リバーリバイバル研究所

川と生き物、そして人間生活との折り合いを研究しています。サツキマス研究会・リュウキュウアユ研究会

世界遺産紛争 タイ カンボジア国境

2008-07-16 00:33:52 | メコン川研究所(メコンの目改題)

この寺院にアクセスするにはタイのウボンラチャタニという都市から入るしかないという。カンボジア側からのアクセスはかなり難しい状態であるらしいのだ。
 記事にあるように、タイ軍の兵士が地雷で重傷とある。
周辺にはいまだに地雷が敷設されている地域にあることも原因しているのだろう。
 ウボンラチャタニにいるときに、この紛争を聞いたのだが、悪い方に急激にすすんでいる。

 タイという東南アジアの大国は思いの外、不安定であることが気に掛かる。
このウボンラチャタニという都市はラオス、カンボジア国境のシーパンドーンという島々に最もアクセスの良いルートなんだなあ。気がかりです。
カンボジア国境、寺院領有めぐり緊張 タイが軍動員(朝日新聞) - goo ニュース

カンボジアのクメール寺院、世界遺産登録決まる(朝日新聞) - goo ニュース
☆テキスト版
カンボジア国境、寺院領有めぐり緊張 タイが軍動員

2008年7月15日20時53分

 【バンコク=柴田直治】カンボジア警察は15日、ユネスコの世界遺産登録が決まったクメール寺院プレアビヒアの境内に無断で侵入したとしてタイ人僧侶ら3人を拘束した。これに対しタイ軍が兵士を動員して3人の解放を要求。カンボジア側はタイ軍の行動は「国境侵犯」だと非難。タイ側はこれを否定し、にらみあいが続いている。

 カンボジア側は6月下旬、同寺院の領有権を主張して世界遺産登録に反対するタイのグループが抗議活動を続けたことから寺院を閉鎖していた。15日朝、3人がフェンスを乗り越えて侵入したため拘束した。タイの国旗を立てようとしたとの情報もある。

 タイ側は軍部隊を動員して解放を要求。3人は数時間後に釈放されたが、タイ軍は調書や指紋原票の返還を求めている。さらに数百人の兵士が近くの国境紛争地帯に住むカンボジア人の追い出しを始めた。また、タイ軍兵士1人が途中で地雷を踏んで重傷を負った。アヌポン陸軍司令官は同日夜、「国境の治安確保のため部隊を増強した」と話した。

 同寺院は62年、国際司法裁判所がカンボジア領と認定したが、周辺の領有権争いが続いた。カンボジアは昨年単独で寺院の世界遺産登録を申請。タイ政府は先月、登録にいったん同意したが、国内から強い反発を受けて撤回。それでも今月、登録が決定し、外相が辞任に追い込まれた。

 一方のカンボジア側では遺産登録を祝う大規模な集会が催されるなど、双方でナショナリズムが高まっている。


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カンボジアのクメール寺院、世界遺産登録決まる

2008年7月8日10時44分

写真世界遺産登録が決まったプレアビヒア遺跡=柴田写す図

 【バンコク=柴田直治】カナダ・ケベックで開かれているユネスコの世界遺産委員会は7日(日本時間8日未明)、カンボジアが申請していたクメール寺院、プレアビヒア(タイ名=カオ・プラビーハン)の世界遺産登録を決めた。

 同遺跡周辺の領有権をめぐって争うタイ政府が、いったん登録に同意した後に撤回した経緯があり、「失策」を批判する反政府団体は内閣総辞職を求めている。不安定なタイの政局がさらに混迷する雲行きだ。

 遺跡は9世紀に建設が始まり、アンコールワットより長い歴史を持つ。内戦でポル・ポト派の拠点となり、数多く埋められた地雷の除去作業が進められてきた。

 カンボジア政府は昨年6月、同寺院の世界遺産登録を単独で申請。タイ側が拒否反応を示したため、ユネスコは両国の協議を求めた。カンボジアが今年1月、登録地域を遺跡に限定して再申請したのを受けてタイ政府は6月、登録に同意する決定をした。だが、野党や反タクシン元首相派勢力が「カンボジアへのビジネス参入を狙う元首相の意図に沿った売国的行為」などと一斉に反発。政府も同意を撤回するなど混乱していた。

 両国は58年、遺跡の領有権をめぐり国交を断絶。国際司法裁判所は62年、遺跡はカンボジアに帰属すると決定したが、その後も周辺地域をめぐる争いが続く。98年に遺跡が一般公開された後もトラブルのたびに閉鎖されていた。
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