南子さんに独りヨガリな提案があります。
例の本物のパンのストラップ。
あれを是非ともこのようなレンタルショーケースで
販売してみてはいかかですかね。
いやっ販売して下さい!
リクエストしているくらいですから、
ボクは全種買いますよ。一個づつだけどね。 yellow11
強度に問題があるのなら、
樹脂に二回くらいドブ付けすれば良いし。
でもそうすると、パンの香りが封じ込められ、
外観がテカッてプラスチックみたいになってしまいますが、
ストラップはそれでもしょうがないとして、
香りと外観を生かすとしては、裏にマグネット付けて、
ホワイトボード用にって手もあるし、
小さなザルに盛って、置物&芳香パン的物とか、
色々想像しまして一番気になったのが、
GIジョー用のミニチュアパン。
まぁGIジョーなだけに、サイズは約1/6になりますが、
GIジョーに本物のフランスパンなんて見た事無いですよ。
だからGIジョーコレクターをターゲットにした、
硬くて食べれないけど、本物のミニチュアパン。
こだわりの多いGIジョーマニアには、
宣伝次第ではバカ売れ間違いなし! のはず。 nose7



って事で、ワタクシのCD-Rと写真ですが、
中野におこしの際には、
宜しければお立ち寄り下さい。 wink

















ありがとうヤマハ渋谷店

2010-12-30 23:50:00 | 音楽


 うんちゃっ par

今年最後の更新となります。
来てしまったアナタ。
せっかくなのでどうか最後までお付き合い下さい。

今年も展示会や映画。そして音楽と
色々と好き勝手にこのブログでは書かせてもらって来ました。
なのでとりあえず。ごめんなさい。とも言っておきます。
展示会と言えばコンパニオンさん。そしてモデルさん。
色々とネタにさせて頂きました。
なので最後は去年と同じく、井上可南子さんのお友達の
ちっちこと宮内千早さん。
12月30日のお誕生日おめでとう御座います。
愛媛は寒そうですね。こう寒いと腰も痛くなりまさぁーね。
湯ぶねにつかり、睡眠をとり、身体の血行を良くすれば
わりかし緩和できると思います。やってますよね。
ストーブで暖めたホットみかん。食べたいな。 yellow18
そして自転車と言えば絹代さん。
ちっちより1日早い29日がお誕生日でしたね。
おめでとう御座います。
しかし絹代さん。今思えば撮影させて頂く時どこか
周りを気にされていて、考えてみればカメラに目線を
送る時はいわば無防備でもありますからね。
とにかく年内に一件落着してよかった。うんっ良かった。 nose3
来年も更なるご活躍を。 clapclapclap


自分にとって音楽とは趣味でありますが。
趣味でありながらも今まで生きて来て
長く付き合って来てくれたのが音楽です。
たかが音楽?いやっされど音楽。
人々の心の中では音楽が流れる時が
いつもあると思います。
音楽は心の表現でもあり、時に心の支えとなるように、
人と音楽はつねにシンクロしていると思います。

ボクが特に音楽に目覚めたのは以前のYMO写真集の
ネタで述べた小学6年生の頃。そして初めて
シンセサイザーと言う未知なる未来の楽器に触れたのが、
翌年の中学1年生の頃でした。
初めての自分を迎えてくれたシンセサイザーのあったお店が、
ヤマハ渋谷店。とにかく全てが初めてで、
全てが夢で、全てが現実でした。その頃の記憶は
今でも鮮明に頭をよぎります。日々新鮮でとっても楽しかった。
休日にはほぼ毎週のように通っていたヤマハ渋谷店。
ここで初めて親に買ってもらったファーストシンセが
ヤマハのCS≠Tでした。
凄く嬉しくてなんだかYMOに近づいた気分でいた。
高校生になり部活動が忙しくあまりお店には行けなかったけど、
社会人になり渋谷に行った時は
必ずヤマハ渋谷店には立ち寄った。
その時出逢った巨匠世界の坂本龍一師匠が使用していた現物、
憧れのャ潟a[グ。そのャ潟a[グ。現在ワタクシの部屋に
鎮座している事は言うまでもありませんが。
度重なる故障に次ぐ故障で、現在音は鳴りません。
このまえスイッチを入れたら煙が出てきました。
たぶんそのまま気付かなかったら発火していたでしょう。
なにぶん1975年の電気製品ですから。これも時代です。
修理しても今度は他の部分が故障するでしょうね。
これがキワシンセのャ潟a[グの特徴なんです ・・・

