その宿屋のカウンターには老婆とその息子らしき人物が座っていた。私はパスポートを「ほら!フーチャオじゃ!」と投げつけるようにだした。老婆はそれを受け取り中身も見ないで私に返してよこした。その宿屋は暗くてよくわからなかったがカウンターの壁に時計が3つ並べてあり、それぞれ東京、台北そしてニューヨークの時刻を示していた。私はずいぶん長くこの旅館をやっているが外国人が宿泊するのは初めてだべ。フーチャオ . . . 本文を読む
台湾鉄道に山線と海線がある。清水駅は同じ台中市内の清水区にあるが海線の駅である。台中からは直通列車はない。彰化という台鉄の機関区駅まで戻り、そこで乗り換える。
足をくじいている私はよろよろとしか歩けず、乗り換えがスムーズにできない。プラットフォームからエレベーターに乗り、隣の月台まで移動するに15分もかかる始末だ。ようやく清水の駅に着いたのはもう10時に近かった。列車が清水の駅を発車すると駅員 . . . 本文を読む
週末ともあって台中の町は賑わっていた。バイクの狂った爆音。こえがママチャリならぬママバイなのが悔しい。中国は自転車からいきなり自動車に変わっていった。経済開放とともに日欧米の自動車メーカーがその広大な市場を求めた。中国企業も軍事産業から民需への転換を図り国産セットメーカーも成長し、ママバイの時代はスルーとなった。一方、ベトナムや台湾はその限定的な市場のため自動車の国産化がなされず、自家用車の高 . . . 本文を読む