にじの木通信

小さな家族の日々のこと。
安心安全栽培の菜園も、カメの歩みで一歩ずつ。

あけまして おめでとう ございます

2014-01-04 01:25:46 | ごあいさつ

皆様の新しい年がよき一年となりますように

本年もどうぞよろしくおねがいいたします



元旦から、いつになく人に会える2014年です。
子供たちもいつもと違うと言っています。



大晦日もお仕事に出ていた父と、一日中お節料理作りとお正月の準備、それからお仕事に出かけて真夜中に帰ってきた母、そして家族と迎えることのできた元日、今年は初めて妹家族にも会えることとなりました。妹のご主人が大変仕事が忙しい人だから、お正月、妹家族はいつも夜来て少ししたらおうちに帰って行っていたのです。

昨日まで妹と甥っ子がいてくれたのですが、真夜中に2歳のお兄ちゃんが慣れなくて夜泣きをするので、4か月の弟君を寝かせさせてもらいました。
ああかわいい。いとおしい。わが子となんら変わりがない感覚。



あなたの子、私の子、どっちでもよく、またとない、一生のうちの大切なシーンで、そうないことだから余計に大切な思い出となったのでしょう。


がんばり屋さんの妹が熱を出してくれたから、優しい旦那さんが送ってきてくれたから、お兄ちゃんが泣いてくれたから…と感謝するのもおかしいかもしれないけれど、そういう絶妙のタイミングやご縁の中でのことだと思いました。ありがとう。


初詣には、お兄ちゃんが妹に甘えている間なかなかお昼寝のできない弟君をベビーカーに乗せて地元の神社へと、主人と娘たちと一緒に行くことができました。

途中、田んぼで大変お世話になったMさんご夫妻にお会いしみんなでご挨拶をさせていただきました。ありがたいことでした。
主人の押してくれたベビーカーで、弟君は知らないお外の景色に疲れたのか、帰りにはちょっと眠っていて…、私の思惑通りと言われていましたね(笑)



そして3日、私たちの縁を結んでくれたご夫婦と子供たちと数年ぶりの会食。それが偶然にも私たちが初めて出会った思い出深い場所、天王寺ででした。
当時よく立ち寄ったビルの階上でのランチ。美味しいものやいいところをよく知っている奥さんのお気に入りでおすすめのお店に予約を入れてもらっていたのです。

そこへ向かう道中も、高速道路の上から、主人が昔仕事で入っていた現場が見られたりしてうれしく、また天王寺に入った車中では、ここでパパと出会ったときのことなど、娘たちにまた興奮気味に話していました。

それに久しぶりの天王寺は、噂通りとてもにぎやかになって垢抜けていましたし、主人がわりと最近に入らせていただいた現場の、上から見ると‘A’の形になっている阿倍野の歩道橋やアベノハスカスを見上げ、仕事中怖かったリアルな話など初めて聞くこともでき、ぞっとしつつもうれしかったのでした。

仕事には命がけが詰まっていてすごいことだと思いますが、それをちょっとでも娘たちと感じることができたので、家族にとって大切なひと時となりました。


そして食事のときには、主人との縁を結んでくれたお友達はそのことをよく覚えていないとわかって面白くて…。
でも子供たちは空いた年月関係なく仲よくなり、また、阿倍野も、初めて4人で会った日に連れて行ってもらった人生初だった‘もつ鍋’屋さんも、とっても栄えていると知ることができて何だかうれしかったです。

ところで私は昔から最も苦手な食べ物が‘もつ’で、まして辛いものはほとんど食べたことがなかったのですが、主人や友達夫婦はそういうものが大好きで、私とは、まったく好みも、今まで生きてきた道も違うんだなと思っていました。

ある日主人たちやお仲間に着いて行った韓国料理屋さんでは、刺激物ばかりが出てきで食べられるものがなくて、あまり共通点がなくてほとんどお話もできず、居場所を見つけられずに泣きたくなっていたのを覚えています。…仕方ないので辛さのましな、もやしのナムルだけをちょっと食べていたなあ。


何年もかけてお互いに、相手の好きなものをちょっとずつ食べられるようになってきて、今日は無事に、(以前はダメだった)ニンニクのホイル焼きも、韓国風の冷麺も分けてもらって美味しくいただくことができました。



スープでできた氷を大根だと思って食べてしまいました(笑)



出会った頃はほとんど目も見られなかったのに。恥ずかしくて名前も呼んだことがないのに・・今こんな感じなんだなあ~と思うとなんだか(笑)



思い出の天王寺のあとは、結婚後に短い間でしたが主人と長女と3人暮らしをした平野を通って、住んでいたマンションをチラ見し娘に伝え。今までの私たちの暮らしてきた場所とかけがえのない人たちに会う道で不思議だと話しつつ、実家に帰るとお義母さんは昨年より元気になっておられました。

お義母さんには去年、北海道厚沢部の黒豆を持って帰ったそうですが(そういえばそうでした)、それを小分けにせずに一度全部炊いてしまわれて、家族が食べないのでお義母さん一人で1か月の間、毎日お昼に食べてくださったのだそうです。お義母さんは大家族の出身ですので、「昔の癖で鍋いっぱい炊いちゃったん。」と主人が笑っていましたが、何の苦もなく何百グラムもの黒豆を煮ることがおできになること、そしてすべて使っていただいたことに感謝しつつ驚きました。


お義母さんは頭が冴えて、トークが一番で、お心づかいがもう…頭が下がるばかりです。毎日盆と正月いっぺんに来ているみたいなものだ、おかげさまです、感謝だと、私たちに心配かけないように言ってくださるのです。「明るいやろう?」って。主人が私の根性のなさを言うわけです。

女は強くなれるようにできているのか。命をこの世に送り出したんだから、責任もたんといけませんね。
そして改めて私たちを生み出してくださった両両親に感謝を。

まだまだ心配をかけているのですが、三が日で感じたことを、本年の歩みに生かしていきたいものだと思います。

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