きみとのむミュスカデシュールリー

お酒はあんまり関係ありません あしからず

怖がることをすぐ忘れる

2007-07-16 17:47:35 | おもった
映画みた、シンドラーのリスト
私は基本的にあんまり映画見ない人だったので、有名なのを順々に見てみようかなあと思ってチョイスしたらしにそうになった
でも見終わると、見てる最中に感じた恐怖とか、涙とか、もう忘れてて、所詮自分の感性なんかこんなものか、って思った。
私がすぐ恐怖を忘れたらあんまり教訓にならないんじゃないの、と思う、まあ怖いからすぐ忘れようとするのかもしれないけど
昔よく思ったのが、いじめっ子がいじめの映画(というかなんか虐待的な感じ?)見て感動して泣いたりしたら、自分もうやめようとか思わないんだろうか、とか
そういうのを自分の行いに重ねてみたりとか全然しないのか、ということなんだけども、そういうのは、その人が映画見た後にすぐに現実に戻る人か、それとも本質的にその人が重ねてみることをしない人なのかもしれないと思う、実際自分もすぐ忘れる

映画はやっぱりリアルではないわけで、終われば現実といくらでも切り離せてしまう、そういう区切りができないと社会人失格なのかもしれないけど、結局乗せられて流した涙だったんだと思うと、自分の涙えらい軽いなとも思う

でもきゃあとかあんまいいたくない

2007-07-15 05:44:42 | おもった
最近気づいたのだけど、男の人が卑猥な言葉をいって、こっちを動揺させようとするやつ、あれが全然効かない 何とも思わない
もう反応できなさ過ぎてどうしたらいいかわかんない

あとカレー食べてるときにうんことかいわれても全然だいじょうぶ 
これ自分の想像力が足らないってことなんじゃないのって思いました

ここで知る

2007-07-15 05:38:29 | わるくない
密室空間でずっと一緒にいたらくっついちゃうとかピンチを切り抜けたらとかつり橋効果とかもうそんなものなんだなあ恋って、と思ってしまう
男女が一緒にいるから生まれる感情なんだよねきっと

だから例えば好きな相手が運命の相手なんだったら、運命の相手は同じ生活圏に暮らしてる人がほとんどで、じゃあこれって運命でも何でもなくね、ただそばにいるからじゃね、と思ってしまうのです
そこにいるのが運命とかいうんだったらもう何も言えないけど、

でも別に勘違いでも思いこみでもいいじゃない、と思う
好きか好きじゃないかだけで、あと幸せだったらそれでいいやもう

しってたよ

2007-07-15 05:10:46 | わるい

面倒くさがりの私は、ほんとうは知ってた、失敗したときに大事なのは、如何に謝るかじゃなくて、謝り終わったら本当にできるようになってなきゃいけなかったこと
謝るってそういうこと、その場で許してもらうことじゃなくて私自身がそのことを考えてるってことが大事

相手がだいじならなおさら


なわばり意識

2007-07-08 04:00:56 | 好ましくない
新しいものを受け入れるのはしんどい。それが人でもものでも、すごくパワーが要る。
最近は人間関係ですごくそう思う、特に同性
みんな無意識にテリトリーを持ってる気がする
初対面の人が、たくさん席があるときに離れて座るのなんでか知ってますか、それは自分の縄張り意識が働いてるからなんですよ、とは教授のお言葉で、確かにそうなのかもしれないと思う。
新しいものを受け入れるのはパワーがいる、そして受け入れられようとするとなおさらそれがいる、そしたら余計なものは入れようとしないのが普通なんじゃないかな
私の場合受け入れるのもだけど受け入れられようとする方にすごく疲れてしまうので初対面とかなかなか厳しい
イタリアとかそういう意識薄そうな感じのイメージを勝手に抱いてるんだけどどうなんだろう、実際私も薄くなりたいなあ

とんでけってなに

2007-07-08 03:45:09 | 知りたい
「飛べ」と「とんでけ」は何が違うのか、命令形じゃないの?とんでけって
とんでけのけってなんだよ 何助詞?終助詞?
しかもとんでけの意味が分からない… 命令じゃないよね
投げやり過ぎ なにとんでけって


類語を考えてみた
「やれ」「やってけ」
「買え」「買ってけ」
「遊べ」「遊んでけ」
「悩め」「悩んでけ」

なんか、遊んでけ、とか悩んでけ、とか見ると、俺のところでそれやっちゃいなよ、みたいなニュアンスを感じる気がするんだけど、飛んでけはちょっと違う気がする なんかいってらっしゃい的
とんでけー こうもっと相手の自発性に任せる感じ 

わけわかめー

ゆがめ自画像

2007-07-08 03:24:36 | わるくない
自分が考えてる自分の姿はすごく曖昧なものだなと思った。
その日の気分にすごく左右される

前は悲しい気持ちで見ているときの方を基軸にしてた
いいことがあって、自分実は大丈夫なんじゃないか、って思っても、いやいやしんどい時を思い出せよおまえ大丈夫なわけないだろ、みたいな。
なんだろ、マイナス面からみている自分が本当の自分だと思って、自分がそれ以上自分に失望しないようにしてたとかたぶんそういうこと。
でも、自分が思う自分なんて、嬉しいだとか悲しいだとかそういうフィルタを通してみてるから、いくらでも歪む。
そういうフィルタはきっと主観のことで、主観なんて本当簡単なことでかわる、自分が思ってるほど主観なんて頼りにならない気がする

こんな自分が、って思うことにすごく慣れすぎて、自分は気持ち悪いくらい他人と自分を比べてのぼせ上ったり失望したりしてる。
でもそのほんとのところ、相手が自分をどう思ってるかのほんとのところがどうせわからないなら、もうちょっと自分だいじょうぶだって思ってた方がいいと思った、自分だめだって思えば、落ちることがなくても這いあがれなくなってしまう

二重否定

2007-07-01 16:17:04 | おもった
~じゃないわけじゃない、と二重否定を使われると、頭の悪い私は、ん?と思って、つまりそれはどっちなの、とぐるぐるしてしまう。そしてぐるぐるしてるうちに会話は進んでいってしまう、

そんな私はよく~なくなくなくない?とよくいいます、自分でもどっちなんだかよくわからん