時代の流れとは時に残酷で、
それを阻止ししようとすればするほど空回りしてしまうのが現実。
残酷とまでは言わないが、ヤマハ渋谷店が
2010年12月26日をもって、昭和41年開店の歴史に
幕を下ろしました。くしくもこの情報を知ったのが
12月19日。山下達郎氏の楽譜がほしくて
渋谷店の営業時間をネットで調べた時に知り、
一時的に急激な脱力感にみわられました。
あって当たり前。それが自分の中での存在で、
渋谷の楽器屋さんと言ったら先ず第一声がヤマハ渋谷店だった。
19日にはすぐに店に向かい楽譜を購入する事が出来て、
26日には最後の勇士を見に行きました。

今年最後のブログ写真はやっぱり銀塩で締めくくります。
しかし最後の2枚はコンデジで撮影したものです。
自分の気に入った写真が撮れれば、
カメラなんて何でも良いと思います。
なので最後はコンデジです。



閉店時間19時にあわせ18時前に到着。
入るや否や驚きの光景が目の前に展開しました。


氏家克典さん。松武秀樹さん。向谷実さん。
とにかく予期せぬ現実にガチでビビリまくりました。
向谷さんにいきなり握手して頂けて、おどおどしながらも
氏家さんとお2人でのお写真よろしいでしょうかと尋ねたら、
氏家さんがもう一方端のほうから誘ってスリーショットに。
一瞬間を置いて気付いた方が松武さん。
更にビビリのボルテージがマックスになり思わず。

 「 あっ ・・・ まっ ・ 松武 ・・・ 」

と口走ってしまいました。先のお2人はすぐに気付きましたが、
松武さん隅のほうにいらっしゃったみたいで気付きませんでした。
しかし氏家さんの気転は嬉し過ぎます。
幻のスリーショットです。コレは ・・・
氏家さんと言えばもうすっかりシンセサイザーの
解説者として有名で、電子楽器操作のスキルと、
その音色に合わせた上絶なプレイでは
世界からも賞賛されている方ですからね。
そして実際にお会いして暖かい方だなとも感じました。
松武さんと言ったら4人目のYMOですから。
どんだけ凄い方かってもう ・・・ yellow7
へたに自分は語れませんって。
そして向谷さんは初期から現在に至るまでのあの
カシオペアのキーボディストですから。
最近はあのぉ~タモリ倶楽部によく出演されていて、
鉄道マニアとしての知名度のほうが先行してしまってる感は
ありますが、そちらでも凄い方なのは確かですから。
写真を撮ると言う事で色々と気を使って下さって、
本当に向谷さんの気配りには感謝致しました。
有難う御座いました。
なんでも来年の1月19日に行われる、
さよならヤマハ渋谷店コンサートにご出演されるとの事で、
ご自身自らフラーヤーを配っていらしたと言う事でして、
改めて渋谷店の凄さみたいなこのを感じてしまったしだいです。
こちらがそのフライヤー。
   


では撮影許可ももらえたので、迷惑のかからないように
店内を撮影した懐かしの場所等を。

   

2階に通じるエレベーター。
中学生の頃ここらあたりからシンセサイザーの音が聞こえ出し、
エレベーターはわくわくの空間でした。
   

当時は3階まで売場で、期間企画物の商品等があったかな。
3階の渡り廊下を通過してビルの一番端の部屋には
当時YMCと言うモデルガン屋がありそこにも通った。
けれどそこの店長が改造銃を作ていて逮捕された。
ニュースで見た時にはビックリしたけど、陳列してあった
モデルガンの銃口に穴が開いていて、友達とアレ改造銃だろ
とか話したり、実際にレジで実弾?作っていて、
手が火薬まみれでだったなぁ。でもその店長は
物凄く商売っ気がありサービスも良かったんだけどね ・・・

