護憲運動をけん引してきた「九条の会」が発足から12年余り経過し、分岐点に差し掛かっている。著名な9人が「呼びかけ人」となって全国にネットワークを広げてきたが、会も地域組織も高齢化の一途。衆参両院の「改憲勢力」が3分の2を超す今こそ真価が試される中、次の一手はあるのか−−。
「バトンタッチできる若手が地域にいない」「衆参であっという間に3分の2を奪われた。皆さん、どうお考えか」
9月25日、東京都千代田区の明治大リバティタワーで開かれた「全国交流討論集会」。各地の「九条の会」から約500人が集まり、7会場に分かれて、こんな激論が交わされた。参加者を見回すと、白髪交じりの人が目立つ。呼びかけ人のうち6人は他界し、健在なのは哲学者の梅原猛さん(91)、作家の澤地久枝さん(86)と大江健三郎さん(81)の3人だけだ。
2004年6月の発足以来、事務局長を務める小森陽一・東京大大学院教授(63)に高齢化について聞くと、意外な答えが返ってきた。「元々、活動の中心に想定していたのは高齢者。いずれ課題になるのは分かっていました」
発足前年、呼びかけ人となる加藤周一さん(1919〜2008年)と小森さんの間で、次のようなやりとりがあったと振り返る。場所は、世田谷区の加藤さん宅近くの喫茶店。木の葉が落ち始める晩秋のころだった。
加藤さん 60年安保世代は今、どこにいるのか。
小森さん はっ? 全国どこにでもいるのでは。
加藤さん いや、そういうことを聞きたいのではない。何歳になった?
小森さん 20歳だったら63歳、30歳の人は73歳です。
加藤さん 定年退職して自由になっている。結集すれば(改憲派に)勝てる。シンプルに九条の会のようなものを作れないか。
ここに至るまで2年の歳月があった。学者ら約50人で01年9月に「憲法再生フォーラム」が発足し、その中に加藤さんと井上ひさしさん(1934〜2010年)、そして小森さんがいた。近代日本文学が専門の小森さんは日本文学史を巡る文芸誌の対談を通じ、2人と旧知の間柄。毎月1回、岩波書店(千代田区)の会議室を借りてフォーラムの会合があり、休憩時間に建物の外に置かれた灰皿を囲みながら話し合うようになったという。この3人を核に、呼びかけ人候補の十数人に声をかけ、引き受けたのが偶然9人だった。
発足後は世論に変化が表れた。小森さんは、全国各地にできた九条の会の数が増えるにつれ、改憲の論陣を張る読売新聞の世論調査で改憲反対が増えたと指摘する。全国の「九条の会」の数は▽05年=約3000▽06年=約4800▽07年=約6000−−と2年で倍増。一方、93年以降、憲法改正派が非改正派を上回っていた読売新聞の世論調査は08年に「改正反対」(43・1%)が初めて「賛成」(42・5%)を上回った。
しかし、会の数は10年に「7258」までカウントしたのが最後になった。「メンバーの高齢化で活動休止の連絡も入るようになりました。自主申告制のため活動実態を全て把握できなくなったのです」(小森さん)
09年の民主党による政権交代後に失速したのは偶然ではない。九条の会の活動を外部から見てきた立教大の西谷修特任教授(哲学、比較文明論)は「草の根運動を展開した九条の会は憲法の価値観を広げ、政権交代の陰の立役者になりました。しかし、民主党の崩壊に伴う政治不信と並行するように勢いを失っていった」と分析する。
さらに逆風になったのが、呼びかけ人を“永久欠番”にしたことだ。07年7月、小田実さん(享年75)が最初に亡くなった時、後任に「作家の瀬戸内寂聴さんを」と提案があり、まとまりかけたところで加藤さんが「小田実の代わりというのはあり得るのか」と問いかけた。あり得ないとの結論になった。その加藤さんも翌年他界。欠番が広がり続けるという構図を抱えた。
冒頭で紹介した9月の全国交流討論集会。小森さんは「事務局からの問題提起」をテーマに壇上に立ち「活動は正念場を迎えている」と訴えた。ここで、呼びかけ人の同意を得た12人の「世話人」が発表され、うち会場を訪れた6人が決意表明した。
「(米ドラマの)『12人の怒れる男』じゃないけども、怒れる個人たちです」と話したのは、ドイツ文学翻訳家の池田香代子さん(67)。宇宙物理学者の池内了さん(71)は、安倍晋三政権が進める「軍学共同研究」路線に異を唱えていくという。憲法学者の山内敏弘さん(76)は「九条の会がノーベル平和賞をもらえるよう頑張っていきたい」と述べた。
04年にイラクで人質になったボランティア活動家の高遠菜穂子さん(46)=集会は欠席=は「日本は9条があるから世界で信頼されてきた」と自らの体験を交えて発信してきたことから依頼したという。世話人名簿には憲法学者に加え、貧困対策、アベノミクスなどで安倍政権の政策に異を唱えてきた有識者が並ぶ。この12人が各地の講演会などに足を運び運動を引き継ぐ。
九条の会は、今後も護憲の担い手となり得るのか。前出の西谷さんは言う。
「九条の会は憲法という財産を守るための従来型の護憲運動であり、いつか寿命が訪れます。一方、解散した『SEALDs(シールズ)』は、この財産を前提に『自分たちが主権者だ。政治は社会の基本法を尊重せよ』と積極的に要求し、憲法に新しい息吹を与えました。両者の立ち位置が異なります。九条の会には新しい運動の支えになる役割が求められます」
一方、九条の会には所属しないながらも連携してきた中野晃一・上智大教授(政治学)は、日本国憲法が危機的状況の中、会の役割に対する国際的評価は高まっていると指摘する。「9条を70年以上守ってきた日本は、世界にとって一つの希望です。改憲勢力がやりたい放題にしているのは世界に知られており、ノーベル平和賞を授与して応援したいという研究者が海外にはいます。いつ受賞してもおかしくはない」というのだ。昨年の予想で、平和賞ウオッチャーで知られるオスロの国際平和研究所は、九条の会を4位の候補に挙げていた。
憲法9条を形骸化させる安全保障関連法案で反対が全国的に盛り上がった昨年以降、各地で新たな「九条の会」設立が相次いだ。現在、活動を続けている会がどれだけあるか6年ぶりに集計中という。
再起した「九条の会」が、今回の世話人補強による内部改革を機にどこまで新風を呼び込めるのか。正念場はこれからだ。
そもそも無防備地域宣言というのはジュネーブ条約の文言をそのまま解釈すれば、その地域が相手国の軍隊が占領することを受け入れるので占領する側は、相手側や住民が無抵抗であるかぎり攻撃してはならないというだけの条文であるのに
宣言したら攻撃されないという恣意的解釈で全国の自治体に条例つくらせようというわけわかんない運動してましたからね〜
占領受けたあとは占領に関する規定によってあつかわれるので占領地であら無防備都市ではなくなるのに