日本の真実

日本人自身が知らない「世界に誇るべき日本の真実の姿」を様々な面から紹介するブログです。

日本の記念すべき日 其の十二 5月11日 大津事件

2007-05-11 00:22:35 | Weblog
◎ロシア皇太子ニコライ暗殺未遂:日本の司法権独立を世界に示す
 (明治24年:1891年)

1891年5月9日、ロシア皇太子ニコライ(後のロシア皇帝ニコライ2世)を乗せたロシア艦隊は神戸港に入港しました。ニコライはシベリア鉄道の極東地区起工式典に、皇帝の名代として出席するため、艦隊を率いてウラジオストクに向かう途中、日本を訪問。長崎・鹿児島に立ち寄った後、神戸港に到着し、翌日陸路、京都に向かいました。
そして5月11日午後1時半過ぎ、京都から大津に出て、琵琶湖を周遊した帰りに、ニコライを乗せた人力車が大津市街を通過中、警備を担当していた滋賀県警巡査・津田三蔵が、突然サーベルを抜いてニコライに斬りかかりました。幸い津田はすぐに取り押さえられ、ニコライは軽症で済みましたが、頭部右側を斬られ、2ヶ所に傷を負いました。ニコライは、この後東京を訪問する予定をキャンセルして、数日後に日本を離れました。
事件の一報を発生1時間後に受けた明治天皇は直ちに見舞いに行くことを決定。翌日京都入りし、2日後の5月13日、ニコライを見舞いました。国民も天皇陛下に倣い、全国からニコライに寄せられた見舞い電報は1万通を超えたそうです。この迅速な処置や謝罪が攻を奏して、ロシア皇帝も皇太子も寛容な態度を示し、この事件についての賠償は一切要求しない旨、日本政府に伝えました。
一方津田は当初、大津地方裁判所に起訴されましたが、政府が裁判官に対して、天皇や皇族に対して危害を与えたものに適用すべき旧刑法116条「大逆罪」によって死刑を適用するよう働き掛けた為、大審院(現在の最高裁判所)で審理されることになりました。
旧刑法116条は日本の皇室に対して適用されるものであって、外国の皇族は適用の範囲外であり、法律上は一般人と同じ扱いでした。事件3日前の5月8日に大審院院長に就任したばかりの児島惟謙(こじまこれかた)は、この観点から津田の行為は大逆罪に該当しないと判断して、担当司法官一人一人を説得
しました。そして事件発生から16日後の5月27日、津田に対し、旧刑法292条規定の一般人に対する謀殺未遂罪を適用して無期徒刑(無期懲役)の判決が下されました。
この判決は海外でも大きく報じられ、国際的に日本の司法権に対する信頼を高めることになりました。当時の欧米列強からも日本の近代化の進展ぶりを示すものという評価を受け、当時進行中であった不平等条約改正への弾みとなりました。
(信)