1階に通じる階段。なんか懐かしい。


1階のフロアはもう既に商品は無く、ご覧のように
コンサートの出演者の皆さんがフライー配りの場に。










閉店の19時前にはミュージシャンの皆さんもフロアーから出て、
最後を見届けます。自分ずっとセンターで場所取りしていて、
もちろん良い場所だから皆来るわけ。


皆って言ったってほとんどがミュージシャン。
自分の隣には松武さんが動画撮影で実況レモオてるし、
この実況は松武さんのツイッター動画で見れます。
ボクのカメラ音とカメラ。そして最後にはコンデジ構える
ワタクシの手が写ってます。まぁー興奮しますわな。
で、その後ろには氏家さん。近くにはもちろん向谷さんいるし、
ちなみに左におられる振り向いている女性は、
山川恵津子さん。自分が入店した時先ず最初に山川さんから
フライヤーを頂きました。アリガトーえっちゃん。
                      ↑
                    コラッ年上だぞ

外で待っていると、寒くないですかと気を使って下さいました。
優しいな。えっちゃん。



どんどんと人が集まってきて、 「 あぁ圭三君 」 なんて
松武さんや周りのミュージシャンから声が出て、
自分の前に現れた方は中西圭三さん!
そのあとも今までかかわって来た渋谷店スタップが集結しはじめ、
互いに名前を呼びあったりして同窓会状態。
その中で聞き覚えのある方の名前が聞こえ、
その自分の前にいらした方は、自分が中学生の頃
当時のフロアーマネージャーだったのでしょうか、
気さくに自分たちに話し鰍ッてくれて、デモテープを聞かせて
なんて話でテープを持って行き、その直後高校に進学して
なかなか店に行けなく結局渡してそのままになって30年近く
時が流れて、最後のこの日に再会。けれど自分ははっきりと
その方を見て確信はあるけれど、あちらはどうだろうか。
もう自分は41歳のおっさんだし分らないだろうな。
そう感じながら最後まで話し鰍ッる事はなかった。
けれどもその方はその後ずっと自分の真後ろにいらっしゃった。
始終その方もなんとなく自分に気付いてくれていたような気もする。
それでもいいとも思った。その場ではっきりさせるよりも、
想い出はそれでいいとそう感じた。
最後の清算が長引き19時を過ぎてもシャッターは下りず、
水原店長さんが19時30分頃にはとの挨拶があり
ひとまず拍手が。



そして最後のお客さんを送り、水原店長そして現スタッフの
方々との最後のお別れです。



水原店長の挨拶も終わり本当のお別れとなりました。



スタッフの皆さんお疲れ様でした。

ヤマハ渋谷店殿。
44年間お疲れ様でした。
夢の場を提供してくれた事は一生忘れません。

 ありがとう。

最後に夢を与えて下さったご本人様方とお会いでき、
最後の最後で最高の夢を見る事が出来ました。

 本当にありがとう。


スタッフの皆さんのサービスがあってお店は運営されています。
そしてやっぱりお客あってのお店だと思う。
そう主役はやっぱりプロアマ問わず音楽を愛するミュージシャン。
最後のこの日に集まった人々全てが主役なんです。


シャッターが閉まる時は大きな歓声と拍手。
こんなにも多くのミュージシャンにみとめられて、
そしてこの場に居合わせられた事に悲しいけれど、
歓喜の思いと共に2010を締めくくる思い出の日となりました。





最後におまけ写真。
もう皆帰り始めているのに向谷さんフライヤー配り始めました。


向谷さんもうサイコー。ツボです ・・・

向谷さんシャッターが閉じるまでの待ち時間での
動画インタビューで、ここで終わりはしますが、
ここからが又始まり。そのような事をおっしゃっていた。
それを横で聞いていて少しウルッときた。
向谷さんなだけにとても重い言葉だと思う。

確かに自分はここで始まった事は多い。
この日道玄坂を上りながら、ヤマハ渋谷店に行く為に
この坂を上る事はもう無いんだとか思いながら
色々な事を思い出せた。

 さようなら ヤマハ渋谷店




今年は最後にある言葉で終わらせる事にした。
アントニオ猪木さんの言葉で、人生には 『 なにか 』 が
あったほうが良い人生が送れる。なような言葉。
そのなにかの考えが良い事なのか悪い事なのかで
人生は大きく左右されると。
もちろん良い何かと考えたほうが道は明るい。
では 『 いつか 』 と言う言葉にはほとんど良い未来を
予想する何かが思えると思う。


