にじの木通信

小さな家族の日々のこと。
安心安全栽培の菜園も、カメの歩みで一歩ずつ。

いやな人もソウルメイトって・・?

2016-05-11 00:27:21 | つながり
母が勧めてくれたある講座にて、聞いた話。。。


自分にとって、

嫌な人・苦手な人・辛いことをしてくる人だったかなあ・・・

そちらの人も、生まれる前に決めてきた、

魂の友人だという説。。


ちょっとなるほどと思えるので書かせていただきます。。



専門学校時代のアドヴァンス校の担任の先生を思い出す42。

あれは10代最後の出会いだったはず。


その学校で学んでいた‘エステティック’は、当時から

日本では資格がないのですが、受け持ってくださった担任の

先生は、国際エステティシャン協会の試験の試験官もされていた

業界の実力者でもあった。


わたしは当時はあまのじゃくで、

やる気を見せなくて、先生を困らせるような感じであった。


卒業前「あんただけが心配や」と、少し見える白髪に

ピンクのカラーリングがトレードマークのその先生には、

言わしてしまったものでした。


どこに出してもおかしくないような、エステティシャンの卵に

育てようとしてくださった先生と学校、しかし、

そんな‘商品’みたいにはなりたくない、と抵抗していたわたし。。。


ですが卒業後、いきなり‘‘プロ’’として働かなければならない立場となり、

人から見られたときには‘エステティシャン’らしい立ち居振舞いで、

またトリートメントを始めた瞬間に、お店の美容師さんやお客様方から

‘プロ’だと認められるように育ててくださったことが、響くこととなった。


考えたら学校のとき、エステ科の16、7名は

数百名おられた美容師さんの卵の人たちと、学校の先生方に

エステティシャンとして見られる雰囲気を醸し出すまでは、

ひとつきかかったかな?と思うほどに本当に早かったのですが、

それは先生方が、そのようになるべく、生徒たちを、

とても上手に育ててくださったからだったのだと、

わかるようになってきました。


わたしは自分達の商品化のような感じが大変嫌いで、

担任のその先生とは合わず、先生にも嫌われていると思っていた。


それでも就職の段になると、その担当をされていた男性の先生に、

学校と大変密だったエステ機器メーカー大手の会社には?とお声がけいただき、

卒業後、学校の斡旋である有名店に勤めていたときには、取引先であった、

準大手のメーカーさんに、インストラクターのお話をいただいた。


先生はわたしのことが、大変育てにくかったでしょうし、

学びに対して従順でなくて、クラス作りをするには、学校の方針と

同じ方向を見ないような、やりにくい、嫌な子だったはずなのに、

それでもみんなと同じように学ばせて育ててくださったのだと、

本当の「先生のプロ」で、わたしのようなものにも、

‘不真面目で育ち(筋)がよい(母がエステサロンをしていた)’という

キャラクターと居場所も与え、愛情もかけてくださったんだなあって、

この頃になって、本当に、感謝できるようになって。


またこの学校に縁結び、素行が悪くても諦めずに通わせてくださった

母、干渉せず経済的にサポートし続けてくださった父にも、

感謝が完璧に、深まっている。


「いい人で、そばにいてくれる」から、この両親のもとで

本当にしあわせで過ごせた幼少期、

そして、アウトローに片寄ったときにも信じてもらって今がある。


わたしも子ども達を、いつまでーーーも、

信じ続けます。


ありがたい、出会いに今もずうっと、

支えられて✨✨✨✨











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