岐阜県が認定を受けた世界農業遺産「清流長良川の鮎」。認定の初年さまざまな事業が行われようとしている。でも、川面に住むひねくれ者はこんなことを考えている。鵜飼!本当に続けていけるんかいな?アユおらへんや。誰も言い出せない事を言うのがエコロジストです。
川を継ぐもの
長良川河畔鵜飼屋。鵜匠、山下純司さんの店「喫茶鵜」がある。近
所に住んだころ、私は毎朝のようにお店に通った。以来二十九年になる。
昨年夏の終わり、山下さんから電話があった。私が長良川の川漁師、大橋亮一さん、修さんの兄弟に手配した救命具の入手先を知りたいという。四年ほど前、長良川下流で漁をされていた方が事故で亡くなられた。長良川の漁舟は、独特の形をしている。船べりが高く、落水したらよじ登るのは困難だ。私は事故を知って、不安になった。
そして、お二人に落水したら自動的に膨らむベルト型の救命具を使うように頼んだのだ。川漁師の高齢化は進んでいる。長良川漁協の組合長代理の亮一さんは漁師仲間にも、漁の邪魔にはならないからと、ベルト型救命具の着用を勧めているのだという。
高齢化と後継者不足は鵜飼の世界でも同様だ。鵜飼の時、鵜匠と舟を操るとも乗り、彼らを助ける中乗りの計三人が舟に乗る。鵜匠は世襲制で鵜飼を伝承してきた。大家族の時代を経て核家族が当たり前の現代、伝統を伝える鵜飼の技は、並々ならぬ家族の覚悟によって守り継がれている。
舟の乗り手がいないことも深刻だ。山下さんの鵜舟には中乗り見習いがいた。「若い人が来てくれた。息子の代にはとも乗りを任せられれば」山下さんはうれしそうだったが、今年、三年を経て組合員の資格を得ると、その方は鵜飼屋を去っていったという。
山下純司さんは七十七歳。「百まで鵜匠。孫に鵜さばきを見せるまでやる」。守るべき伝統が、限られた人々と家族の背にかかる。
世界農業遺産「清流長良川の鮎(あゆ)」。そのシンボルともいえる長良川鵜飼が十一日に開幕する。岐阜県は「長良川」を世界に発信していくことを宣言した。認定の初年にあたり、私たちは長良川の未来について、思いを巡らす時ではないのか。川を継ぐものは誰かと。(魚類生態写真家)
昨年夏の終わり、山下さんから電話があった。私が長良川の川漁師、大橋亮一さん、修さんの兄弟に手配した救命具の入手先を知りたいという。四年ほど前、長良川下流で漁をされていた方が事故で亡くなられた。長良川の漁舟は、独特の形をしている。船べりが高く、落水したらよじ登るのは困難だ。私は事故を知って、不安になった。
そして、お二人に落水したら自動的に膨らむベルト型の救命具を使うように頼んだのだ。川漁師の高齢化は進んでいる。長良川漁協の組合長代理の亮一さんは漁師仲間にも、漁の邪魔にはならないからと、ベルト型救命具の着用を勧めているのだという。
高齢化と後継者不足は鵜飼の世界でも同様だ。鵜飼の時、鵜匠と舟を操るとも乗り、彼らを助ける中乗りの計三人が舟に乗る。鵜匠は世襲制で鵜飼を伝承してきた。大家族の時代を経て核家族が当たり前の現代、伝統を伝える鵜飼の技は、並々ならぬ家族の覚悟によって守り継がれている。
舟の乗り手がいないことも深刻だ。山下さんの鵜舟には中乗り見習いがいた。「若い人が来てくれた。息子の代にはとも乗りを任せられれば」山下さんはうれしそうだったが、今年、三年を経て組合員の資格を得ると、その方は鵜飼屋を去っていったという。
山下純司さんは七十七歳。「百まで鵜匠。孫に鵜さばきを見せるまでやる」。守るべき伝統が、限られた人々と家族の背にかかる。
世界農業遺産「清流長良川の鮎(あゆ)」。そのシンボルともいえる長良川鵜飼が十一日に開幕する。岐阜県は「長良川」を世界に発信していくことを宣言した。認定の初年にあたり、私たちは長良川の未来について、思いを巡らす時ではないのか。川を継ぐものは誰かと。(魚類生態写真家)
最初の原稿では二枚目の鵜と鵜匠の画像でしたが、一枚目の鵜飼の準備の写真に差し替えました。こちらが強いかと思ったからです。
1枚目 鵜飼の準備 鵜匠 杉山雅彦さん
2枚目 鵜と鵜匠 鵜匠 山下純司さん