 いつか又逢える ・・・ とか ・・・



最後までお付き合い下さりありがとう御座いました。
来年も勝手にやっちゃいマッスル nose9

 良いお年を。

 そして明るい未来を ・・・





    いつか ~♪







        kirakira2










PEREORMANCE 2010

2010-11-09 22:37:00 | 音楽
山下達郎デビュー35周年記念コンサート。
PEREORMANCE 2010
11月8日最終追加公演にて無事閉幕。

今回のこのコンサートに自分が行く事が出来たのも
人との出会いや、必然はたまた偶然からなる
奇跡とも言えると思います。
もしもあの時、そう、思い起こせば2008年の
ドラッグストアショーの休憩所で自分の前に座った人が、
このブログで度々ネタ登場するサムライ男さん。
ニックネームの由来こそ知り合った切欠でして、
京セラのサムライをドンと机に置いたのがその方。
フィルムカメラやってる自分がその場をやり過ごす
わけが無いと。でもいかんせんサムライを知っている
人も今となっては珍しいし使っているいる人は
もっと珍しい。そこからは話に花が咲き大体
話はここで終わって、 「 じゃあ又 」 と
個々に撮影にと行くけれど、
この時に限っては一緒に回りますかねと行動を。
そして今に至った訳で。でも全てはこの日から
始まった訳では無く、2007年のモーターショーで
初めて井上可南子さんからパンフレットを頂いて、
受付で撮影させて頂いてから
自分がカメコ復活へと導かれたし。
もしあの時、井上さんで無かったとしたら ・・・
今カメコをしていなかったかも知れない。
けれども先のドラッグストアショーでは
井上可南子さんがステージにいながらそれに気付かず
目の前を通過していたと言う悲劇の日でもあって、
自分としては運命的な何かを感じた日だったと ・・・

記憶を辿ると、
このブログ以外の自分の自転車の旅ブログを
サムライ男さんにお教えしその時の内容が、
TFMの山下達郎サンデーソングブックを
聞きながらの走行で番組の感想を書き、
それで自分が山下達郎好きだとわかり話が弾み、
おまけにサムライ男さんは
サンソンではハガキを10回以上読まれている超常連さん。
正直びっくりしました。何気に自分はサムライ男さんの
名前を何度も聞き流していたわけで、まるでステージに
いた井上可南子さんの目の前を通過するがのごとく ・・・
全ての起点は状線で繋がっているんだなと感じてみたり。

展示会の後の毎度の反省会で、
次回開催のツアーには行こうと。
座席は最前列で。えっ!?
話の流れでのジョークかと思いきや、
何度も行っているサムライ男さんは
毎回最前列。何故ってそれこそファンの
なせる技で、無いものを手に入れると言う
無茶な妄想ではなく、座席はあるんだから
それをどう入手するかはそこが
ディープなファンの力の見せ所。
しかし今回は2座席最前列はかなり厳しかったようで
中野サンプラザは2列目でした。
中野が当初難しいと言う事で神奈川県民ホールを
狙ってそれが逆転し、横浜は後ろから2列目。
結局前から後ろからと今回最高のツアーの醍醐味を
味わえたのは全てにおいて出会いと人との繋がり。
そして目に見えない運気のようなものを感じ、
お金では買ったけど、お金では買えない
ものを感じこの幸運を心底感謝するに値します。

ここからはあえて親しみを込めまして
『 山達 』 と言わせて頂きますが、
今回のツアーレビューの前置きが
長くなっていますが、単純に行った!良かったと
書きたく無い気持ちがあり、長文も全てにおいて
今回のレビューとします。ってまぁ誰に向けて
書いている訳でもなく、ここのブログに来た
人にと言う事でして、何気にここに
たどり着いた人も何かの縁だと思うので
最後までお付き合い下されば幸いです。

