にじの木通信

小さな家族の日々のこと。
安心安全栽培の菜園も、カメの歩みで一歩ずつ。

失神するのかと思った痛み

2015-06-28 23:11:28 | 健康・美容
娘たちと、今晩交わした 会話より(*^_^*)


「おかん(私)が前入院したとき、私ら(娘たち)全く心配してなくて、
まあ内容も知らんかったけど、だあれもお見舞いに行かんかったことを
こないだ友達に話してたら、信じられへんって言われてな・・」


そのお友達のお母さんが入院されたときには、
お友達は泣くほどに心配され
付き添われたのだとか。


私は‘結石の手術’・・と言っても、切開でもなく、
超音波だったか?をあてて、大きくなっていた石を砕く
粉砕手術だったので、
確かに命に関わるものではありませんでしたが、

そのときに、家族に心配されていないのは
充分伝わってきていたな、と思い出した今晩でした(^_^.)



さて、想像を超える痛みだったことと、そのときの体験を、
流れのままに娘たちに話しだし。

娘も思春期で、いろいろデリケートなことにぶつかっているそうなので、
何かふっきれるきっかけになればと、
この際以下のことを伝えることにしました。



~発症から
 3・4年前の手術(主日まで、と間違って何度か変換してしまいます(*^_^*))まで

ある日すんごい痛みと高熱と、
腰や鼠蹊部に、感じたことのないしんどさ・・・
「イタイ・・・いたい・・・」声もでなくなっていった。


その後しばらく経ってから行った病院で調べていただくと、
一つの尿管結石が大きくなっていて尿管をふさぎ、
片方の腎臓が、ほとんど機能していない状態でした。

‘その日に受けられる検査’として
CTを選択したのでしたが、腎臓を写すために使われた
「造影剤」(放射能を含みます)が(止まっている腎臓には残りやすいそうで)、
私のからだには相当なダメージだったようで、

以降顔色が大変くすみ、
体重は、できるだけ食べても(食も細くなっていたのか?)
38~9キロにまで落ちてしまってひょろひょろになり、
体力は、気づけば小学校のグラウンドで、
200メートルをゆっくりでも走りきるのが困難なほど
・・・
私のからだ、急に50~60代になったのか?と
思うほどでした。


自然療法で良くなればと、またしばらくの間いろいろ試すも、
思ったように、できていた石が溶けたり流れたり、
腎臓が動いてくれる様子もなかく、また症状が出だしたので、
家族と相談し、病院で勧められた粉砕手術を選択したのでした。


たった1泊2日の入院で石を砕いていただける・・、
お医者様のご説明ではそれほど痛くなさそうだし・・・、
と、私には怖さがなかったのでした。


しかし、
始まってびっくり・・・

痛すぎる、
私の体験したことのない、きつい痛みでした。

「いつ終わりそうですか?」
担当の先生にお聞きするも、
大きい石でなので見通しがつかないことを伝えられ、

一定の間隔をおいて、‘石’に向かって何度も何度も打たれる、
まるで金属音のように、カキーンかキーンと響く痛みを伴う術は、
なかなか終わらないのでした。


痛みを和らげる方法として、娘たちの出産のときには
「これを乗り切れば赤ちゃんに会える」
「赤ちゃんは私よりももっとしんどいのに
今、がんばって降りようとしてくれている」
など、言い聞かせてまいりましたが、

このときには、
「これが終われば家族にまたごはんを作ってあげられる」
「元気に家事をしたり働ける」はず、などと
‘家族の姿’を思い浮かべ、心の支えにしていたのです。

しかし、痛みがあまりに強く、また時間も長く・・・
私の限界を超えてしまい、

・・ああ気を失いそう
このまま失神するかも。。。
というところまで行きました。


このときに、それまで心の支えになってくれた家族の姿も、
面影さえ、ふうっと遠ざかり、
見えなくなっていたのです。

力もなくなって・・・
意識も・・


すると、イエス様だと感じる存在が、右側に現れ(たと感じ)
すっと、
寄り添ってくださいました。


私は気を失うことは避けられ、

死ぬときにも、こんな感じなのかもしれないな、と、
愛する家族もいっしょに死ぬことはできないんだな、
一人で逝くのだなと実感し、

そのときには何年か、もしくは数十年のお付き合いの今生のご縁よりも、
もっと前からのつながりである、
神様とか、見えない存在が
手をとり?寄り添い?もしかしたら一緒になり、
魂は、元いたところに、帰るのかなあと、感じたのでした。


この時の体験もあり、
私は亡くなったら、生まれるまえのところに帰るのかな(*^_^*)、
と思っているので、
(キリスト教徒でもないのですが)あまり怖くないし、
後悔なく生きている、ともまた伝えさせてもらうことができました。
(なぜか後悔のないことは何度も言ってしまうのです(*^_^*))


そして今の気持ちとして、
娘たちもそれぞれよいところをもったままに育ってくれているし、
時々のお出会いで日々導かれていくだろうし、時の周りの人たちと
どうにか生きて行ってくれるだろうと信じていて、

「ままは、あなたたちは大丈夫だと、心配していない」と
言えたのでした。




思春期には、私も何年か相当悩んで、しんどい体験もしましたが、

時々の恵みや楽しいことを見つめたり、
(命を)大きな何か、によって与えられる今日にできることや、
目の前の人に喜ばれることに焦点をあててみると楽になることもあると思うし、

そうしていろんな出会いをいただいて、体験をしていく中で、
必ず人は癒されるはず、と言っていました。


始め「おかんは+思考すぎるねん」と言われたけれど、
彼女たちの現状からちょっと視点が変えられるかも?と

このように見えない存在を感じて救われた体験を、
この際だからと2つお話しし、
長女と次女とゆっくり話しあえて、良かったかなあと思う、
本日でした。


これが今日最後の仕事、
あ、このブログになったかな、
ありがとうございます、と、思います^^





















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