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枚方人権まちづくり協会研修会

2012年11月02日 | 活動

11月1日(木) 特定非営利活動法人 枚方人権まちづくり協会 研修会 に参加しました。

舞鶴引揚記念館 が研修先です。
語り部の方から、展示についていろいろ説明を受けながら 見学をしました。第2次世界大戦の終結後、海外諸地域に残された日本人の数は、軍人・軍属が330万人、一般法人が300万以上といわれ、これらの人々は、短期間にしかも一斉に帰国しなければならなくなりました。これを「引き揚げ」といいます。
政府は、国家的緊急課題として、この大事業にとりくみ、1945年9月28日から、軍港だった舞鶴港をはじめ、国内の十数港を引揚港に指定して業務を開始しました。
舞鶴には、主として旧ソ連邦(現ロシア共和国)、中国などの大陸からの引揚者を迎え入れました。13年間に66万4千531人の引揚者と1万6千269中の遺骨を受け入れました。
終戦時、大陸に残された日本人のおよそ57万人がソ連へ送られ、その内の約47万2千人がシベリアの収容所で、長い年月つらい抑留生活を強いられたのです。その抑留生活がどのようなものであったのか、も多く展示されていました。
舞鶴港は、1950年以降、国内唯一の引揚港として最後まで重要な役割を果たし、「引き揚げの町・舞鶴」の名が全国に広まりました。
舞鶴は、戦後13年間にわたり海外からの引揚という歴史的役割を果たしました。辛酸をなめた抑留生活を余儀なくされた同法の悲痛な叫びを耳にして、今を生きる私たちは日々平穏に暮らすことの尊さがどれほど大きな犠牲の上に築かれてきたかを後世に語り伝えていかなければなりません。引き揚げの地・舞鶴から戦争の悲惨さと平和の尊さを熱き思いを込めて次の世代に伝えます。(舞鶴市HPから抜粋)
岸壁の母のモデル

昼食場からの舞鶴港
初めての見学でしたので、シベリア抑留についていろいろ知ることができました。
「永久の平和へ願いを込めて」その言葉をしっかりと受け止め、行動していきたいです。


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