今回のツアーは23日中野サンプラザと、
27日神奈川県民ホールと行きまして、
中野公演の一週間前にチケットを受け取り、
その場所が川崎チネチッタ通りで開催された
スロットカー選手権のイベント。
もうこの時点で自分のなかでの山達ツアーは
始まっていたわけでして、サムライ男さんから
チケットを受け取った瞬間手がマジで震えてました。
何故この場所か。元々展示会繋がりの間柄。
そしてこのイベントには展示会では何度も
撮影させて頂いている西山さやかさんが
レースクイーンとして登場されていると言う
幸運の巡り合わせ。山達と言えば夏だ海だ山達だ
みたいなノリもあって、しかも西山さんは
プライベートでサーフィンもされていて、
ビーチガールと言う書籍に登場された程の方ですし。
これらも先に挙げた状線の一つです。
なので山達レビューの前に華々しく
西山さんに前座としてイベントレモュ々。

使用カメラは前回ケーブルテレビショーで
ISO400を装填しておきながら、
ISO1000の設定で撮影してしまった
サムライ男さんから頂いた
オートボーイ2のリベンジです。
フィルムは富士 ISO400 スーパーX-TRA
スキャナーは CanoScan4400f
今回はしっかり設定しましたから!


そして写真は良く撮れていました。
いつも綺麗にプリントして下さる現像所に
敬意を込めまして、
今回全て紙焼きからのスキャンです。

    

    

しっかし西山さん。
凄くかっこよくてとってもくセクシー。 yellow18
チッタ通りで居合わせた人も
普段滅多にレースクイーンは見ないだろうし、
さぞ驚きと感動を味わったと思いますよ。
女の子なんか、

 「 うわぁ~ 超セクシー 」

なんて言葉を漏らしていたし、
自分も展示会場ではいわば見慣れてはいても、
こう一般人に混じったレースコスの西山さんは
そりゃもう目立っていた事ったらね ・・・
今後もこのようなイベントはどんどん開催
して欲しいと思いました。西山さんご本人も
きっと何時もと違う何かを感じて
楽しまれたのではないでしょうか。

    



    

この日フィルムケースにサインして
頂きました。有難う御座います。


                             コンデジ

今後はチャンス見てフィルムケースに
華のみなさんのサインをしてもらえたら
嬉しなぁと。記念にもなるし
かなり貴重なアイテムになることは間違い無し。
誰にもゆずりませんよ。 nose9 フフッ

17時までの業務を終えた西山さんが、
今度は私服で登場。
なんとも私服ショットを撮らせて頂きました。

    

まるでプチ撮影会。
西山さんサービス満点&超フレンドリー

    

ファンの人が持って来た電飾サングラスで
はしゃいでおられます。

    

オンもオフ変わらずフレンドリーな西山さやかさん。
有難う御座いました。

    







                 item1







では、
デビュー35周年記念、山下達郎コンサート。
ライブレビューというよりも
かなりネタバレですがまぁそれはそれで ・・・
今回の曲目(セットリスト)は自分が行った
東京の追加公演&横浜公式公演共に
記憶が正しければほぼ同じだと思います。

希望という名の光のアカペラオケが流れました。
ステージのセットはアメリカの片田舎と言った
雰囲気で、両端に二階建ての家が一軒づつ。
玄関のドアが開きサメ[トメンバー
そして最後に山達が登場。
ガレージにはピックアップトラックが入りかかり、
突き出た荷台はサックスの立ち位置に。
三人のコーラスは家のコテージが立ち位置に。
全員がスタンバイ。そして山達の合図で全員が
両肩を回し軽く準備運動。さぁ演るぞの雰囲気。
そして一曲目の HAPPY HAPPY GREETING を演奏。

 山下達郎 : ボーカル&ギター
 伊藤広規 : ベース
 小笠原拓海 : ドラムス
 佐橋佳幸 : ギター
 土岐英史 : サックス
 難波弘之 : グランドピアノ&エレピ
 柴田俊文 : シンセサイザー&オルガン
 国分友里恵 : コーラス
 佐々木久美 : コーラス
 三谷泰弘 : コーラス


