諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

何故、古代日本人は風葬で死者を弔っていたのかを考察する。その1

2023年04月07日 19時37分37秒 | 
まぁーね、こう言ったお題は何人であっても断言出来ないのです。

神職であっても。僧侶であっても、天皇家であっても、考古学者であってもです。

そこで重度のHSPで鬱病で、死に囚われている私が考察してみたいと思います。何で古代人は死者を風葬で根の国に送っていたのかを。

っとは言え、何時頃まで風葬していたのかも正確には分かりません。分かっているのは古墳時代以前だと言う事だけ。

だから私の今までに培った神道感、生死感、そして紫色に変色した私の脳のみで語ります。それが正しいかどうかなんてのは自分でも分かりませんが。

太古の昔、日本は風葬で死者を弔っていたそうです。

ちょっと話しを変えます。最近、動物王国のムツゴロウが亡くなりました。

ムツゴロウに付いては言いたいことがあります。数十匹のチャトランに付いてです。

この人、本当に動物を愛していたのか。動物虐待していたのではないか。ただの動物ビジネスしていただけじゃないのか。欲に目が眩んで動物ビジネスで大失敗し、大きな負債をだした。それはチャトランの祟りではないのか。

死者に対して悪口は言いたくありませんが、マスコミにいた者なら彼の評判は聞いています。私も知っています。だから好きにはなれません。

ただ、彼は風葬で死にたいと言ってたらしいです。

自分の肉体が動物や植物の糧になる。自分の生前は動物や植物を糧にしてきた。その恩を返す。それが自然の法則であるとか言っていたそうです。本音とは思えませんが、確かにそれは自然の法則です。

ただ、自分の肉親が亡くなってそんな姿を晒し続ける。亡くなった者を弔った者は、死者のその姿を見て心が痛まないのか。

記紀において亡くなった伊弉冉尊を追って夫の伊弉諾尊が黄泉の国に出向いた話があります。

伊弉諾尊の説得で伊弉冉尊は生の世界に戻る事を承諾。「準備をするから暫し待たれよ。決して覗くな」と伊弉冉尊は伊弉諾尊に伝える。

しかし、伊弉諾尊は約束を破った。伊弉冉尊の姿を覗いてしまった。その姿は蛆にまみれて腐っていた。それに驚き、伊弉諾尊は逃げ出したと言う話です。

つまり、記紀が書かれた時代は風葬は奨励されていなかった。愛し合っていた夫婦神である伊弉諾尊でさえ逃げ出したのです。愛する者がそんな姿になるのは忍びない。私だったらさっさと土に埋めてしまいます。心が辛すぎるので。

では何故に風葬が実施されていたのか。

チベット仏教では現在でも鳥葬がなされています。鳥葬も風葬と言って良いでしよう。

鳥葬が行われる理由の一つに、チベットは高地だという事。

土葬はおろか火葬であっても高地に死者を埋めるのには限界がある。だから遺体を細かく砕き、骨も残らず全て鳥に食べさせる。

私には理解できませんが、山の頂上付近で暮らすのであれば、それも止む無しの部分はあると思います。

そしてもう一つの理由。遺体は魂の抜け殻。タダの物である。それを天に返す。だから空を飛ぶ鳥に食べさせると言う考えもあるようです。

古代日本の風葬もこれに近い考えがあるとは思いますが、記紀の時代、遺体は穢れた物と考えた。だから風葬の歴史が終わった。

或いは記紀の時代では既に大陸の考えが一般化していた。それで遺体は穢れた物として風葬の歴史が終了したとも考えられます。


続く。




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