あんまり流行っていないな・・・
そんなお店がいつの間にか閉店になり、壊され、また新たな建物が建てられる。
流行りが過ぎた洋服は、いつの間にかタンスの肥し・・・
新しい服に追いやられ、邪魔になってさようなら・・・
リサイクルショップにも物が溢れている。
一体、この物はどこから来てどこに行くのだろう。
買っては捨て、買っては手放し・・・
建物までもが、使い捨てのような状況に見える時がある。
ふと考えた。
私の家には、100年前から使っているものはあるだろうか。
100年先の次の世代に引き継ごうとするものはあるか。
なんだか身の回りのものが、軽く、簡単、回転の早いものになっているような気がする。
時々、1000年以上前の建物を見る。
何とも言えぬ力を秘めている。
長い時を経て存在してきたものを見るといい。
その重みを感じるから。
現代社会が生み出すものの有り様を考えることができるから。
そして、最も残さねばならないものは、私たちの命の連鎖だと気づくから。
持っては手放し、持っては手放し・・・
プツンプツンと、切れ切れの物とのつきあいに慣れてしまった現代人。
生まれては死に、生まれては死に・・・
命の連鎖の重みまで薄れてはいけない。
プツンプツンと、切れ切れの命では決してないのだ。
1000年前の建物・・そこには1000年前に生きた人々の命が感じられる。
物を大切にし、物を残し、物に向き合うことは、命と対峙することに通ずる気がした。
そんなお店がいつの間にか閉店になり、壊され、また新たな建物が建てられる。
流行りが過ぎた洋服は、いつの間にかタンスの肥し・・・
新しい服に追いやられ、邪魔になってさようなら・・・
リサイクルショップにも物が溢れている。
一体、この物はどこから来てどこに行くのだろう。
買っては捨て、買っては手放し・・・
建物までもが、使い捨てのような状況に見える時がある。
ふと考えた。
私の家には、100年前から使っているものはあるだろうか。
100年先の次の世代に引き継ごうとするものはあるか。
なんだか身の回りのものが、軽く、簡単、回転の早いものになっているような気がする。
時々、1000年以上前の建物を見る。
何とも言えぬ力を秘めている。
長い時を経て存在してきたものを見るといい。
その重みを感じるから。
現代社会が生み出すものの有り様を考えることができるから。
そして、最も残さねばならないものは、私たちの命の連鎖だと気づくから。
持っては手放し、持っては手放し・・・
プツンプツンと、切れ切れの物とのつきあいに慣れてしまった現代人。
生まれては死に、生まれては死に・・・
命の連鎖の重みまで薄れてはいけない。
プツンプツンと、切れ切れの命では決してないのだ。
1000年前の建物・・そこには1000年前に生きた人々の命が感じられる。
物を大切にし、物を残し、物に向き合うことは、命と対峙することに通ずる気がした。