・ 曲目 ・

 HAPPY HAPPY GREETING
 SPARKLE
 DAY DREAM
 DONUTS SONG
 僕らの夏の夢
 WINDY LADY 
 砂の女
 SOLID SLIDER
 潮騒
 MOST OF ALL
 I ONLY HAVE EYES FOR YOU?COME ALL YE FAITHFUL
 クリスマスイヴ
 希望という名の光 & 蒼茫
 さよなら夏の日
 今日はなんだか
 LET'S DANCE BABY & 吉岡治作詞メドレー
 アトムの子
 LOVELAND ISLAND

・アンコール・

 街物語
 RIDE ON TIME
 SOMEDAY
 DOWN TOWN
 YOUR EYES


大きな拍手と歓声そして誰一人
席を立たず着席した状態でのライヴ鑑賞。
これはもう山達ライブのお約束であります。
そもそも山達の思いは音楽は体操ではない
その他もろもろ ・・・ets とあり、
音楽を鑑賞しゆっくりと楽しんでもらいたい。
それとファンらの高年齢化と、約3時間30分
にも及ぶ公演時間でもあり、諸説以前から
着席してでの鑑賞を訴えかけていて、
ファンはもちろんそれを理解しているし望んでいる。
DAY DREAM の演奏を終え山達の言葉第一声が、

 「 こんばんはっ東京! 」

かなけんでは、

 「 こんばんはっ横浜! 」

毎回の決り文句だそうで、
でも自分にとっては初めてのメッセージ。
それと目の前にはテレキャスを肩にかけた山達!
楽しむというよりもう完全に山達にくわれました。
だって初めてでしかも目の前。固まるって。
合間に入る漫談じゃなくてMCはまるで
何時も聴いているTFMのサンソン
放送禁止バージョンだなこれは ・・・ 笑った。

いわゆるメディアにはほとんど登場しないと、
周りからの出ないなりの想像と妄想が拡大して、
それらの誤解を山達自身がいくつか釈明?
レコード店で棚ごと買占め。これは友人の
イラストレーターの実際の行動がそのまま山達に移行。
家族でディズニーランドに行く際タクシーで行く。
3万何ぼもかかるし自家用車で行くとの事。
あとヤクザ説。自身を指差し
「 コレのどこがヤクザなんだよ 」 と。
でも自分もサムライ男さんも同じ考えがあって、
ライブ活動を頻繁に行わない山達が2年連続して
ライブを行ったのは、音楽に関しての完全主義ゆえ、
自身の声や体力的に限界に近いんじゃないかと。
だからもしかしたら今回が最後のツアーなのかと。
これはとんでもない妄想で山達は全く持って健康体で、
肝脂肪なんかはかなり低く医者が驚くくらいだそうで、
山達いわく 「 ツアーダイエットです 」
との事。目の前で見て顔色と肌の張りも、
57歳とは思えないくらい生き生きとしていた。
そもそもライブはアルバム発表と
密接しておりその販促の意味もあり、
しかも最近シングルの立て続けの製作もあり
それでも今回は当初から予定していたライヴを
優先しての事。本当にありがたく嬉しい漫談
じゃなくてMCで、お客との一問一答見たいな
ものもあり、山達なりのコミニュケーション
ワールドに包み込まれながらも、
デビュー当時のさっぱりだった時代の話を聞くに、
こう言った時期を経て今の山達の音楽と人間性が
出来たのだと。つまりは音楽を心底愛している事。
それはステージでの演奏が全てを表していたわけで。

デビュー35周年と言う事で、
今回はシュガーベイブ時代の曲を、
音源としても販売されていない当時の
完全コピーアレンジでの演奏があり、
アルファレコードが頭角を出し始めた
独特な当時の時代のあれら繋がりの音好きな
自分にとっては、コレはかなりシビレましたね。
ロックであり、ファンクであり、グラムであり、
クロスオーバーを交えながらも
どこかプログレシヴな匂いもする。
たまりませんよ ・・・

