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のぶまさのヒザシマツヤマ(申松山)備忘録

日差しあふれるわが街、東松山を
日を串刺ししてる字「申」をあて
申松山でヒザシマツヤマと褒めたたえています

大原麗子さん逝く

2009年08月07日 06時17分46秒 | 芸能人
今日は、台風が直撃しそうな話をアップするつもりでしたが、
緊急速報が入り、話題を変更します。
大原麗子さんが、お亡くなりになりました。
62歳、死亡後、2週間たって発見されたようです。
このブログのはじめのほうでも書きましたが、
中学のころだったか、なべおさみさん主演
「負けてたまるか」(だったと思いますが)という豊臣秀吉が
木下籐吉郎だったときのドラマが、日テレで放映され、
その恋人、ねね役を大原さんが演じていたのを
見たのが最初で、そのお下げの髪型と、妙に愛くるしい
もみ上げと、そして何よりあのハスキーな声が印象的で
すっかりファンになりました。
ドラマも再放送で、午後4時くらいにやっていたのを見たのですが、
欠かさず見るために、急いで学校から帰ったのを覚えています。
とにかく、かわいい恋人ねねでした。
思えば、そのドラマの影響で、太閤記を読み、歴史がすきになったのだと思います。
学校の授業では、本当につまらない歴史も、ある一人の人物を
好きになり、その人のことが書かれている書籍、小説を読んでいけば
歴史も好きになると思います。
私も、太閤記に始まり、南総里見八犬伝、勝海舟はドラマの影響ですし
三国志、十八史略そして平家物語へと展開していきました。
脱線しました。
その後、「大原麗子」という名前をドラマの出演者に必死に探しては、観ていました。
はじめは、チョイ役だった彼女も、だんだん出演が多くなり、脇役そして主役
抜擢され、大女優への昇り詰めました。
当時名前も知らなかった渡哲也さんお弟、渡瀬恒彦さんと結婚したときは
渡瀬さんのドラマも見るようになりましたが、離婚されてしまいました。
晩年は、難病にかかってしまい、TVの出演がなくなりました。
長い闘病生活大変だったろうと思います。
死亡して2週間後に発見というのはさびしいことですが、
少子化、核家庭の時代の私たちも同じ運命なんだろうなと思います。
もしかしたら私などは、ずっと発見されないままかもしれない。
とにかく、私の人生のひと時のオアシスでいてくれた
大原麗子さんのご冥福をお祈りいたします。







コメント
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