鈴木の「窓に西陽が激しく当たる部屋」melow

メジャーとマイナーの漂流者・鈴木。
常に両極を嗜好するわたくしの徒然ブロ&グー。

きっかけはカーリー~自己回帰の始まり~

2007年11月10日 | 【ミュージック】
久々に稽古が休み。
しかも金曜日の夜である。

地元の薬局が閉店する五分前に滑り込み、かわなきゃいけないあれやこれやを頭の中の買い物メモにチェックを入れながら小走りで購入。
小雨のなか自転車を転がし、決して綺麗とは言えない雨を軽くパシパシと受けながら
「水色の雨」
を熱唱して帰宅する。

久々に、夜が長くて嬉しい。

テレビでは某音楽番組で槙原敬之とかり屋崎省吾が対談をしている。
カーリーはあのキャラは勿論、華道家としても真面目で人に優しいところも好感が持てる。
槙原敬之も、アルバムを買ったりするわけじゃないにせよ、聴くとすごく聴き入ってしまう歌手の一人である。

ふたり、お互いをお互いに好きなんだなぁ…的な雰囲気が画面から伝わってくる。共通の恩人である三輪明宏の話題になったマッキーが、あまりに興奮してカーリー近づきすぎーの前傾しすぎーのいやに笑いすぎーので…若干絵が面白くなっていたのだが、そんなことはまあいい。

さて、槙原さんを自宅に招くに当たり、カーリーはリビング一面に華を活けたという。すっごくダイナミックに活けられたカーリーの華々に温かい印象を受けるのは誰かのために活けたという事実に他ならないだろう。
自分じゃないのに嬉しくなってしまった。

はたまた、マッキーはEvery Little Thingとコラボ。
わたしのなかでは、かつて学生時代に確かに売れて、誰かが必ずカラオケで歌う一曲でしかなかった
「time goes by」
が槙原敬之が歌っちゃったことで信じられないほどの名曲に変化した。
そんで挙げ句の果てに泣いていた。
はい。泣いていた。
笑うところじゃありません。
歌詞を書いたのは誰よ?持田さんですかね?
わかんないし多分調べないけど、いい歌詞なんだなと身を持って実感。

どうしてか槙原敬之が歌うと、歌詞のひとつひとつが生々しく入り込んでくる。
小田和正もそうだが、歌詞やメロディーをどこまで生かせるかはスピーカーである歌い手次第なんだなぁと思ったね。

ジャパニーズラップやヒップホップに情緒など求めちゃいないが、中には「こころ」を歌い始める人もいたりして鈴木は不本意だ。
異国のメロディーにまず日本語は相容れない。
愛川欣也も

日本人にセクシーは似合わない
ただ欧米人には艶っぽさはない

と言っているではないか。
慣れてしまったが強引なこらぼみたいなもんだ。
不本意な理由はそれだけではない。歌の質を問いたいのだ。
歌詞がよくあるフレーズで、月並みであることを認識せず、逆に売れるほどにいい歌詞を書けたと思ってるような気がしてならない。
さらに、そんな薄い歌詞を単調なラップや、はたまた抑揚つけられる訳がないがなり声で歌った(歌じゃないけど)あかつきには…なんか
聞き流すしかない歌
としか思えないのだ。
どんなに売れてても。
どんなにリズムがよくっても。
響いてこないのだ。

Every Little Thingの持田さんはマッキーのファンらしく、カバーもしたし今回はカバーしてくれたから相当嬉しそうな表情をしていた。逆の立場のマッキーもしかり。

誰かを尊敬していたり、好きだったり、話したいと思っていた人と話したり、誰かの為を想って何かを作ったり、伝えたり。自分のことばで、気持ちのままに伝えることの気持ちよさと豊かさ。

携帯などのフィルターを通さず、直線的にアクションすることが、いま私が一番したいことのような気がする。

人への気持ちや物が
アッ!
…と言う間につぶされた時のダメージは大きく、そういうのは断固避けたいと思うのだが、だからといってそこにある気持ちや勢いを押し止めちゃいけない。

ここ最近、人情にアツい人に出会うことが多くなってきた。それに対して相手を喰う位の人情返しをしたい気持ちが盛り上がっている。人に対する想いを、そのボリュームのまんまもっていきたい。

地元の駐輪場。狭い通路を女子高生が「すいません」と会釈して自転車で通り過ぎていった。
それだけのことだけど、すいませんと言われただけだけど、なんか嬉しくなった。

いつか、表参道駅構内でみぞおちを激しく強打してきたサラリーマンの話を書いたが、あの時に感じた地獄からの使者レベルの憎しみは一体何だったのか…!
もはや異空間の話みたいな周囲へのオープンマインドっぷり。
鈴木に何が起きてるのか、本人を含め誰も、わかっちゃいませんが、なんとなく

自己回帰

っていう感じはしていますよ。ではでは