全てが良いでは無い部分が少々あって、
ここからは少々辛口になりますが、
ファンクラブでの投票で、ライブで聴きたい曲の
一位が 『 潮騒 』 今まで長い年月ライヴで
演奏しなかった理由が自身のローズピアノ(エレピ)
が故障し修復不可能だった為で、
今回はそのフェンダー社のローズが新たに製作し、
輸入第一号機が今回のステージで山達が演奏したエレピ。
この新生ローズは自分も去年の楽器フェアと
最近行った山野楽器でも少し弾いてみたんですが、
音色がちょっと自分好みじゃなくて、
多分アンプの問題かなと思ったんですが、
ステージで山達の演奏した潮騒を聴いて、
やっぱり自分好みではないと思い、
音にこだわる山達だけれども、まぁ好みの
問題でして、いかんせん難波さんの
ヴィンテージローズが他の曲で始終鳴り響いていたから、
それと比べてしまったのはあるとは思うんですがね。
難波さんのビンテージローズは特聴モンです。アレは ・・・
自分はキーボードが好きだから、
キーボードに集中して聞いてしまう感はあるもので、
どうしても気になリ始めると
それはセーブ出来ないのもがあって、
柴田さんのオルガン。これがまた気になってしまい、
ステージにレスリースピーカーが無いんですよね。
まさかと思いながらもどうやらシュミレーター
だったようで正直音悪過ぎ(失礼)
ステージの配置構成上マイクで拾うのに問題が
あったのかとも考えたけども、
難波さんはグランドピアノをマイクで拾っていたし、
いったいなんでシュミレーターだったのでしょうか。
なんかよっぽどの理由があったのでしょうが謎です。
それとオルガンの上に設置してあった
オーバーハイムマトリクス12。
あれだけの個性的な超ド級なシンセの音が
全く聞こえなかったのが残念。ヴィンテージシンセの
店に行けば弾けるし音も聞けるけど、そうじゃなくて
山達の曲の演奏の中でのアンサンブルが聴きたかった。
でもさよなら夏の日で DX7IIFD の懐かしい
FM音源が聞けたのは心地良かったですが。
潮騒の次の二位がなんとも2000トンの雨。
山達いわくコレには困惑?したようです。
どう言う意味でしょうかね。ファンは当時の
ボトムな時代の山達が好きな人が多いと言う事。
自分もサムライ男さんの影響で大好きな曲。
しかしながら自分の行った東京&横浜では演奏
しませんでした。しかも二位になった話も出ず。
この情報は横浜公演後にネタバレブログで
知ったんですけどね。あー ・・・ 聴きたかった。
漫談じゃなくてMCの途中で山達が
生まれ育った池袋の話が出て、
もしや2000トン演るか!と期待したものの ・・・
ちなみに詩の中の「そびえ立つタワー」とは
建設中のサンシャイン60の事だとは
サムライ男さんから聞いた話ですがね。
とまぁ辛口に書いてしまいましたが、
愛があるゆえと感じていただけるとあり難いんですが。

辛口な感想はここまでとして、
演奏は素晴らしいものがあります。

 「 その時だから作れる曲がある 」

 「 昔の自分だったらこの曲は作れなかった 」

希望という名の光の途中で山達の言葉で、
そして蒼茫の一部の歌詞との融合で
最高の盛り上がりへとなり、この2曲を融合させた事で、
過去の自分と今の自分とを表現したではないのでしょうか。
山達の人生の縮図を聴いたようでもあり感動でした。
今回のライブではこの曲を作る切欠をくれた
ナイナイの岡村氏と病気と戦う友人の桑田佳祐氏に
捧げていました。

LET'S DANCE BABY のローズのイントロが
始まるとここで会場が一斉にオールスタンディング。
常連のファンはクラッカーを用意。
お仲間の角松敏生さんのライブで
TAKE YOU TO THE SKY HIGH の時、
会場中で紙飛行機が飛び交うアレのようなノリ。
心臓に指鉄砲の歌詞の部分の、心臓にの後に
クラッカーをならす。山達も間髪入れずに一言。

 「 みんなしぶといなぁ~ 」

ある日ライブでこの曲を演奏中、二人のお客さんが
レコードと同じく心臓にの後にクラッカーをならし、
その後それが全国で派生し、今ではこの曲を
やめる訳には行かなくなったしまったと曲中に
MCを続け、作詞を手がけた吉岡治さんが
5月17日に亡くなられた事に配慮し、
哀悼の意を込めて吉岡治作詞メドレーへと。
童謡から歌謡曲、演歌と色々と山達は歌い
会場のボルテージは一気に最高潮へと
大いに盛り上がった。

