続きです。
身体や心に宿る魔物とは一体何なのか。私の母親が子供の頃、狐憑き、狸憑きは当然の事として考えられていました。
現在は精神障害や欝病で解決されると思います。だが、これが魔によるものなのか。どこまでが病気で、どこまでが魔なのか。どこで線引きをしたら良いのか。全体的に考えると本当に難しい。どうやって考えたら、どこまで考えたら良いのだろう。
映画エクソシストでは悪魔が少女に憑依した。それは魔である可能性が高い。憑依されて狂った行動をして、悪魔が身体から出て行って正気に戻った人物がいるのなら、その人の話が一番信憑性が高い。その経験をした人に聞いてみたい。でも私の周りにはそんな人いないんだよねぇー。困ったねぇーと思っておりました。
そして最近、ちらっと本を読んでて見つけました。憑依されて正気に戻った人を。その人の名はゲゲゲの鬼太郎の作者である「水木しげる大先生」です。帝都物語、帝都対戦の作者の荒俣宏さんが語っていました。その時、水木先生に何が起きたのか。
水木先生は一昨年、93歳でお亡くなりになりましたが、日本の妖怪研究の第一人者です。そして荒俣宏は超常現象研究の第一人者。不足無し。日本にこれ以上の人はいません。信用できます。
荒俣さん曰く、妖怪を見る人、感じる人には法則があるそうです。妖怪を感じた当時の水木大先生はその法則が当て嵌まる状態にいた。その法則に私は唸りました。なるほどねぇー。
そして納得しました。何故私が某征夷大将軍を祀っている神社で幽霊に出会ったのか。そして瀧のある某お寺での超常現象がなぜ私に起きたのか。
妖怪と幽霊は一緒に出来ないかも知れませんが、近い存在なのは間違いない。心霊現象もそう。今回は同じとして考えます。
荒俣宏さんの話は当時の私、否、今現在の私にも当て嵌まっています。それはどう言う事か。
荒俣さんは今まで妖怪や幽霊を見た事無いそうです。しかし、水木先生は妖怪らしきモノを感じている。水木先生はどうして感じる事ができたのか。
水木先生が妖怪らしきモノに出会ったのは戦時中です。ニューギニアに出兵していてジャングルを逃げ回っていた。その時にヌリカベの様な者に通せんぼされて、大変な思いをした。
つまり「自分は何も悪い事していないのに、何でこんな酷い目に遭うのだ」と言う様に、過酷な状況に陥った人。更には「貧乏だったり、弱っていたり、怖がったり、悲しがったり」している人が妖怪を見る。
反対に「お金を沢山持っていて将来の不安が無く、友達も大勢いて、毎日が楽しい」と思っている人は妖怪を見ない。
妖怪は「貧乏で悲しいと思っている人」に寄って来る。そう考えると私が幽霊や心霊現象を体験したのも頷けます。
アニマル浜口じゃないけど人生は気合です。気合で魔物を跳ね返す。気が弱い者には魔が寄って来る。悪い人間だって気の弱い人をカモにしようと狙う。人も魔も大して違いは無い。
私が幽霊を見たのも気が弱く、貧乏で悲しい思いをしているからでは。これは残念ながら当っている気がします。
続く。
負のエネルギー
人殺しの殺意
上記の暗黙の暴力は
そう簡単に解決できませんね。
ですが、
誰もいない森の中で
内に秘めた、本当の内心を
木や鳥
動物に向けて
叫んでみるといいかもです。
彼らは批判もしなければ
判断も下しません。
良し悪しも無いのです。
無条件に受け容れてくれるはずです。
解放させてください。
放つのです。
仙台に真田信繫と片倉小十郎の血を受け継ぐ方がいますが、人殺しの家系ゆえにとことん苦労しているそうです。
私同様、左の掌を怪我しております。殺した者が刀で切りつけてくる。それを左の手で遮るから怪我をすると言ってました。お話を聞いて、いちいち納得する事ばかりでした。
そしてチョットやそっとでは因果は中和できないと仰っていました。苦労に苦労を重ね、ここに来てやっと報われつつあると仰っていましたが。
蓮の花さんのご指示に従いたいと思います。どこか清らかな気を発する森林を見つけて、佇んみながら会話し、心の叫びを発して来ようと思います。
有難う御座います。
また全てを受け入れてくれる存在って大きさ感じますね、レベルの違いも。
人間は良い悪いとか何かと判断基準がありますがそれもどっちに判断基準があるかで逆転することもありなすもん。
放つのです。
そしたらありのままで受け入れてくれる者を探そうっと。
黒を白に、いじめもない事にする、そんなちっぽけな所詮人間に右往左往する事なく放ってその後の相手の対応で見極めて諦めていくのも大事そう。いじめの調査組織を被害者家族が解散したのもとっても理解できますね、出来る人たちじゃないんでしょうから。ならばその事実を放ってその後どうなるのか?そこを見ていくと人間の良し悪し
も見えてくるし、悪い所に頼ろうと思う心もなくなるので自分のやるべき事も見えてくるのかも?
