諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

何故、古代日本人は風葬で死者を弔っていたのかを考察する。その2

2023年04月12日 18時40分23秒 | 
続きです。

さて、記紀において風葬を示しているのではないかと思われる記述もあります。古事記では素戔嗚尊と大宣都比売神。日本書紀で月読命と保食神のストーリーです。

この二つのストーリーは殆ど一緒です。

素戔嗚尊の場合は大宣都比売神が「御馳走作ってやっかんね」と言われて楽しみに待っていた素戔嗚尊。でも作っているところを見たくなった。それで大宣都比売が御馳走を作っているところを覗いたら、大宣都比売神は食材を口や尻から出していた。

怒った素戔嗚尊。「そんな汚い物をわしに食わせるのか」と叫び、大宣都比売神の首を剣で斬り落とした。

それを知った天照大神は素戔嗚尊に大激怒。しかし、大宣都比売姫の遺体から牛や馬、穀物が出て来て天照大神も大喜びと言うストーリーです。

日本書記の場合は月読命が保食神の首を斬り落とした話となっています。共に大宣都比売神、保食神の遺体から牛馬や穀物が出て来て、最初は怒っていた天照大神も大喜びしています。

遺体から牛馬や穀物が出て来た。これは大宣都比売神・保食神共に食物の神だからなのでしようけど、遺体が栄養分となり植物や穀物が生まれ、それを食する牛馬が育つ事を示しています。

何れ話そうと思っていますが、大宣都比売神は本来の月読命である大月姫であり、排泄物が食物の肥料となる事を示す大尻姫の意味だと思います。

そして遺体も排泄物以上に穀物の養分となる。この二つのストーリーは風葬の意味を示していると思われます。

実はアメリカでも穀物の養分にする為、人間の遺体を穀物畑に放置する農法があります。

そして私の家から近い七北田川沿いの七北田刑場では処刑した罪人の遺体を、麦畑に放置したとの話も伝わっています。

農作物を作る為、遺体を肥料としていた。だから古代日本人は遺体を風葬にしていた。それは一つの説として成立すると思います。

だが、肥料にするのであれは土に埋めても良いのではないか。否、土の上の方が穀物の養分になり易いか。これはちょっと難しいな。

ちょっと話を変えます。伊達藩の話です。

伊達政宗は最後まで徳川家を滅ぼし、天下を握る事を諦めてはいなかった。それでスペインまで支倉常長を送り込んだ。

伊達62万石と言われていますが、貞山堀で米の流通を促進し実質250万石の石高を誇っていたとされています。徳川家は260万石なので、差ほど遜色は無い。

そこにスペインの近代兵器が加われば徳川家に勝てる。仙台に幕府を開ける。その考えは確実にあったと思われます。

しかし、スペインは日本の植民化に躊躇した。知っていたのです。日本は戦闘民族であることを。

日本刀なんて当時の技術では造れません。日本人だから造れたのです。そして日本人は戦の鍛錬を怠らない。

キリスト教国にとってキリスト教は戦争兵器です。相手国をキリスト教で洗脳し、キリスト教国の走狗に仕立て上げる。キリシタン大名はその走狗です。


続く。




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