突然、論語ブームです。
声を出して読みたい論語の本なんて、喉から手が出るほどほしいです。
アメリカでひとり、論語ブーム。
学生時代の漢文の授業はとても適当だったので、意味以前に漢字を読むのも一苦労ですが、声を出して読んでいると、とても楽しいです。
ちなみにパートナーの守護霊は、中国系の昔の女性らしいです。
私に漢字の才能を別けてくれないかしら・・・・なんて念じてみたり。
さてそんな私の今日この頃。
まさにこれ↓。
「子曰く 学びて時に之を習う また悦ばしからずや。
朋 遠方より来ることあり また楽しからずや」
学校楽しいです。
英語の下地がゼロだったので、一個単語が増えるだけで新鮮です。
そしてその単語が聞こえて理解できると一層嬉しく、さらに自分で使えた日には、楽しくて仕方がありません。
そして、友達が近々日本から遊びに来ます。
初の日本からのお客様。
これが嬉しくないことがありましょうか!
英語の発音もままならないのに・・・心の声には必死に耳を背け、ロスアンジェルスで論語を暗唱してほくそ笑む今日この頃です。
勿論、意味は二の次三の次。
論語読みの論語知らず?ええ、まさにそれ!
ただ、英語でも日本語でも、言葉って楽しいな~と噛み締めているのです☆
声を出して読みたい論語の本なんて、喉から手が出るほどほしいです。
アメリカでひとり、論語ブーム。
学生時代の漢文の授業はとても適当だったので、意味以前に漢字を読むのも一苦労ですが、声を出して読んでいると、とても楽しいです。
ちなみにパートナーの守護霊は、中国系の昔の女性らしいです。
私に漢字の才能を別けてくれないかしら・・・・なんて念じてみたり。
さてそんな私の今日この頃。
まさにこれ↓。
「子曰く 学びて時に之を習う また悦ばしからずや。
朋 遠方より来ることあり また楽しからずや」
学校楽しいです。
英語の下地がゼロだったので、一個単語が増えるだけで新鮮です。
そしてその単語が聞こえて理解できると一層嬉しく、さらに自分で使えた日には、楽しくて仕方がありません。
そして、友達が近々日本から遊びに来ます。
初の日本からのお客様。
これが嬉しくないことがありましょうか!
英語の発音もままならないのに・・・心の声には必死に耳を背け、ロスアンジェルスで論語を暗唱してほくそ笑む今日この頃です。
勿論、意味は二の次三の次。
論語読みの論語知らず?ええ、まさにそれ!
ただ、英語でも日本語でも、言葉って楽しいな~と噛み締めているのです☆
小学校中学年の時に学研か何かで憶えた論語です
私も学研買っていた時期がありましたが、全く覚えがないです。
でも、こんな言葉に出会ってそれを心に留めていたら、積極的に学ぶ姿勢の子供になっていたでしょうね☆
どうでしょう?
ついでにこれも覚えていたら最強かしら♪
「子曰く、学んで思わざれば則ち暗し。思うて学ばざれば則ち危うし」
B型なので夢中になると寝食を忘れます(^^;
内容的には聞き覚えありますが、
言葉は完全に忘れていましたよ。
昔から諺・故事成語・名言・格言等が大好きで、
かなり本も読んだ20代頃にようやく気がついたことがあります。
多くのこれらの言葉を学び、
憶えてもそれは知識でしかないと。
これらの言葉は、
その言葉とその意味を憶える事に意味はないと。
千の言葉・万の言語を覚え、語り、尽くしても、
より良い自分にはなれないのだと。
だからこれらを憶え伝えるのではなく、
自分に出会った人が覚え、
語ってもらえる人に成らなければならないのだと。
でも・・・
昨年読んだ「椿山課長の七日間」に書かれていた
『人間に強弱はあっても優劣はない』
は素晴らしい言葉だと思います。
明日死ぬかのように生きなさい。
永遠に生きるかのように学びなさい
(ガンジー)
学問をして学者になろうと思うな。
本さえ読めば誰でも学者になれる。
志こそが大切なのだ。
(吉田松陰)
学校で学んだ事を一切忘れてしまった時になお残っているもの。
それが教育だ
(アインシュタイン)
お前が無駄に過ごした今日は、
昨日死んだ人が痛切に生きたかった明日だ
どれも心に残る名言で大好きなんです。
生きるって難しいですねぇ・・・。
覚える必要はないけれど、こんなふうに素敵な言葉に出会ったときに、それをどう感じられるかですよね。
何をどう感じるか、、そしてそれをどう表現できるかで、自分の個性が作られるんでしょうし。
きっと、上記の言葉のように、シンプルに考えて実行できたら、人生はもっと生きやすくなるんでしょうね。
なのに私は、ついついいろいろ付加したり、違った方向を見たり、他のことを気にかけたり・・・で人生を複雑にしてしまいます。
イラン人のクラスメイトが以前、「アメリカでの生活は騒がしくて忙しい、イランでの生活のほうがシンプルで生きやすい」と言ってました。
あれ?
ちょっと話ずれましたかね?
でも、どれも単なる文字の羅列なら意味はないけれど、それを残した人に思いを馳せたり、その言葉が自分に響くときは、言葉って素晴らしい道具だなと改めて思います。