LOVELAND ISLAND のあと皆さん退場。
アンコールで再登場して RIDE ON TIME 後
出演者皆さんでのラインナップ。
そしてステージは最高の盛り上がりと共に
佳境へと向かって行った。


ネタばれしまくりましたが最後に総評と致しまして。
追加公演の東京と山達いわくなんちゃって千秋楽の
横浜の両会場を堪能してみて、
お客の雰囲気の違いには意表をつきました。
東京がどうだって言う事では無いのですが、
ロビーに入るやいなや横浜はとにかく
会場の雰囲気が上々で、お客全体からの
高揚した “ 気 ” が、会場中を
包んでいたような気がしました。
後半のスタンディングからは、最前列で踊りまくる
お姉さんもいたりと。見ていてこっちも楽しくなったし、
サムライ男さんも今まで聖地中野サンプラザでの
ライブのみで、果し合いの場と称されている横浜は初。
お互いに東京との違いを同じく感じていた事は一致。
山達の横浜でのお客とのやり取りは結構あり、
東京でも言ってはいたけど、
「お客さんいじってるほうが楽しいから」
なんて冗談交じりの漫談じゃなくてMCだったし。
やっぱり山達は落語が好きなだけあって、
もうMCじゃなくてはっきり言って漫談です漫談!
演奏は音量も適正音量で、一曲目から耳鳴りが
なんて事も無くお客との距離感と音質を
最優先している山達の考えが生かされていた。
前から二列目だとステージ両端に設置してある
PAスピーカーとだいたい平行位置にある為、
PAスピーカーよりも演奏者用の
モニタースピーカーから聞こえる音のほうが
聞こえたし、とにかく山達のカッティングの
生音が聞こえたのには激震感動鳥肌モンです。
かわって後ろから二列目では、PAスピーカーの
音がメインで程良い大音量で又違った
モノを味わえたのは言うまでもありません。
その横浜では毎回オケのテープスイッチを押す
謎の女性仁美さんも山達のはからいでステージ上に登場。
この日はVTR撮りもしていて「親孝行出来たね」
なんて微笑ましい一幕もあったりと。
サメ[トメンバーもさながら山達バンドと
言って良いくらいすばらしい演奏を聴かせてくれた。
のべ3時間30分の上演時間は、
デビューしたての頃のお客の少ない地方周りで、
又次にこの会場に来れる事はあるのか?
そう思い、ならば出来るだけの事をやっておこう。
こう言った気持ちからの3時間ライブの始まりだそうで、
今になってはあとツアーが何回出来るか?に変わり、
おん年57歳になり還暦までは
ツアーをやっていきたいと表明。これも全ては
山達が果てしなく音楽を愛しているからだと思うし、
熱烈なファンを大事にしている事だと思う。
とっても嬉しい。山達の様なミュージシャンの
ファンでいる自分を誇りにも思えるし、
音楽を愛する山達の音楽こそ人々の心を平和に
するのではないでしょうかね。
平和でなければ音楽もやっていけないと山達は言う。
最後には政治の話も含め、世の中
しばらくは変わらないと思いますがお互い
頑張りましょうとの言葉には、
本物の音楽を演奏する人だけあって
成り行きの言葉ではない真の言葉に
勇気と感動を真意にもらいました。

 「 アンタが大将! 」

そう言いたいな。 wink






アカペラのオケでの YOUR EYES を終え、
コレが最後だ。とファンは心得ている。

ステージには山達一人が残っている。

彼を神とあがめる人もいる。
素晴らしいプレイと音楽。
いやっそれだけじゃない。

山達は最後にステージ中央で約10秒間
深々と頭を下げる。

この時思った。

この誠心こそが神のなせるわざなのだと。



拍手と歓声が鳴り止まない中、

山達達郎はステージから消えた。

けれどもファンの心にはずっと

山下達郎の残像が消える事はない。

ずっと ・・・




   最高のステージを有難う




  ~ 夢の時間を有難う ~






     





     LET'S DANCE BABY ~♪





     













最後に。
昭和史に残る数々の作詞を生んだ
吉岡治さんのご冥福を
心よりお祈り致します。