また、自分の立場や抹殺されかねないリスクを感じながらも放っている方にも評価が上がるといいなあ。だって怖いですよね。
判断するのも世論でもえらい人でもなく自分。
その為には放ってくれる器の大きい人が出ないといけませんね。
弓の祓いもは放つんでしょうね。
相手をやっつけるのではなく、相手や周りに考えさせる機会を与える事。矢を放つのではなく、げんの波動を送るみたいなイメージ。
それによって相手も周りもその人への復讐も逆に目についてしまうので出来ないはずで放つ人には明らかに護り、魔を祓う事にもなりそうですね。
放てる人が必要でそれを見守る人もいれば客観的にも世界的にも間違った方向には遠慮なく指摘が入ってきます。その時の行動をみるだけでですね。7426
ある一箇所に長くどっぷりだと気付かない物、それの疑問があったらそれを受け入れる国であり県であれば自然と評価は上がるし、逆だと自爆してしまう。どうなるかは放つ人の思いをどれくらい汲み取れるか?日本人ほどそこがうまい民族いないはず。汲み取ってもそれを出来ない方も汲み取れてないとの判断ですし、加担なのでしょう。
そういう方々が自然にいられなくなるといいですね。7426 やっぱり東北は鍵でしょうね。
地元の方はまだ生きてますが健在で全国を走り回ってます
かなり高齢なのですが
この記事で思い出しました
ちょっと古いデーターですが、宮城県の平均所得は全国41位です。バブル時代は32位程度だったと記憶していますが、大幅に落ち込んでいます。仙台は支店経済の都市で東京本社の社員がいるため41位ですが、地元で考えると殆どワーストと言ってよい低さだと思います。
偏見かもしれませんが、お金が無いと心が貧しくなる傾向があると思います。仙台はおかしい精神状態の方が多いと実感していますが、それは教師も生徒にも言えます。だから虐めでの生徒の自殺が宮城県で多いのだと思います。
私みたいに人と接しない者も問題ですが、大検と言う手も有ります。中学、高校に通わなくても学力で大学に行くケースも考える時期だと思います。
そして学校に警察官を常駐させるのも考えて良い。宮城県はそのレベルに達していると思います。
昔の青森のイタコもそうですが、神??と思われる精霊に、「人々の為に生きよ。何で人を助けないのか。早く行動せよ」と言われ、シャーマンになった人がいます。「神に追われた人」と言うらしいです。
断れば神??の罰を受ける。仕方なくシャーマンの仕事をしている人もいる様です。確か青森の木村藤子さんもそうだと思います。
折角、その様な力を授かったのなら、神??に従うのも人生だと思いますね。
そしてどうしてその力をもらったのかも教えてもらいました
日本昔ばなしのようなお話しでした
彼女は人助けをする器があったのだと思います
賢いという感じではないけれど温かい人でした
心が優しい人でした
木村藤子さんも罰としてなのか乳がんになったと語っていました。神の意思に従わないと自分に罰が及ぶ。理不尽ですが、従うしかないようですね。
悪意がある人には神の命令は下りないでしょう。神職とは神と人との引継ぎ役ですが、本来は神から選ばれた人がその任を受けていたのでしょうね。