のぶまさのヒザシマツヤマ(申松山)備忘録

日差しあふれるわが街、東松山を
日を串刺ししてる字「申」をあて
申松山でヒザシマツヤマと褒めたたえています

Nでフリーズ

2022年09月15日 18時41分52秒 | 日記

かぜのなかの、すぅばるぅ~

今日見たらすでに無くなっていました。
たぶん視聴期間が終わったのでしょう。

先日NHKプラスでコレを視聴しました。

<出展:NKHプロジェクトX 挑戦者たち 4Kリストア版公式ページより>
この番組放送は2002年なので20年前に作られたドキュメンタリです。

日本語タイプライターのオペレータの少なさに限界を感じ、
誰でも操作可能な日本語ワードプロセッサを開発した東芝の設計者のお話です。

アルファベットが26文字の英語に対して、日本語は48字のひらがなと5万ものの漢字。
美しい言語だが、契約書を作成するスピードが遅く、グローバルなビジネス競争に不利という現状を嘆き、
誰もが使える日本語ワードプロセッサ商品化の必要性を上層部に訴えたそうです。

ひらがなを5万の漢字の中から選択して変換するという当時不可能と思われた技術に挑んでいました。
当初、変換に30分を有した言葉もあったそうです。
変換の方法や使う人に固有の言葉を覚える学習機能などを追加して、
ついに累計3千万台の売り上げたワープロが完成、国民的商品となったそうです。

かくいう、私の嫁さんである梅ちゃん、
会社に入ったときには日本語タイプライターを使っていました。
私、遠くでガッチャン・ガッチャンという音を聞いていました。
実際、私も操作したことがありますが、字を探すのが大変で
A4一枚作るのにかなりの時間が必要でした・・・

そして梅ちゃん、まさに国産ワープロ初号機も操作していた女子従業員でした。
梅ちゃんにTverでこの番組を見せたら
『型番がちょっと違うけど、こんな形だった』と言っていました。
初号機ではなかったのかな(^_-)-☆
私たちも、日報・月報や設計文書などを彼女たちにワープロ化をお願いしていました。
修正箇所があると、頭を下げてお願いしにいきました。

やがてパーソナルコンピュータが登場し、
さらにもっと誰でも日本語ワープロが操作できるようになり、我々設計者も自分で文書を作成するようになりました。
私が初めて使ったパソコン用のワープロソフトは『一太郎3』だったと記憶しています。
※もしかしたら一太郎2だったかもしれません

当時の一太郎は、バグが残っていて、
特にナ行やンで使う『N』を打ち込むと、たびたびフリーズして
もう一度最初から打ち直しの目に遭ったのを覚えています( ;∀;)

当時『大豆田とわ子と三人の元夫』なんて番組があったら
何度もフリーズしたでしょう(^_-)-☆
アルファベットで打つとNが多い!
OOMAMEDATOWAKOTO,SANNNINNNO,MOTOOTTO

やがて日本ガラパゴスと言われたNEC・PC9801鎖国時代が
Windowsという黒船に開国させられて
私も一太郎からWordに乗り換えて、定年を迎えました。

なつかしいなぁ・・・

つばぁめよぉ、たかいそらからぁ、おしえてぇよぉ、ちじょぉのほしをぉ~



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